真昼の長崎屋にて。
一人の女が、神妙な面持ちで正座していた。
その隣に座る子供は、きょとんとした様子でその母親と、向かい合っているたちとを見比べる。
「そうら、この人がおまえの父親だよ」
そういって女が指さしたのは仁吉。
「……おっとさん?」
ぴしり、と空気が凍った。
その冷気を感じていない、問題の言葉を発した子供だけがゆるく笑う。
「あらまあ。仁吉さん、子供がいたんですか」
「女には興味ないふりして、やることはやってるんだねぇ」
どこか演技がかった様子で言うに、屏風覗きが悪乗りした。
仁吉の額に、青筋が浮かぶ。
「……あたしに子供がいるはずないでしょう」
のふざけた声によって解凍された仁吉は、ようやっと声を発する。
と屏風覗きは顔を見合わせ、にやりと笑みを浮かべた。
江戸薬師考
「仁吉や、私は仁吉に子供がいても怒りやしないよ」
「坊っちゃんまでそんなことを……違いますよ」
あたしの子じゃありません。
言い切った仁吉に、そりゃそうだろう、とは思う。
この若だんなを溺愛している妖怪が、よそで人間との間に子供を作ってくるはずかない。
仮に関係があったとして、子供ができるようなヘマはしなそうだ。
そもそも、若だんなは子供がどうやったらできるか知っているのだろうか、と余計なことを考えた。
「酷い人! あたしとは遊びだったんだね」
子供まで作っておいて! と泣き出す女を見て、若だんなが困ったような表情を浮かべた。
その表情のまま、顔を仁吉の方に向ける。
仁吉は不機嫌を絵に描いたような様子だった。
事態は、世の奥様方が見るという昼ドラさながらだ。
「なにかあたしの子だという証拠でもあるんですか。証拠でも」
「涼しげな目元がそっくり」
即座に母親が答えたので、その場にいた全員が思わずその子供の目をまじまじと見た。
子供は少し居心地悪そうに身動ぐ。
……似ているようには思えない。
涼しげな目元なんて、たんなる親バカだ。
元の時代に戻れば血液型やらDNA鑑定で一発なんだけどな。
残念ながら、市販薬を扱うだけのわたしにその技術はない。
「ほら、全然似てないじゃないですか。ねえ? 若だんな」
ざっくりと本音を述べた仁吉は、同意を求めて若だんなを見る。
「うーん……」
しかし若だんなはその母親の前ではっきりと似ていないとは言いにくいようで、言葉を濁した。
「くくく、あたしはその子供、仁吉さんにそっくりだと思うよ」
やたら楽しそうに言ったのは、屏風覗きだった。
とはいっても、それはどうやら本気で思っているわけではない様子で、ただたんに仁吉をからかおうとしているだけのようだった。
普段散々な思いをさせられているから、その仕返しのつもりなのだろう。
「ねえ、先生もそう思わないかい?」
同意を求められて、はぎょっとした。
そこで自分に振るか?
「さあ、まだ成長していない子供のことですから、なんとも言えませんねぇ」
子供とは成長するにつれて親に似るものですから。
としてはうまく逃れられたと思ったのだが、
「うんうん。だから今少しくらい似ていなくても、今後似てくる可能性はあるよねぇ」
という屏風覗きの言葉によって台無しにされた。
キッ、と仁吉に睨まれて、は引きつった笑みを浮かべる。
今のはわたしが悪いんじゃない。
上手く屏風覗きに利用されたようだ。
かなり迷惑である。
結果的に屏風覗きが仁吉をからかうのに加担してしまった。
屏風覗きの言葉に気をよくした子供の母親は、そうだろうそうだろうとしきりに繰り返して、期待のこもった目で仁吉を見る。
なんだか面白くない、とは思った。
彼女はいったい、仁吉になにを求めているのだろうか。
「ねえ仁吉さん、あんたが若だんなを大事にしていることは知ってるよ。だから、あたしも無理に連れ添ってほしいとは言わない。けれど、今後子供と満足に生活しているだけの金はもらうよ」
そこでようやく、は女の目論見が分かった。
そうか、初めから金が目的だったわけか。
怒りを通りこして呆れる。
なるほど、仁吉の子供ではないという証拠もないし、金を払うだけで済むならと長崎屋は彼のために金を用意してくれるだろう。
それが真実であれ、そうでなかれ。
は溜息を吐き、立ち上がった。
「先生?」
「ちょっと失礼」
不思議そうに話し掛けてきた若だんなに、は微笑む。
向かったのは若だんなの部屋だ。
ちなみにさっきまでいたのが客間。
は若だんなの部屋につくと、袂から金平糖をいくつか取り出した。
片手に乗せ、鳴家の名を呼ぶ。
が用意する金平糖は元の時代のものなので、この時代で売られているどの金平糖よりも甘く、妖たちには評判である。
は寄ってきたたくさんの鳴家たちのうち一匹だけを腕に抱え、手に乗せていた金平糖は紙に包み畳の上に置いてやった。
抱き抱げられている以外の鳴家はきゅわきゅわと鳴き、金平糖に群がる。
