「へえ、それであっさりと妖だと見破られてしまったわけかい」
若だんなの笑いがあまりに楽しげなので、仁吉は憮然としていたその表情を若干緩めた。
「まったく、傷の治りが早いことを指摘されたときはどうしようかと思いましたよ」
怪我や病気などしたことがないものだから、すっかりと頭から抜けていた。
人間と自分たち妖とでは、治癒力が違うのだ。
「おまけに、芋づる式にあたしのことまでばれてしまうし」
若だんなを挟んで仁吉の向かい側に座っていた佐助は、言葉だけ見れば仁吉を責めているような、しかし相手をからかうような口調でそう言う。
「でも、先生はおまえたちを怖がったりはしなかったんだろう?」
「ええ、逆に前より遠慮がなくなったくらいです」
若だんなの問い掛けに、仁吉は苦笑しながらそう答えた。





江戸薬師考





どうして怖いとは思わなかったの?
若だんなの素朴な疑問に、は間髪入れず答えた。
「や。だって見た目は普通の人間ですしねぇ」
怖がれと言われても。
ズズッ、とお茶をすすり、は目の前の菊の形をした白い和菓子に竹楊枝を入れた。
口に運べばまったりとした甘さが口の中に広がり、思わず顔に笑みが浮かぶ。
おいしい? と聞いてきた若だんなに、ええとても、と返すと、若だんなも笑顔になった。
「ねえ、先生」
「なんですか?」
若だんなが急に改まった声を出したので、は首を傾げた。
若だんなは自分の湯呑みに視線を落とし、少しためらうようにしてから口を開く。
「例の事件の話、聞いているかい?」
「……例の、といいますと、薬種問屋の?」
こっくりと、若だんなが頷いた。
ここ数日で、江戸の薬種問屋の人間が三人も襲われている。
しかも、そのうち二人は殺されているのだ。
襲われた三人のうちで助かったのは、今の目の前にいる一太郎だけ。
そんな彼だって、元々病弱なこともあるが、何日も寝込んだ。
「不謹慎な話ですが、一太郎さんが生きていて、わたしはほっとしましたよ?」
若だんなが落ち込んでいるのを見兼ねたは、やんわりと微笑みながら彼に囁いた。
俯いていた若だんなが、ばっと顔を上げる。
「本当かい?」
「当たり前でしょう?」
にこにこと笑顔を崩さずに、は若だんなにいう。
それは彼の医者として、人間として、ある意味当たり前の行動。
それでも純粋な若だんなはとたんに元気を取り戻し、の方を見た。
「あのね。先生」
「はい?」
「私も、生きていられて良かったって思うんだよ。死んでしまった人たちには申し訳ないけれど、生きていられて、本当によかった」
に再び会うことができて。
彼女に心配してもらえて。
そんなことが、若だんなは幸せだと思う。
彼の真意にまでは気付かず、は再び微笑む。
先生」
「なんですか?」
再び彼女の名を呼んだ若だんなに、は嫌がるそぶりなど一切見せず返事をした。
若だんなは一瞬言い淀み、それでもしっかりとした口調で言葉を紡ぐ。
先生も、薬を扱うよね」
隠しきれなかった彼の不安を敏感に感じ取ったは、僅かに苦笑した。
「一太郎さん、わたしは大丈夫ですよ」
若だんなはの方をそっと見る。
彼女の表情はどこまでも優しくて、なぜか一瞬泣きそうになった。
「どうして、」
どうしてそんなことが言い切れるんだい?
最後まで声にできずに、途中で言葉が詰まる。
ああ、なぜ彼女と一緒にいるとこんなにも切なくなるのか。
話したいことが、うまく話せない。
それでも、は若だんなの言いたいことを汲み取るのが上手だ。
彼女はしっかりと言葉の意図を捕らえていって、不安に思う若だんなの心を埋めていく。
その安堵は、二人の手代といるときとはまた違う色を帯びていて。
「わたしは一太郎さんの医者ですから、一太郎さんを元気にするまでは死んだりしません」
美しい色を放つ言葉が、またひとつ、若だんなの心を鮮やかな色に塗り替えていく。
根拠なんてどこにもないと知りながら。
「……約束、だからね?」
「ええ、約束です」
無意識な束縛の言葉に、なんのためらいもなく頷く
若だんなはようやく笑みを浮かべた。
彼女がそばにいてくれるのなら、健康になどならなくてもいい。
そんな屈折した思いが芽生えていることを、若だんな自身まだ気付くことはなく。
ましてがそれに気付くのは、とても難しいことだった。





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20080708