「さて、どうしたものかねぇ」
うーん、と唸った若だんなの横で、仁吉も佐助も溜息をつく。
がなんらかの事件に巻き込まれたのは確かだが、その事実以外はなんの情報もなく、若だんなたちはほとほと困り果てていた。
「せめて、目撃したひとがいればよかったのだけど」
仁吉と佐助が江戸の町を一日かけて聞き回ったが、めぼしい情報は何も得られなかった。
これでは、の身に何が起こったのかさえ分からない。
今度は若だんなが溜息をついた。
瞬間、
「困っているようだの、若だんな」
聞き覚えのある声が聞こえて、若だんなたちはそちら方向に振り返る。
そしてその人物の姿を認めた瞬間、三人は同時に声をあげた。
「見越の入道様!?」





江戸薬師考





六条鷹成は、ここ数年で急速に力を持ちはじめた公家であった。
落ちぶれかけていた六条家を、なんの後ろ楯もなく一代で立て直した鷹成。
たいそう才のある人間だと世間ではもっぱらの評判で、縁談の話など引く手あまたのはずだった。
「なぜ、わたしなんです?」
今なら、有力貴族の娘とでも婚姻関係を結べるだろうに。
わざわざ庶民の町医者をやっている自分などを妻に迎えて、いったいなんの得があるというのだろうか。
、私が恋しいと思うのは君だけなのだよ」
心から愛しいと思う女を手に入れらずに、権力などなんの意味がある?
おおよそ一代で家を立て直した人物の言うこととは思えない台詞に、唖然とする
と、そのとき、なんの前触れもなく部屋のふすまが開いた。
「おや、姫君はお目覚めか」
「陸陽(りくよう)」
咄嗟に、は入り口の方へと目を向けた。
立っていたのは、若い男。
年は二十二、三くらいで、鷹成と同じほどだろうか。
驚くほど見た目の美しい男であったが、が一番驚いたのはその髪の色だった。
光輝くような、金色。
長い金糸の髪はさらさらとなびき、肌は白磁のように白かった。
異人かと思えば、日本語を話すその口調は流暢で、とてもよその国の者だとは思えない。
いったい、何者だ?
部屋に入る前に一言くらい声をかけてくれ、とごちた鷹成を気にした様子もなく、陸陽と呼ばれた男は身動きのとれないの前までやってくる。
男の一挙一動を逃すまいと、は黙ってその動作を見ていた。
「初めて目にかかるな、鷹成の姫君」
ゆったりと笑って、を見下ろす。
「我が名は陸陽。今のところは、この男に仕えている」
どこからか取り出した扇で、すっと鷹成の方を指した。
“今のところは”と言った陸陽の台詞に引っ掛かりを覚えながら、は無言を貫く。
ふっ、と陸陽が笑った。
「なかなかに賢い娘よの、鷹成」
を見てから、同意を求めるように鷹成の方を向く。
「私の愛する女性ですから」
誇らしげに、鷹成が頷いた。
陸陽がにやりと笑う。
彼は視線をの方に戻すと、持っていた扇をの顎にかけ、くい、と上を向かせた。
男の無礼なその態度に、は思わず眉を寄せる。
そんなの表情を、陸陽は愉快そうに眺めた。
「このような状況下で、騒ぎもせず、冷静に物事を判断している。なかなかできぬことだ」
普通のおなごはうるさくてかなわん。
そう吐き捨てた陸陽を、鷹成が軽く睨む。
「陸陽、それは私のだ。気安く触らないでほしい」
「ほう?」
そんな鷹成の様子を面白がるように、陸陽は口を開いた。
「では聞くが、今のおまえがあるのは誰のおかげだ?」
「! それ、は……」
鷹成が息を呑んだ。
気まずそうに視線を彷徨わせて、拳を握る。
そんな彼を嘲るかのよに、陸陽が笑った。
「私の物は、おまえの物。おまえの物は、私の物。そうだろう? 鷹成」
「…………」
問われた鷹成は答えない。
ただ悔しそうに身体を震わせ、やがて拳にこめていた力を抜いた。
「忘れるでないぞ、鷹成。おまえがいかにしてここまで上り詰め、多くのものを手に入れてきたのか」
はやはり黙ったまま、彼らの会話に耳を傾けていた。