抱きかかえている鳴家もそちらに行きたいように鳴きだしたので、はまだあった金平糖をいくつか取り出し、その鳴家に与えてやった。
逃げられてはかなわない。
「ちょっとだけ、協力してくださいね?」
きゅわ? と鳴家が首を傾げる。
は鳴家をしっかりと抱き直すと、再び客間へと戻った。
客間に戻ると、いまだに例の子供が仁吉の子かそうではないかでもめていた。
が戻ってきたことに気付いた若だんなが顔を上げ、が腕に抱えていたものを見てなるほどという顔をする。
はそのまま問題の子供の前に行くと、その前に鳴家を下ろした。
その行動の意味が分からなかったらしい子供がきょとりとを見て首を傾げる。
その子供の目に、鳴家の姿は映っていないようだった。
「決まりですね」
の口元が、弧を描いた。
やはりなにが起きているのか分からなかったらしい母親が、首を傾げる。
それを見て、は再び口を開いた。
「この子供は、仁吉さんの子じゃありませんよ」
「なっ、」
言葉を失い、母親がを睨めつける。
しかし、はゆうゆうと笑った。
仁吉の子ならば、妖の姿が見えないはずがない。
これは、仁吉の正体を知ってる者からすれば、決定打だった。
あとは適当に話をでっちあげ、この母親を追い出せばいいだけである。
「わたしが医者であることは、ご存知ですね?」
「それがなんだっていうんだい」
なにかを警戒するように、女は少しだけ身を引いた。
「本人の威信に関わるので黙っていようと思いましたが、仁吉さんには子供ができないんですよ」
「え」
声をあげたのは、女だけではなかった。
後ろの方で、若だんなと仁吉、屏風覗きまでもが固まっている。
「だから、仁吉さんの子供のはずがありません。同時期に他の男とも関係があったとは、なかなかやりますねえ。次はそちらの方を訪ねてみてはいかがですか?」
皮肉たっぷりである。
仁吉との間に子供ができるはずがないのに子供がいるということは、他の男とも関係があったということだ。
そう指摘すると、女はぶるぶると震えだし、怒りで顔を真っ赤にした。
「っ、帰るよ!」
そして、そう叫んだかと思うと、母親は子供の手をとって立ち上がった。
どたどたと大股で歩き、挨拶もなしに部屋から出ていく。
ばたん! と勢いよく戸が閉められ、やれやれ、とは溜息を吐いた。
たとえ嘘でも、医者がいえばそれは真実となる。
特には優秀なことで有名であったから、女は言い訳できなかったのだろう。
それでも本当に仁吉の子だったのなら、あの母親は黙っていなかったはずだ。
が心を痛める必要はない。
固まっていた屏風覗きはいち早く我に返ったようで、先程までの緊張を解くとひーひーと笑いだした。
「知らなかったねぇ、仁吉さん、あんた種無しだったのかい?」
無論、屏風覗きとてのあの台詞が嘘だということくらい分かっている。
しかし、それはかっこうのネタであった。
「……先生」
屏風覗きにからかわれた仁吉が、どす黒い声での名を呼んだ。
リアルに身の危険を感じたは慌てる。
「いや、ほら、ああでもしなきゃ納得してくれなかったでしょうし!」
あの女も自分の恥は曝したくないだろうから、仁吉に関しての噂が流れることもないだろう。
仮に流れたとしても、誰も信じない。
この時代、子供ができなければそれは女のせいだということになるのが一般的だからだ。
彼女がに聞いたと触れ回っても、あとからがそんなことを言った覚えはないとしらばくれればいいだけだ。
それに、女を作る気がない仁吉がそう困る話でもないはずだ。
「しかし、もっと他に言い方があったでしょう!」
仁吉からすれば、それは女を作る作らない云々ではなく、名誉の問題だった。
「仁吉さんの子なら、妖が見えないはずがないって? 誰が信じるんですか、そんな言葉。わたしが言ったことの方が確実です」
しかし、にだって言い分はある。
科学というものが通用しない世の中で、これほど力のある手段はない。
「ほう、だからといってあたしが種無しだと? なんなら先生、あなたで試してさしあげましょうか?」
仁吉の目がすうっと細まる。
こ、怖いんですけど仁吉さん……!
つ、と嫌な汗がの背を伝った。
「お、女なんかに興味はないんでしょ仁吉さん!」
「たった今、興味をもったところです」
じりじりと、仁吉がとの距離を縮める。
それに合わせて、も後退った。
そして、
「ぎゃー! いたい、いたい! ごめんなさいー!」
うつ伏せに組み敷かれたが悲鳴をあげた。
腕を折ったら若だんなの治療ができなることは心得ているのか、なんとも絶妙な力加減だ。
若だんなが止めに入るまでそれは続き、今度なにかあったときは絶対最初から仁吉の味方につこうと思う合理主義のであった。
ちなみに、その後屏風覗きもこってり以上にしぼられたらしい。
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アキラさんに捧げます。
20080801