blooD is thicker thaN wAter




 朝の帝国譜術譜業研究院の廊下。は知った後姿を見付けた。背の高い黒い短髪の男。その男には早足で駆け寄り、声を掛けた。
「おはようございます、ジャスパーさん」
「ああ、ちゃんか。おはよう」
 の存在に気付いた男は優しい笑顔を浮かべながらに挨拶を返してくれる。彼の名はジャスパー・カドガン。ジェイド同様マルクト軍人で、ジェイドの研究の補佐官である男だ。ジェイドとは士官学校時代からの付き合いで、その頃のあだ名は"グッドJC"。同じJCのイニシャルを持つジェイド・カーティスの"イビルJC"と対比して付けられた名前らしい。良いJCと悪いJC。このあだ名を考えた人は天才だとは思う。
「その手紙、いつものですか?」
 目ざといはジャスパーの手にある一通の手紙に目を向ける。
「ああ、これね。そうだよ。いつものジェイドの幼馴染からのやつ」
 ジャスパーはひらひらと手紙を振りながら苦笑した。どうして彼が苦笑いを浮かべるのかといえば、その手紙をジェイドはいつも読まないで燃やしてしまうからだ。ふとあることを思いついて、はジャスパーに提案した。
「それ、わたしがカーティス少尉にお渡ししておきましょうか。カーティス少尉も子供から渡されれば受け取るかもしれませんし」
 にっこりと笑いながら心にもないことを言う。相手が大人だろうが子供だろうが、あの男の態度が変わるはずがない。しかし、"グッド"の称号を冠するJCは素直にの言葉を信じたらしい。
「ホント? 助かるよ」
 あっさりとジェイド宛ての手紙を渡してきたジャスパー。あまりのあっさり具合にこの研究院の情報管理体制は大丈夫なのかと不安になったが、「ちゃんは偉いね」とよしよしと頭を撫でられたことで、はジャスパーには自分がただの"大人の役に立ちたがっている子供"に見えているのだと気付いた。やはり子供の姿というのは有利である。「任せてください!」と胸を張ったを微笑ましそうに眺めると、ジャスパーは「やらなきゃいけないことがあるからまた後でね」と手を振りながら去っていった。もまた手を振りながらそれを見送る。
 やがてジャスパーの姿が見えなくなると、は顔に浮かべていた笑みを消し、手に持っていた手紙に目を落とした。封がしてある面の右下に、ひっそりと差出人の名前が記されている。
「……"ピオニー"、ね…………」
 は何かを考えるように数秒の間視線を巡らせて、それから何事もなかったかのようにジェイドのいる研究室へと歩き出した。



 研究室に入ると、そこにはまだジェイドしか来ていなかった。
「おはようございます、カーティス少尉」
「…………」
 ジェイドは一瞬だけの方に視線を向けたが、すぐに手元の資料に視線を戻してしまう。が名指しで挨拶したにも関わらずいい度胸だ。だが、こんなのはいつものことなのでは気にしないことにした。
 ちなみにが研究院を訪れるのは毎日という訳ではなく、週に2回程度である。その他の日は皇帝の秘書の真似事のようなことをしていた。秘書というと聞こえはいいが、実質はただの雑用係だ。まだ子供であるをいきなりきちんと名前のついた部署に配属することを上層部が渋ったがゆえの応急の肩書である。ほとんど時間は皇帝の元にはおらず、皇帝に命じられた簡単な仕事を自分の判断に基づき様々な部署や機関に協力を依頼して行っていた。協力を得る過程ではその部署の手伝いをし、その部署の仕事を覚えるという寸法である。が皇帝の元を訪ねるのは仕事の経過や結果を報告するとき、皇帝の判子や勅命などが必要なとき、そしてきわどい案件について皇帝の意見を仰いだりするときだ。あとはときどき諜報活動のようなものも行っているが、諜報活動といっても、城下に降りて害のない子どものフリをしながら色々なことを聞いて回るというだけだった。閑話休題。
「カーティス少尉宛に手紙が届いてますよ」
「…………」
 はジェイドの近くまで行き、ジャスパーから託された封筒を渡す。だが、ジェイドは差出人の名前を確認するや否や第5音素を発動しその手紙を燃やしてしまった。一瞬のことだった。燃え尽きて灰になってしまった手紙を見て、は困ったように首を傾げる。
「よろしいんですか?」
「どうせいつも同じ内容しか書いてない」
「はあ……」
 たしかに、ジェイドが手紙を燃やしてしまうのもいつものことである。でもそれ、皇子殿下からの手紙でしょう? はその言葉を飲み込んだ。おそらく、これを口にするのは得策ではない。
 皇帝陛下の一番下の皇子がピオニーという名前で、たしか子供の頃からケテルブルクに軟禁されていたはずだ。"軟禁"というくらいだから屋敷に閉じ込められていたと思われるが、ジェイドの出身地もまたケテルブルクであることを考えると別人だとは考えにくい。思うに、二人は何らかの方法で交流を持っていたのではないだろうか。
「少尉がそうおっしゃるなら構いませんが……」
 世の中知らないフリをした方がいいことというものはたくさんある。これもそういった類のものだ。だが……。
 ふむ、とは心の中で頷いた。
 手紙の燃えカスで汚れてしまった床を掃除するため、小箒と塵取りを掃除用具入れから取ってくる。さかさかと燃えカスを塵取りに集めながら、は気が付くと小さな歌を口ずさんでいた。
「白ヤギさんからお手紙ついた〜、黒ヤギさんったら」
「気が散るから静かにしてくれないか」
「あ、すみません」
 無意識だったのか、ははっとした顔で箒を持っていない方の手の掌を口に当てる。おそるおそるジェイドの表情を覗い見るが、さほど怒っているという訳ではなさそうだ。ほっとして思わず表情を緩める。そして、再び掃除を再開した。そんな彼女をジェイドは訝しげに眺めていたが、すぐにどうでもよくなったのかそれっきり二人の間には沈黙が下りた。
 ジェイドが歌うのを止めさせたその歌は、この世界には存在しない歌。どこでその歌を覚えてきたのか、もうにも分からない。

――仕方がないのでお手紙書いた。さっきのお手紙の用事なあに



 その日の夜、はペンを手に取り一通の手紙を書いた。



back top next

2014.2.1