江戸薬師考





先日、まとまった収入が入った。
江戸においてのわたしの仕事はなんちゃって町医者(ぶっちゃけ二十一世紀の市販薬を処方している程度)だが、これが結構評判で、連日多くのひとがわたしのもとを訪れる。
わたしは貧しい人からはお金をもらわない。
かわりに、お金持ちからたっぷり巻き上げることにしている。
これはアレだ。小説やら漫画やらテレビの影響。
(だってカッコイイじゃないか)
動機は不純だが、江戸の町のみなさんには感謝されているのである。
さて、まとまった収入に話を戻そう。
今回大いに貢献してくれたのは、この江戸の大商家、長崎屋。
そこの若だんなが江戸患いになったらしい。
江戸患いの正式名は脚気。
脚気とはビタミンB1が欠乏したときに発祥するもので、二十一世紀の日本ではめったにお目にかかることがなくなった病気だ。
それでも、この時代ではまだ病気の原因も治療方法も発見されていないから、かかればあっというまに死に至る。
わたしは医学を専門的に学んだわけではないから、対応したことのない病気の患者がくるたびに不安になるが、まあ今のところはうまくやっている。
ちなみに、例の長崎屋の若だんなには某有名健康食品会社のサプリメントを処方した。
二十一世紀では千円ちょっとのそれだったが、江戸の大金持ちに売ることによって十両というとんでもない金額になるのだから驚きだ。
(自分でふっかけたのだから驚きも何もあったものではないのだけど)
…………というわけで。
久々に大金を手にしたわたしは、江戸の町に繰り出していた。
もちろん、十両丸々持ち歩くなどという馬鹿な真似はしない。
一両だけを匁などの細かいお金に崩し、残りは二十一世紀の自宅に置いてきた。
江戸のものを現代で売ればそれは高く売れるだろうが、そう安易に売ることができるものではないので、江戸のものは江戸で使うようにしている。
今日、わたしが一番欲しいと思っているのは新しい着物だ。
前にも一度、とあるお公家さまを診療したときに大金は得てるのだが、それは診療所を作るのに使ってしまった。
今着ている着物は、祖母が若い頃に着ていたものである。
それなりに古い時代のものであるが、江戸の町中ではやや浮いてしまう。





「へい、いらっしゃい」
呉服屋に入ると、威勢の良い挨拶をもらった。
平成であれば、暗い色の着物を着た女性が静かに「いらっしゃいませ」などと言うものだが、さすがは江戸である。
こんにちは、と控えめに返事をして、わたしは店に足を踏み入れた。
「わあ……綺麗」
紅梅。蘇芳。浅黄。
色とりどりの着物は、とても美しかった。
今日訪れたのは、江戸に住む若い娘さんたちに近頃人気の呉服屋だ。
患者さんとして診療所にくる娘さんたちに、どこのお店がお勧めか前々から聞いていたのである。
この店は、良心的な値段で質の良いものを売っているということだった。
「あら、先生もいらしてたんですね」
若い女性の声。
振り向くと、そこにいたのは先日風邪をひいたといって診療所にやってきた女性だった。
ちなみに彼女も、この店を勧めてくれた娘さんのうちのひとりである。
「勧められたのでさっそく来てみたんです。……お志乃さん、風邪はよくなられたんですね」
ええ、おかげさまで、とお志乃さんが笑う。
ここお店、素敵な品ばかりでしょう? と続けた彼女に、素敵な品ばかりで迷ってしまいますね、と返した。
「先生、よろしければ見立てをお手伝いいたしましょうか」
良い品ばかりで目移りしているわたしの様子が気になったらしい。
「……そうですね、お願いしてもいいですか?」
お志乃さんがそう言ってくれるので、お願いすることにしてみた。
彼女は嬉しそうに笑う。
あれこれとわたしに色々な布を当てては考え込むお志乃さん。
何故か途中から店主も一緒に考え出して、最終的に候補は五つまで絞られた。
五つの反物とは別に、既にひとつ白い羽織を作ってもらうことが決まっている。
白衣に見立てたそれは、仕事の時に羽織るつもりだった。
「さて、どれがいいかしら」
最終候補の五つの反物は、店主とお志乃さんが選び抜いてくれただけあって、どれも魅力的だ。
お金はあるから、五つとも買っても構わないといえば構わないんだけど……。
どうしようかな、と本気で悩み始めたとき、
「おや。お悩みですか、先生」
聞き覚えのある声に、振り向く。
どうやら今日は知り合いとの遭遇率が高いようだ。
聞き覚えはあるが誰の声だろう、と相手の顔を確認した瞬間、わたしは固まった。
「な、長崎屋の手代さん。こんにちは……」
愛想笑いさえ浮かべずに挨拶を返してきた男に、わたしは一瞬顔を引きつらせる。
だがすぐに顔中の筋肉を働かせて、わたしはなんとか笑みを浮かべた。
彼から(正しくは長崎屋のだんなから)巻き上げたお金で着物を買いに来ていたので、ここで彼に出くわすのはなんとも気まずかった。
無論それ以外にだって収入はあったので、そのお金を使ってるかどうかなんて彼が知るはずもないのだが……。
「今は懐があたたかいんですから、五つとも買ってしまえばよろしいでしょうに」
ひいぃっ!
自分からあれだけ巻き上げたんだから金はあるでしょう?
暗に言われた気がして、わたしは内心悲鳴をあげる。
こっちだって将来のことを考えてやりくりしてるのだ。
長崎屋と一緒にしないでほしい。
思っても、口には出せない。
話を逸らすべく、わたしは(たぶん引きつってたと思う)笑顔を貼り付けたまま、口を開いた。
「そちらは、想い人への贈り物でも選びに?」
「いえ、若だんなに新しい羽織でもと」
あ、そうですか。
なんて返して良いか分からず、わたしは中途半端な笑みのまま、目の前の反物に目を戻す。
さっさと決めてしまって、早く帰ろう。
そう思ったのだけれど、どれも可愛らしくてわたしはなかなか決められずにいた。
物事をすぐに決められない人間ってダメなんだっけ……?
いつだったか立ち読みした本の内容を思い出し、軽く落ち込む。
もういっそ彼の言うとおり五つとも買ってしまおうか。
ふう、と息をついて、口を開きかけた時、
「いくつに絞りたいんです?」
「へ? ……み、みっつ……かな」
突然掛けられた声に驚きながらも答える。
すると彼は、目の前にあった五つの反物を全てわたしにあててみて、
「それじゃあ、これとこれとこれにしなさい」
と、さっさと三つ選んでしまった。
「え、……あの、」
「何か文句でも?」
「い、いえ、ありません」
わたしが唖然としている間に店主が近寄ってきて、それじゃあ早めに仕上げますね、なんていって話を進める。
長崎屋の手代である彼も、若旦那の上着とやらの柄をさっさと決めて店から出て行ってしまった。
「な、なんだったの……?」
若干放心状態のわたしに、はっとしたようにお志乃さんが近寄ってきて口を開いた。
先生、仁吉さんとお知り合いだったの?」
「仁吉さん?」
「ええ。今の方、仁吉さんとおっしゃって、若い娘の間では人気なんですよ」
かくいうお志乃さんも彼のことが気になるのだろう。
少し頬を染めつつ、ご存知なかったんですか!? なんて聞いてくる。
わたしがこの江戸を訪れたのは三ヶ月ほど前だ。
この町についてはまだ、知らないことの方が多い。
しかし詳しい経緯を目の前の前の彼女に話すわけにもいかず、わたしはただ曖昧に笑ってみせた。





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20071128