「うわあ……おいしくなさそうですねぇ」
きゅっと眉を寄せて、は仁吉と佐助の手元を交互に見た。
彼らの手の中には、見越の入道様から頂いたという貴重らしい霊薬と、天狗が姥山の狢(むじな)に与えたのを分けてもらったらしい水薬とがある。
それだけでたいそううさんくさい話だが、彼らが妖であることを考えたら本当のことなのだろう。
しかし、が若だんなの主治医になる前からそういったものを飲ませていただろうに、若だんなが健康にならなかったのはなぜだろうか。
とてもよく効きそうなのに。
人間は嫌いな食物を食べると、それが元々持っている栄養の半分以下しか栄養を摂取できなくなるというから、もしかしたらそれが原因かもしれない。
顔を近付けただけで目に染み、涙がぼろぼろとこぼれてくるその薬を見つめながら、はひとり心の中で頷いた。





江戸薬師考





先生、どうにかして若だんなにこれを飲ませる手立てはありせんかね」
先生、どうにかしてこのふたりに薬を飲ませるのをやめさせる手立てはないのかい」
仁吉が言ったあと、すかさず若だんながそう言ったので、はうーんと唸った。
どちらの気持ちも、よく分かる。
自分が若だんなの立場だったら、こんな飲んだだけで昇天してしまいそうな物体は飲みたくない。
しかしまた、効き目がありそうならどんな薬にでもすがりたいと思う手代たちの気持ちも当然のものだった。
「わたしにはなんとも」
人間が手に入れられるものならともかく、神様だの天狗だのに出てこられては手の付けようが無い。
は審判役を放棄した。
にまで見放され、手代二人の顔に焦りが浮かぶ。
そして、今度は褒美で若だんなの気を引く作戦に出た。
「若だんな、薬を飲んで下さいな。治ったら芝居に行けるように手配しますよ。市川団十郎が新作をやりますよ」
「良くなったら、染井に菊の花を見に行きませんか? そりゃあ綺麗ですよ」
普段、若だんなが外出するのにいい顔をしない手代たちからしたら、ものすごい譲歩だ。
しかし、それでも若だんなは頑として薬を飲もうとはしなかった。
先生の薬だけでは、だめなの?」
「それは熱を下げるだけの薬だと、先生がおっしゃっていたじゃないですか」
愚痴にも近い若だんなの台詞に、仁吉がそう返す。
若だんなはそっぽを向いた。
「駄目ですか。並みのことでは気力が出てこないという訳ですね」
佐助は妙にぴしりと姿勢を立て直した。
そしておもむろに寝ている若だんなを覗き込むと、こう切り出す。
「この丸薬とそっちの水薬両方飲めたら、あたしが取って置きな話をしてさしあげましょう。なに、仁吉の失恋話ですがね」
「おい、佐助!」
(…………え?)
驚いた仁吉が気色ばんで止める横で、は思わず固まった。
仁吉さん、好きなひとがいたの?
若だんなを溺愛していて、己に心を寄せる女たちなど少しも興味がないというような仁吉さんに?
固まった姿勢のまま、ちらり、と仁吉を盗み見る。
どうやら若だんなもまた仁吉の失恋話の餌に見事食らい付いたらしく、薬を飲み干したようだった。
仁吉は佐助に面白可笑しく語られるよりは自分で暴露する方がましだと覚悟を決める。
「始まりは……そう、千年も前のことでしょうかね」
仁吉は湯飲みを手にとると、おもむろに話し始める。
ああ、そういうえば彼は齢千年を超える大妖だった。
なんとも複雑な思いになりながら、は仁吉の話に耳を傾けた。





話をまとめれば、仁吉のかつての思い人は皮衣様という大妖とのことだった。
つまりは、若だんなの祖母君である。
彼女にもまた平安の世からの思い人がいて、けれども相手はただの人間で、何度も何度も男が生まれ変わるのを待っていたのだとか。
そしてやっと出会えたのが若だんなの祖父、伊三郎さんなのである。
仁吉は、そんな彼女をずっと傍らで見守ってきたらしい。
「仁吉はおばあさまに振られたんだ」
そう言った若だんなに、仁吉は照れくさそうに笑った。
その表情を見た瞬間、きゅっと胸が締め付けられて、あれ、とは首を傾げた。
切ないような、苦しいような。
彼の恋話にでも影響されたのだろうか。
それとも、
それとも……?
「…………っ」
それが何なのか気付いた瞬間、ははっと口元を押さえた。
どうしよう、どうしよう。
こんな言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
なんで、どうして。
先生?」
「、なんですか?」
若だんなは薬の効果なのか寝付いたらしい。
ふとの方を向いた仁吉が、声をかけてきた。
できるだけなんでもないように取り繕い、は笑みを作って返す。
「若だんなはもう寝てしまわれましたけど、診療所まで送っていきましょうか?」
「え? ……えーと」
しばしの、逡巡。
いつから、彼は昼間でも自分を送ってくれるような人間になったのだろうか。
その申し出に魅力を感じなかったわけではない。
けれど。
「……いえ、まだ明るいから平気です」
けれど、は仁吉の申し出を断った。
今日はこれ以上、彼の顔を見て冷静でいる自信がなかった。
そうですか、と仁吉は穏やかに頷く。
今さらながら、どうして彼はこんなに優しくしてくれるのだろうと思った。
若だんなの主治医だから?
いや、もしそうならば、最初の頃からこのような態度でも良かったはずだ。
少しずつではあるけれど、若だんな一筋であった仁吉がともうち解けているのは間違いないのだろう。
にとってそれは嬉しくもあり、なんとも切なかった。

ああ、わたしは、
わたしは、

(仁吉さんが、)

こんな気持ち、気付きたくなかった。
叶うはずもない、こんな不毛な想いになど。





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20080824