江戸薬師考
「お初にお目にかかります、一太郎さん。と申します」
たまに小さいお薬をくださる先生ですよ。
仁吉がそう付け足すと、布団の中で苦しげな息を繰り返していた若だんなが、驚いたようにを見た。
何か口に出そうとしているのだがそれは声にならず、小さく口を動かす程度で留まっている。
「先生が若い娘さんであることに、驚いているようで」
仁吉の言葉にが苦笑する。
それは初めてに治療を受ける者みなが示す反応だった。
「一太郎さん、ちょっと失礼しますね」
さっと手を伸ばして、若だんなの額に手をあてる。
が年ごろの娘であることと、その手の冷たさに若だんなは身をすくませた。
ああ、高いですね。
しかしの方はというと、そんな若だんなをまったく気にした様子も見せず、そう呟く。
持ってきた風呂敷包みを開き、咳止めと解熱剤を取り出した。
「白湯を」
言えば、心得ていたように仁吉が湯呑みをに差し出す。
「すこし、若だんなを起こしていただけますか」
今度は反対側にいた佐助が、さっと動いた。
「一太郎さん、飲めますか?」
は若だんなに近寄り、手の平に乗せたいくつかの小さな薬を見せる。
その錠剤が小さく、また異臭を放っていないことに若だんなはほっと胸を撫で下ろし、小さく頷いた。
しばらくすると、若だんなはだいぶ楽になったようだった。
心身共に余裕ができたためか、しきりにのことを気にしている。
「一太郎さん、少しお休みになった方がいいですよ」
そんな若だんなの様子を心配するように、は声をかけた。
薬は直接麻疹を治すためのものではなく、苦しさを和らげるものだ。
無理をすれば体に響く。
「大丈夫だよ。先生の薬のおかげで調子が良いんだ」
だからそれは苦しさを和らげてるだけだってば。
怒鳴るわけにもいかず、嗜めるタイミングを逃しては困ったような笑みを浮かべた。
そんなの心情を敏感に察知したのか、若だんなが少しだけ申し訳なさそうにする。
「ちょっとでいいんだ。先生とお話がしてみたいだけなんだよ」
向けられたのは、捨てられた子犬のような目。
小動物に弱いは、うっと詰まる。
どうしたものかな、と視線だけ彷徨わせれば、長崎屋の手代ふたりが睨むようにしてを見ていた。
まるで、若だんなの頼みを断ったらどうなるか分かってるんだろうな、と脅しかけるような目だ。
あれ? わたしって一応立場上なんじゃないの?
なんで脅されてるんだ?
どこか釈然としない。
思いつつも、は小さく溜息をついて「ちょっとだけですよ?」と言った。
若だんなの顔にぱっと笑顔が浮かぶ。
それまで様子を伺っていた小さな鬼たち……鳴家が、に興味を示して、ちょこちょこと若だんなの周りに集まり始めた。
しかし鳴家たちの姿は、普通の人間であるには見えない……はずだ。
本来ならば。
若だんなもそう心得ているから、鳴家の相手をしよとはしなかった。
だがしかし。
「…………」
「先生?」
が、鳴家のいる辺りを凝視していた。
それに気付いた若だんなは、恐る恐るに話し掛ける。
手代ふたりも、そんなの様子を固唾を呑んで見守っていた。
「……あ……ごめんなさい。ちょっと幻覚が」
声を掛けられたは、はっとしたように顔を上げた。
疲れているのかしら、なんて苦笑してみせる。
小さな鬼が見える、なんて言ったら怖がらせてしまうかもしれない。
仁吉は何かを知っているようだったが、この病弱な青年に心配事を作ってしまうのはよろしくない。
何も知らないはそう考えて、話を流そうとする。
だが、仁吉がそうはさせなかった。
「先生。それが見えているのでしたら、言ってもらって構いませんよ」
『え』
と若だんな、そして佐助の声が重なった。
「先程も、鳴家を踏み付けないようにと気を配っていたでしょう」
他の三人のことを気にした様子もなく、仁吉が続けた。
「え……あの、どういうことですか……?」
の質問に、仁吉が笑う。
三日月形に歪んだ口元が、やたら不気味に見えた。
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20071204