帝都グランコクマ、皇帝陛下の御座す宮殿の敷地内。目の前にどっしりと佇む大きな扉を見上げてはぎゅっと手を握りしめた。……ようやく、ここまでやってきた。感慨に浸っているのはここに辿り着くまでの旅路を思ってではない。マルクト帝国の役人になるべく勉強を始めて早4年、2度目の受験でようやく筆記試験をパスしたは2次試験の面接を受けるためにここへやってきていた、それを思ってのことだった。
 扉の両脇に立っている兵士が訝しげにを見つめている。それもそうだろう、10歳にも満たない子どもが保護者も連れずに宮殿の入り口に立っていたら誰だって不思議に思う。城に勤めている彼らが本日行われる役人試験の面接の存在を知らないということはないだろうが、とその試験を結びつけろというのは難しい話だ。痺れを切らせた兵士が今まさに声を掛けようとしたところで、は受験票を取出し高らかに己の名を名乗った。



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 4年前、預言を授けられたあの日、は目を覚ますと断片的にではあるが自分の前世について思い出していた。例えば自分が地球という星の日本という国に暮らしていたこと、1年は365日だということ、出世することを目標に日々仕事に励んでいたこと。預言なんていうものは存在しない世界だったということ。そう、星の名前も公転周期も違う、預言なんて存在しない、まったく別の世界で前世のは生きていたのだ。いつ死んだのかとか、どうしてうっすらと前世の記憶を有したまま知らない世界に生まれ変わったのかまでは分からない。けれど、この先もとして生きていくのだろうということははっきりしていた。

「はい」
 が控室で面接の順を待っていると担当の兵士が呼びに来た。は返事をして立ち上がる。宮殿というとかなり豪華な場所をは想像していたが、思いの他質素にまとめられているところを見ると宮殿の主、つまり皇帝陛下はあまり無駄を好まない性質なのだろう。それを良いと取るか悪いと取るかは評価する者の立場によって変わると思うが、は良いと取る。何もないときならば国の経済を潤わせるために多少の支出は必要だが、今、このマルクト帝国と隣国キムラスカ・ランバルディア王国は戦争中だ。国を守るためには金があった方がいい。
 それにしても、とは心の中で溜息を吐いた。隣国、と表現したがこの世界には2つしか国がない。たった2つしかない国なのだからもっと仲良くすればいいのに。平和な世界に生きていた前世の記憶を持つは思う。実際は、2つしかないからこそ争いになるのだろうが。
 先導していた兵士がひとつの部屋の前で立ち止まる。部屋の扉の前には兵士が2人立っていた。
嬢をお連れした」
 先導してきた兵士が小さな声で告げて、部屋の前に立っていた2人が頷いて両端に避ける。「さあ、こちらです」という兵士の言葉にも頷いた。



 面接、というよりは尋問に近い。投げかけられる問いに答えながら、はそんなことを考えていた。部屋の空気は妙に物々しい。まず、部屋に入ったところで入り口に2人、そして部屋の左右に5人ずつと、面接官たちの後ろにずらりと10人、兵士が控えていた。面接官は5人ほど。高位だと思われる軍服が3人に、文官だろう礼服が2人。もしかするとこの中に超重要人物でもいるのかもしれない。皇帝陛下だったりして、ハハハ。けれどもそんな緊張など仮面の下に押し隠して、は子どもらしく無邪気に、それでいて無礼にはならないように丁寧に次々と質問に答えていく。
「おまえはまだ幼いだろう。その幼さでなぜあえて働こうと思う?」
 そう尋ねたのはから見て一番右端にいる軍服の男だった。着ている軍服にはやたらと張りがあり、なんとなく身体に馴染んでいない印象を受けた。仕立てたばかりなのだろうか。一見糊がかかっているだけのようにも思えるが、他の軍人たちの軍服にも糊はかかっているというのに印象が違う。
「若いうちから仕事をすればそれだけ多くの経験を積めることにりますし、幼い見た目だからこそ他人を油断させたり取り入ったりすることが可能になると思ったからです」
「ほう?」
 質問した男が興味深そうにを見遣る。残り4人の面接官はよりも、質問した男の言動を気にするように視線を動かした。おや、とは思う。それ以降、は右端の軍服の男を注意深く観察することにした。



「面接は以上だ」
「はい。ありがとうございました」
 は立ち上がり挨拶をして一礼する。ここで、彼女は賭けに出ることにした。本来なら退室の流れとなるところで、は僅かに前に一歩進み出る。部屋を取り囲む兵士たちに緊張が走り、彼らの視線が一斉に一番右端の面接官に注がれたことを確認して、は自分の考えが合っているだろうことを確信した。右端の軍服の男の方に身体を向けてさっと片膝をつく。右手を胸に当てて、首を垂れた。以外の人間がはっと息を飲む気配が伝わってくる。
「本日はわたくしのような者のために貴重な時間を割き、査定してくださってありがとうございました、陛下」
「…………待て」
「はい、なんでしょうか?」
「今、なんと言った?」
「本日はわたくしのような者のために貴重な時間を割き、査定してくださってありがとうございました、陛下」
一字一句違えず、は台詞を繰り返した。勝利を確信して心の中で密かに笑う。
「何故、私を“陛下”と呼ぶ?」
「貴方様がこの国の皇帝陛下でございますれば」
「何故私を皇帝だと思った? 私は名乗っておらんぞ?」
「恐れながら申し上げますと、まず第1に陛下のお召しになっている軍服が真新しかったことで、普段は軍服をお召しになる方ではないのだろうと考えました」
「なるほど。確かに、皇帝陛下に誰かの着古しを着せるわけにはいきませんしな」
 左端にいた軍服の男が言った。はい、とは静かに頷く。それ以降誰も口を開かないのを確認して、第2に、と切り出した。
「陛下の質問にわたくしが答えたとき、他の方々はわたくしの答えよりも陛下の様子を気になさっている様子でした。これで、陛下がこの部屋で一番位の高い方なのだということがわかりました」
 面接官たちは気難しげに唸る。自分たちの何気ない仕草がにヒントを与えてしまったのだ、唸りたくもなるというものだろう。「続けよ」という皇帝の声では続けた。
「第3に、わたくしが僅かに陛下の前に進み出た際、兵士の方々に異常なまでの緊張が走ったこと。位が最も高い軍人であるのならば戦闘能力もあるだろうに、兵士の方々からは真っ先に貴方様を守ろうとしている様子が伝わって参りました」
「……なるほど、細かいことによく気付く娘だ」
 面白いものを見付けた、というような表情で皇帝は言った。ありがとう存じます、とは首を垂れたまま静かに応えた。皇帝は口の端を上げる。なるほど、9歳という若さで筆記試験を突破しただけある。これは使えそうだ。そして彼は口を開く。
「いいだろう、7日後の結果を待つ必要はない。、先程言っていた子供の特権、思う存分この国のため使うがいい」

 こうして、はマルクト帝国の最年少文官として歴史にその名を残すこととなった。




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2012.12.11