「狐?」
「うむ。荼枳尼天様の眷属でな。善狐は善狐なんじゃが、少々性質の悪い善狐で」
狐霊は大きく分けると、野狐と呼ばれる野良と、善良だと言われている善狐に分かれる。
野狐といえど人間に危害を加えない野狐はいるし、また、善狐といえど性質のよろしくないのもいる。
今回は、後者なのだそうだ。
「それで、その狐が先生をさらったというのですか?」
真剣な表情で、若だんなが訪ねる。
「命じたのは別の人間の男だがの。……しかしまあ、そう命じるように唆したのはその狐じゃ」
命じられた狐は、部下を使ってを男の元まで運ばせたそうである。
そこまで聞いて、若だんなはなんだか嫌な予感がした。
先生は、なぜ攫われたのでしょうか」
「さあの。じゃが、身代金の要求もないとすれば、男が女を攫う理由など限られてくるじゃろうて」
さすがに意味を理解したようで、若だんなの顔からさあーっと血の気が引いた。
「た、助けにいかなきゃ!」
「若だんな、落ち着いて下さい!」
立ち上がろうとした若だんなを、仁吉が慌てて布団に押し戻した。
……そう、布団に、である。
の消失にショックを受けて、若だんなは丸一日寝込んでいたのだ。
「体調が優れないのですから寝ていて下さい。だいたいにして、その狐の居場所は分かっているんですか?」
前半の言葉は若だんなに、後半の言葉は見越の入道に向けたものだ。
「うむ。居場所は分かっておる」
見越の入道が頷いた。
「いったいどこです?」
「京じゃ」
「京!?」
仁吉が尋ねて、見越の入道が答える。
若だんなから悲鳴があがった。
京へ行くには、通常の人でも平均十三泊十四日かかる。
さて、体の弱い若だんながそこへ行くにはどれほどかかるのか。
先生が攫われてから、まだそんなに経っていないように思うのですが」
冷静な仁吉の疑問に、若だんなははっとする。
そうだ、が消えてからまだ五日ほどしか経っていないではないか。
なぜ、彼女は京に着いているのだろう。
「おそらく、もののけ道を使ったんじゃろ」
「ははあ、なるほど、もののけ道ですか」
「もののけ道?」
頷いた妖二人に、首を傾げる若だんな。
「文字通り、物の怪たちが通る霊道ですよ。道を知るもののけならば、普通の道を歩くより何倍も早く目的地に辿り着くことができますし、道を知らぬ人間が迷い込めば、そこから出られなくなることもあります」
若だんなの疑問に、仁吉が答えた。
なるほど、とようやく若だんなも頷く。
「もののけ道を通れば、すぐに先生を助けに行けるんだね?」
「熱のある若だんなを家から出すわけにはいきません!」
今にも布団を抜け出してを助けに行きそうな若だんなを、佐助が制した。
がいないと若だんなの調子が悪くなるから彼女を助けようとしているのであって、そのことによって若だんなが倒れるのでは本末転倒である。
「でも!」
早く助けにいかないと先生が!
酷く取り乱した様子で叫んだ若だんなの横で、仁吉が溜息をついた。
「……分かりました」
覚悟を決めたように言葉を発した仁吉に、え? と若だんなが動きを止める。
「おい仁吉、まさか若だんなが旅に出ることを許すつもりじゃないだろうな」
「まさか」
訝しむように問い掛けてきた佐助の言葉を、仁吉は即座に否定した。
一瞬期待した若だんなの顔に、落胆の表情が浮かぶ。
そんな若だんなをまっすぐと見据えて、仁吉は口を開いた。

「京へは、あたしが行きましょう」





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20081201