突然、窓ガラスがはじけ散り、操縦室中に黄色い粉が充満した。ドーラ自慢のマスタード榴弾である。 単なるカラシの粉だが、たちまち乗務員は激しく咳き込み苦しそうにもがいた。ドーラは破れた窓から船内に踊りこんだ。
 次々と乗務員をランチャーで撲りつけているとき、砲塔へ通じる階段から三兄弟が駆け下りてきた。
(よし、ドンピシャだよ)
 ドーラは三兄弟の長男であるシャルルに目配せすると、残り2人、ルイとアンリを連れ、サロンへ通じる階段へ向かった。



たゆたえど沈まず




 部屋に居たムスカは警報の音を聞くと、部下を呼び通路にバリケードを築き始めていた。まさかと思った軍の警戒空域での襲撃。ムスカは自分たちが狙われていることを直感した。
「何者でしょう。この航路が襲われたことはないはずです」
 ソファを通路に投げ込みながら、部下が尋ねる。
「ドーラばあさんならやりかねんな」
 ムスカは手配書のドーラの顔をいまいましく思い浮かべた。
(とにかく、近くにいるはずの軍の警備艇が着くまでのことだ。バリケードを破られても部屋に立て籠ればかなりもつ。危険な方法だが、ガスのうに穴を開け、海賊もろとも不時着してもいい)
「君たちは床にふせていなさい」
 ムスカはとシータにそう言い、四六時中急用チャンネルを空けているはずのティディスの要塞に無線の電鍵を叩き始めた。



「姉さん」
「なに?」
 先程まで一言も喋らなかったシータが、ムスカが電鍵を叩き始めたのを見て、ひっそりと話しかけてきた。言いたいことの予想はつく。
「石を取り返して逃げるなら絶好のチャンスじゃないかしら?」
「シータ、ここは空の上よ」
 たとえ石を取り返すことができたとしても逃げ道が無い。最悪の場合、捕らえられて今より動きにくくなる可能性がある。
「でも……」
 言いかけて、シータは言葉を飲み込んだ。
(つまり姉さんは、ここから動く気はないということね)
 確かに、今はその方が安全なのかもしれない。ムスカたちに連れ去られてこの飛行船に乗せられても、はずっと冷静だった。姉は自分よりも精神的にずっと強いのだ、とシータは思う。だからこそ冷静に、逃げ出すためのもっといい機会を探してるのだろう。しかしシータは、少しでもチャンスがあるのならすぐにでもここから逃げ出してしまいたかった。ムスカたちのことだけでもどうしたらいいか分からないというのに、そのうえ海賊とは……。頭は混乱するばかりだ。シータはちらりとを盗み見るが、彼女の表情からはシータのような焦りは見えなかった。
(姉さんがやらないならわたしがやるしかない)
 通路から激しく撃ち合う音が聞こえてくる。この音に合わせるように、シータはムスカの背後にそろっと動いた。姉のの驚いたような表情が目に入る。一度動き始めるとシータの中の恐怖は消えた。足元に転がっていたワインの瓶を拾い、音を忍ばせてムスカに近寄る。のシータを制止する声と、ワインの瓶が割れる音が響くのはほぼ同時だった。



 飛行船の船長やムスカの部下を倒し、バリケードを飛び越えて部屋に踊りこんだドーラが見たのは意外な光景だった。部屋は明るく、男が一人気を失って倒れていて、その少し離れたソファでは一人の少女が不機嫌そうに腕を組んで座っている。少女は二人いると聞いていたのだが、もう片方の少女は見当たらなかった。
 ドーラの目的は少女たちが持っているという"飛行石"だ。とはいっても、どうせとっくに取り上げられているだろうから少女たちに興味は無い。しかし、何故もう一人いるはずの少女はいないのか……。
「ルイ、他の客室を見ておいで」
 次男にそう命じる。ドーラは手荷物を手早く探ったがどこにもない。おそらくムスカだろうと思われる男の体からも何も出てこなかった。ドーラはソファに座っている少女、の前まで歩く。
「おまえさん、飛行石はどこにやったんだい」
「知らないわよそんなこと」
 眉を寄せたは苛立った様子で答えた。
「じゃあもう1人の女の子は何処へ行った」
「さあ? お手洗いじゃない?」
 とぼけた様子で返す。脅すような口調にも、動じない。自分たちを攻撃してくる様子もない。
「……………」
「……………」
 眼を見て、何があってもこの少女は口を割らないだろうと思った。ドーラは熟知しているはずの飛行客船の構造を思い浮かべる。どこにもう一人の少女を隠す隙間があるのだろう。機関室、ガス曩の間……無理だ、それには船側の協力がいる。極秘に行動しているはずのムスカが船長に事情を話すはずが無い。
「まさか」
 ドーラは呟き、窓に駆け寄る。途端に、ソファに座っていた少女の目の色が変わった。それを見たドーラは、やはり、と再び小さく呟き、いっぱいに窓を開けた。強風が吹き込み、船体の布の震える音が聞こえてくる。眼下には、雲間から鉱山の灯が見えていた。上半身を乗り出し、左右を見渡したドーラが叫んだ。
「危ない! 無茶するんじゃないよ」
 シータが海賊に見つかってしまった! ドーラのその叫び声を聞いた瞬間、はドーラの隣へ走り寄り、同じ窓から無理やり顔を出した。
「シータ! 逃げて!」
 シータは飛行船の縫い目や細いワイヤーを伝って、隣の客室へのがれようとしていた。木製の窓枠に、手を伸ばす。
「よすんだよ! ニスが塗ってある。すべっちまうよ! 戻っておいで!」
 シータはドーラの言葉にちょっと振り返っただけで動きを止めない。ドーラはシータの首に下げられた涙形をしたペンダントを見て思わず息を呑んだ。
(あれが飛行石か)
 しかしそれは何の変哲も無いただの石のように見えた。ドーラが想像していたものと少し違う。
 強風がシータを煽った。
「「あぶない!」」
 とドーラの声が重なる。ドーラは窓枠に足を掛け、シータを追おうと身を乗り出した。が、がその体にしがみつき、それを止める。
「離しな!」
「嫌よ!」
「あの女の子が落ちちまってもいいのかい!?」
「いいわけないでしょ!」
 それでもはドーラから離れなかった。シータは細いワイヤーを放し、窓枠に両手でしがみついた。
(あとちょっとで逃げ切れる!)
 がそう思った瞬間、グッと身を上げようとしたシータの手が滑った。
「シータ!」
 全身が硬直した。隣にいた海賊の顔も、一瞬凍てついたように見えた。は慌てて窓の下を見たがもう遅い。の目の前で、シータは暗闇に飲み込まれていった。



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2013.12.15