江戸薬師考





もう2度と扉はくぐらないと決めて、現代に戻ってきてから早数ヶ月。
1年で最も寒いんじゃないかと思われる2月の教室で、はもうひとりの卒業文集委員と、自分達のクラスに割り当てられた4ページに載せる内容をまとめていた。
「なーんで暖房も止まった寒い教室で、わたしたちはこんなことしてるんだろうね」
「進路が決まったからじゃない?」
室内だというのにコートを着込み、シャープペンを握りしめながら、はぼやく。
それに返したのは、同じく卒業文集委員のクラスメイト、かつ学年1のイケメンと名高い名取だった。
「名取くんが芸能人かぁ」
名取は少し前から芸能界で仕事をしている。
なんでも街中を歩いていたらスカウトを受けたそうだ。
今は小さな仕事しかしていないが、卒業後は本格的にそちらに取り組むらしい。
「きらめいててごめん。あ、今のうちにサインあげようか?」
「あはは、さわやかにうざいね。サインはいらないよ」
たしかにイケメンだが、この性格はちょっと。
直に彼を知る者たちならみんなそう言うだろう。
「そっちはさりげにひどいよね。さんは医者になるんでしょ?」
「違うよ。医学部に受かっただけ」
は推薦入試で早々と進学する大学を決めていた。
進路を決めた時期は遅かったが、もともと成績は良かったため、小論文と面接を練習するだけでなんとかなった。
卒業に関連する委員や係りは、年度初めに決める普通の委員などとは違い、卒業間近になってから決められる。
それは多くの生徒がそれに取り組むべき時期にまだ受験を控えているからであり、それらの委員会や係りは基本的に先に進路が決まった者たちから選ばれた。
や名取の他にも進路が決まった者たちは数人いるが、彼らもまた卒業アルバムや卒業記念品の担当に回されている。
「医学部にいったら医者になったようなものでしょ」
「全然違うよ」
医者になるには6年間必死に勉強して、なおかつ国家試験に受からなくてはいけないのだ。
医学部に入っただけで簡単に医者になれるなんて思わないでほしい。
そんなことを考えながら、はふと同じくシャープペンを持っている名取の手に目を向けた。
「あれ、名取くん刺青なんていれてたっけ?」
名取の手にある、トカゲのような刺青。
「え?」
だめだよ、刺青をいれる器具は清潔とは限らないんだから。
肝炎とかに感染する可能性だって……。
名取が驚いた様子なのも気にせず、そこまで言い掛けて、は突然なにか思いついたように言葉を止めた。
そしてことりと首を傾げる。
「あ、もしかしてシール?」
よくよく考えてみれば、名取は爽やかさを売りにする(予定らしい)芸能人。
それならば刺青はだめだろう、イメージ的に。
「いや、これは……」
名取が言い掛けた瞬間、手の甲のトカゲのような模様がもぞりと動いた。
「うわっ」
が驚いたような声をあげる。
まずい、と思い、とっさに左手の甲を右手で覆い隠した名取だったが、が怯えている様子はなかった。
むしろ興味深そうにこちらを見ている。
どうやら、この痣が突然動いたことに単純に驚いただけのようである。
興味深そうにされるのも複雑な気持ちではあるが、怯えられるよりはずっといい。
それが分かると急に安心して、今更ながら彼女はもうちょっと可憐な悲鳴をあげられなかったのだろうかと考えてしまった。
「え、なにそのシールどうなってるの?」
「いや、シールじゃないんだけど。ていうかさんこれ見えるの?」
「見えるけど……え、もしかして普通は見えないものなの?」
「と、オレは認識してたんだけど」
「そっかぁ」
「反応薄いなぁ」
「いや、だって反応に困る……目が3つあるオバケに遭遇したならまだしも」
「目が3つのオバケはまだ見たことないなぁ」
「あ、わたしはあるよ」
江戸時代でね。
心の中でこっそり付け足す。
「え、本当に!? 驚かなかったの!?」
「そりゃあ驚いたよ。おもいっきり悲鳴あげちゃった」
「大丈夫だった?」
「うん、意外といいやつだったよ」
わたしが道に迷ってたら目的地まで案内してくれてさ。
しかもべっ甲飴までもらっちゃった。
「え、なに、そのフレンドリーな感じ。三ツ目と友達なの?」
「うーん、友達っていうほど親しくはなかったけど」
1回会ったきりだし。
そういえば、現代に戻ってきて、妖を見掛けることがすく少なくなったように思う。
鳴家とかあんなにたくさんいたのに、どこに行っちゃったんだろう。
「あ、さん、ナース服を着せたいひとランキング1位だね」
紙に正の字を書きこみながら、名取はさりげなく話題変えた。
卒業文集委員のふたりは、事前にクラスメイトにアンケートを取っていた。
それはカッコイイひとランキングとか、いいお母さんになりそうなひとランキングとか、そういった類のもの。
中にはちょっとおかしなランキングもあって、それは今名取が挙げたようなものだった。
「なにそれ……ていうか三河くんの方が票多いじゃん」
「あいつはネタでしょ。実質的にはさんの方が多いって」
「まあどっちでもいいけど」
どうせ文集の方には三河くんの名前を1位に載せるんだし。
それに、順当にいけばが着るのはナース服ではなく白衣の予定である。
「名取くんはカッコイイひとと彼氏にしたいひとランキング1位なのに、旦那さんにしたいひとランキングでは順位低いね」
みんな正直だね、とがいうと、名取はあからさまにへこんだ。
「それ実は結構気にしてるんだけど……」
うなだれて机に突っ伏してしまった名取に、は苦笑する。
「まあいいじゃない、名取くんばっかりトップじゃ他の男子が浮かばれないし」
旦那さんにしたいひとの順位くらい譲ってあげても。
その言葉に、名取はがばりと起き上がった。
「……それもそうだね!」
実に単純である。
さんは誰に入れたの?」
「うん?」
「ランキング」
「ああ、カッコイイひとなら名取くんに入れたよ」
名取の問いに、はあっさりと答える。
べつに隠すようなことでもない。
「彼氏にしたいひとと旦那さんにしたいひとは?」
“カッコイイひとなら”ということは、他の項目は別のひとに入れたのだろう。
そう思って名取が聞くと、これもまたためらわずには答えた。
「どっちも和泉くんに」
さん、和泉みたいなのがタイプ?」
和泉が好きなの? と直接的な尋ね方はあえて避けた。
は首をかしげる。
「うーん、和泉くんがタイプっていうか、似てるんだよね」
「似てる?」
「うん、わたしの好きなひとと和泉くんがね、似てるの」
元より、誰一人としてそういった対象として見ていないのだ。
が想うのは、相見ることかなわぬただひとり。
「……そっか」
なんとなく沈黙してしまってから、名取は言った。
「あのさ、さん」
「ん?」
「……いや、ごめん、やっぱりなんでもない」
「そう?」
変な名取くん。
そう笑った彼女に、名取も笑った。





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20110214