「あなたが、仁吉か」
「いかにも」
ぴりりとした空気が部屋を支配した。
ふたりの男が睨み合っているのをよそに、鷹成の意識が仁吉に向かっているうちにとはそそくさと自由に動く指先だけで着物の襟を合わせる。
そうしてからさりげなく仁吉の様子を探れば、ふいに仁吉はの方を見やり、ふたりの視線はばちりと重なった。
思わず肩を揺らしたに、仁吉は眉を寄せ、もう一度ちらりと鷹成の方を見る。
を組み敷く鷹成を睨めつけ、一言。
「さて、そろそろ先生を返していただきましょうか」
再び、火花が散った。





江戸薬師考





仁吉の行動は、さすがに速かった。
大股でと鷹成の方に近づいたかと思うと、仁吉は目にも止まらぬ早さでを鷹成の下から引っぱり出したのだ。
それを止めようと鷹成はの方に手を伸ばしたが、人間が妖の速さに勝てるはずもない。
一瞬の出来事にが目を白黒とさせているうちに、仁吉はさっさとに付けられていた手枷足枷まで外してしまった。
いったい鍵も使わずにどうやったのだろう。
かちゃりと音をたて、手枷が畳に落ちる。
「おまえ、何者だ!?」
「しがない商人ですよ」
いきり立つ鷹成に、仁吉はにこりともせずに答えた。
鷹成がなにかを叫んだが、仁吉は気にせずの方を向き、尋ねる。
先生、お怪我は?」
「い、いえ……どこにも」
「この男になにかされて……」
そこまで言い掛けて、仁吉は言い直した。
「まだ、なにもされてませんね?」
「ええ、仁吉さんのおかげでなんとか」
小さく頷いて答える。
はだいぶ冷静さを取り戻し始めていた。
相手が人間である限り、仁吉が傍にいればまず安全だ。
「それでは、早くこんな所を出て、江戸に戻りましょう。若だんなが心配していますよ」
「……はい」
思うところは、それなりにある。
けれど、彼の言う通りにするのが今は最善の道に思えた。
頷いたに、仁吉はめったに見せない穏やかな微笑みを浮かべ、そっと彼女の手を取る。
しかし、鷹成もそれを黙って見ていたわけでは無かった。
「陸陽、陸陽! どこにいる!?」
そう叫びだした鷹成に、仁吉の顔色が変わる。
「仁吉さん?」
「……いえ」
気付いたが呼び掛けると、なんでもない、というように仁吉は返事を返した。
だが、仁吉が周りを警戒する気配を僅かに感じ取ってしまい、不安になる。
次の瞬間、部屋の空気ががらりと変わった。
「うるさい、そんなに叫ばなくとも聞こえておるわ」
現われたのは、秋に実る稲穂ような金色の髪を持った男。
冷たい空気を漂わせて、煩わしそうに鷹成を見やる。
ああ、昼間に見た男だ、とはぼんやり考えた。
「陸陽、」
「まったく、寝ているところを起こしおって」
陸陽の表情が、不機嫌そうに歪められる。
鷹成がなにかを言おうと口を開いた瞬間、ぞわり、と背筋をなにかが這い上がるような感覚がした。
「な……」
ぐらり、と鷹成の身体が傾く。
「陸、陽……おまえっ……」
ばたん、と人間が畳に倒れこむ音。
ごほっ、という咳と共に、鷹成の口からは真っ赤な血が吐き出された。
はぎょっとして目を見開く。
「鷹成様!?」
先生」
思わずそちらに駆け出しそうになったを、仁吉の手が止めた。
ははっとして動きを止めるが、それでもまだどうするべきか迷っておろおろと視線を彷徨わせる。
「娘よ、無駄だ」
「え……?」
意外にも、のその行動を止めたのは陸陽だった。
不思議そうに自分を見上げるに、陸陽は無表情に言葉を続ける。
「その男は、もう助からん」
「なにを、」
なにを言っているのだというの問い掛けは、最後まで紡がれなかった。
「とうに、限界など超えているのだよ」
「どういう、意味、ですか……」
声が震える。
聞きたくない。
けれども聞かなくてはいけない。
その先にあるものが、けして己に希望を与えるものではないとは分かっている。
だが、
「その男は、鷹成は、病に侵されている。娘、おまえが出会うよりもずっとずっと前からな」
ひやり、と血の気が引いていく。
(ああ、わたしはあの時、)
「……なんの、病気です? 薬で……」
冷静さを、保とうとした。
だが、そのぎりぎりの所で紡いだ言葉に返ってきた答えに、容赦というものは含まれていなかった。
「無駄だと言ったはずだ。その男は間もなく死ぬ」
「どう、して……、そんなの、」
やってみなきゃ、分からない。
「娘よ、おまえには治せんよ。たとえ未来の薬をもってしても、な」
「!」
「未来……?」
訝しげに眉を寄せたのは仁吉だった。
それに気付いた陸陽は、心底面白そうにの方を見やる。
「ほう、白沢殿は知らなんだのか」
「なに……!?」
いったいなんの話だ、と仁吉が陸陽に詰め寄ろうとした、そのとき。
一際酷く、鷹成が咳き込んだ。
口元を押さえる彼の手元は、真っ赤に染まっていた。





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20090112