瞼が重い。
まだ睡眠を貪っていたい。
けれど、頭のどこかで早く起きろ早く起きろと警鐘が鳴り響いていた。
うっすらと目を開けて、何度か瞬く。
どこかの部屋にいるようで、鼻には畳の匂いが届いた。
部屋は薄暗く、日はだいぶ傾いているようだった。
「ここ、どこ……」
「目が、覚めたかい?」
独り言となるはずだった呟きに声が返ってきて、はぎくりと固まった。
横向きに寝ていた状態から、そろりそろりと首だけを動かして、声の主の方を振り向く。
そこにいた人物の正体に、は一瞬声を失った。
数度唇だけを動かして言葉を紡ごうとするが、声が出てこない。
何度かそれを繰り返して、ようやく出てきたの声はかすれていた。
「鷹成、さま……?」
「会いたかったよ、」
状況に似つかわしくないほどの穏やかな微笑みに、背筋が凍る。
そこにいたのは、がこの時代にきて初めて治療を施した人物、六条鷹成であった。
江戸薬師考
「痛っ、」
とりあえず、と、身を起こそうとした瞬間手首に走った痛みに、は顔を顰めた。
咄嗟に自分の手に視線をやって、目を見開く。
「な、にこれ……」
手首に、手枷がはめられていた。
木製のそれに開く2つの穴には、ぴっちりと隙間なく自分の手がはまっている。
いうまでもなく、鍵はしっかりと施されていた。
今の体制からは見えないが、足の方も同様のようで、うまく身動きがとれない。
最悪だ。
仕方無しに腹筋だけで起き上がって、不自由にまとめられた手を畳についた。
身体にかけられていた美しい刺繍の打ち掛けが、ぱさりと音をたてて膝元に落ちる。
ゆったりと座っている鷹成の方に今度は体ごと振り向いて、は口を開いた。
「鷹成様、これはいったい、どういうことですか」
どうして、わたしはここにいるのですか。
どうして、こんな仕打ちをなさるのですか。
わけが、わからない。
酷く困惑した様子で尋ねるに、鷹成は、ふ、と笑った。
それはけしてを嘲るようなものではなく、かといって微笑みかけるようなものでもなく。
しいていうのなら、それは今の状況に対しての恍惚とした笑みだった。
ゆっくりと、鷹成は口を開く。
「、きみはこれから、私の妻になるのだよ」
どこまでも優しく、いとおしむような声色には固まった。
なんだか今、とんでもないことを言われた気がする。
「妻……?」
訝しむようなの声に、鷹成は優美な笑みを浮かべた。
こんな状況でもなければ、も頬を染めるくらいはしただろう。
しかし、あくまで現状は異様だった。
には、頬を染める余裕も、笑みを返す余裕もない。
ただただ、化け物にでも出会ったかのような表情で鷹成を凝視する。
いったい、鷹成はそんなの様子をどう思ったのか。
「身分のことなら、心配いらない。橘家が、いったんきみを養子にしてくれることになったから」
そんな心配なんかしていない。
問題なのは、どうして急にそんな話になったかだ。
まるで見当違いな鷹成の台詞に、ますます眉を寄せる。
そんなにしわを寄せたの眉間に手を伸ばして、鷹成は優しくそこを撫でた。
「。どうやら私は、病にかかっているようなんだ」
一見、唐突とも思える鷹成の台詞。
「やま、い……?」
それに返すの声が震える。
まともな言葉が紡げない。
それでも、おそるおそる鷹成と目を合わせて、続きの台詞を促す。
「そう、きみにこの病が治せるかな、」
いったいどのような病にかかっているというのか。
少なくとも、1年ほど前は風邪くらいしか患っていなかったはず。
その風邪だって、が与えた風邪薬によって完治したはずだった。
まさか、ただの風邪じゃなかったとか?
それとも、また新たな病を患ったとか?
ぐるぐると、頭の中で様々なことを考えるが、そんなものはたいして意味を成さない。
そして、鷹成が答えを告げた。
「私はね、恋という名の病にかかっているんだ。きみが、愛しくていとしくて仕方がない。
ねえ、きみはどうやって私のこの病を治してくれる?」
「先生が、消えた……?」
震える声で、今にも卒倒しそうな若だんなに、仁吉はやはりこのことを若だんなに話すべきではなかったかもしれないと苦い顔を作った。
そのことに敏感に気付いた若だんなは、慌てて表情を取り繕う。
ここで話を止められたのではたまらない。
余計具合が悪くなりそうだ。
「先生が消えたって、どういうことなんだい? 仁吉」
「それが、」
続きを話してもいいものかと、仁吉は渋る。
若だんなには余計な心労を掛けさせたくない。
だがしかし、を大切にしている若だんなのことだから、ここは意地でも引かないだろう。
最悪、仁吉が教えてくれないのならと自分で調べ出しかねない。
それは困る。
最初にこの件を口にしてしまった時点で諦めるべきか。
「じつは、」
はぁ、と小さな溜息をついてから、仁吉は渋々ことのあらましを話しはじめた。
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20081012