彼女の身体は、冷たい雨に打たれているにも関わらず、ひどく熱かった。





江戸薬師考





目を覚ましたとき、はしばらく自分がどこにいるのか分からなかった。
薄暗い部屋の中で、時間を探ろうとする己の右手が無意識に枕元をぱたぱたと彷徨う。
「…………?」
だが、いつまで経っても目的のものが掴めない。
はぼんやりとした表情で、うつ伏せの状態から上半身を僅かに起こした。
「…………」
目覚まし時計が見当たらない。
枕元に向けていた視線をぐるりと部屋全体に向け、はようやくここが自分の部屋ではないことに気付く。
「……長崎屋?」
はて、なぜ自分はこんな所にいるのだろうか。
寝ぼけた頭で考えてすぐに答えが割り出されて、は枕元に突っ伏した。
「ああ、」
わたし、倒れたんだ。
真っ暗な森の中を仁吉に手を引いてもらいながら歩いていて、鬱々とした会話をした気がするけれど。
……あるところから、記憶が無い。
「仁吉さん……」
ここまで運んでくれたんだ。
少しの嬉しさと、多大なる申し訳なさに、頭を抱える。
ああ、わたしってば、なんという失態を。
は思わず唸り声をあげながら、けして柔らかくはない木製の枕に額を押しつける
すると、突然、部屋の襖が音をたてて開いた。
はっとして思わずそのままの体制で固まっていると、頭上から涼やかな声。
「なんという体制で寝てるんですか、あなたは」
「……仁吉さん」
「おはようございます。気分はどうですか? 先生」
「……おはようございます。あー……なんというか、その、すみません」
あまりのいたたまれなさにが思わず謝罪の言葉を口にすると、仁吉はその美しい眉を寄せた。
「誰が謝れと言いましたか、誰が。あたしは体調を聞いたはずですが?」
「良好です。問題なしです。すぐに帰る準備をしますね」
居心地の悪いは早口でそうまくしたてると、さっさと掛け布団をよけて立ち上がろうとした。
だが、

ぐらり。

「あ、れ……?」
視界が、回った。
ふらりとよろけたを、湯飲みの置いてある盆片手に仁吉が慌てて支える。
「……良好?」
皮肉っぽく囁かれた仁吉の言葉に、は引きつり笑いを浮かべた。
「ええと……大丈夫だと思ったんですが、ねぇ」
「床に戻って下さい」
「……はい」
とっさに取り繕った言い訳は、仁吉にばっさりと切り捨てられた。
はうなだれて、おとなしく布団の中に戻る。
「まったく……医者の不養生とはよく言ったものですね。日常の生活が悪いから、少し雨に打たれたくらいで倒れるんですよ」
「……すみません」
あれ? それは違くない?
確かにお世辞にも規則正しい生活をおくっていたとは言えないけれど、あれだけ雨に打たれれば、誰だって風邪くらいひくはずだ。
そう思ったけれど、はそれを口に出さなかった。
口下手な仁吉が、それでも心配してくれているのだということが、分かってしまったから。
「ほら。先生、これを飲んで下さい」
の横に膝をつき、そう言って仁吉が差し出してきたのは、湯飲みに入った白湯と、さくらんぼほどの大きさの球体だった。
……ただし、妙な香りがして、色はドブ川のようだったが。
「……?」
なんとなくこれがなんだか予想できたは、引きつった表情を浮かべながらもとりあえず首を傾げてみせた。
すると、にやりと仁吉が意地の悪い笑みを浮かべる。
「熱冷ましの生薬ですよ。匂いは少々悪いですが……コホン、よく効く薬ですので」
「え……あのぅ、わたしが飲むんですか?」
「当たり前です」
おそるおそる訪ねたに、仁吉は大きく頷く。
他に誰が? とこちらを見た彼に、は、ですよねー、と溜息を吐きながら返した。
まさか自分の診療所までまずくない薬を取りに行ってくれとも頼めないだろう。
小さな子供じゃあるまいし、薬が嫌いなどと喚くわけにもいかない。
は覚悟を決めて、その妙な色と香りのする丸薬を口の中に放り込んだ。

次の瞬間、口から蛙が潰されたような悲鳴をあげそうになるのを、恋する乙女であるはなんとか押さえ込むのであった。





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20090710