「ブフッ!」
帰ってきた仁吉と佐助の姿を見た瞬間、は吹き出した。
口元を押さえ、肩を震わせながら笑いを堪える。
しかしそんな中途半端さがかえって気に障ったようで、二人の手代は不機嫌そうにそっぽを向いた。
「ぷ、くく……どうしたんですか、おふたりとも。そんなつんつるてんな着物をお召しになって」
「…………」
二人の手代は何も答えなかった。
そんな彼らの今の格好といえば、実に滑稽であった。
火傷はないものの、顔や手足はすすで真っ黒になり、着ている着物はいつもよりもずっと安物なうえに丈が合っていない。
「……若だんなのご容態を」
「はいはい」
結局着物のことには触れずに切り出した仁吉に、は再び笑いを堪えた。
江戸薬師考
「寝ずに、待っていたんですか」
背中に打ち身を作っていた若だんなの治療をひとまず終えて、桶に張った水に手拭いを浸していた所で、声をかけられた。
はその手は止めないまま、声をかけてきた仁吉を見上げる。
そして、にこりと笑った。
「わたしは、若だんなの主治医ですから」
その言葉に、仁吉は一瞬驚いたような顔をしたあと、優しげな表情で笑った。
いくら主治医といえど、それが契約に含まれていないことは互いに百も承知である。
本当は心配で眠れなかっただけだという言葉を、は飲み込んだ。
言う必要はない。
言ったところで、そんな当たり前のことと彼なら鼻で笑うだろう。
「あなたが来るようになってから、若だんなは随分と元気になったと思いますよ」
仁吉は、若だんなの寝顔を見ながら言った。
めったに聞けない彼の誉め言葉に驚きつつ、なんでもないようなふりをしては微笑む。
「ふふ、そんなわたしの涙ぐましい努力を、今回はみなさんして見事に踏みにじってくれやがりましたけどね」
「不可抗力でしょう」
口悪く皮肉を忘れなかったに、仁吉は苦い顔をした。
彼としても、若だんなを危険にさらすのは本意ではなかったにちがいない。
しかし、それさえも理解して言っているのだろうからはやっかいだった。
「……でも、みなさんが無事でよかった」
気を抜いた瞬間、の口からぽろりと本音がもれた。
ただそれだけなら気にならなかったかもしれない。
だが、その声の泣きそうなことに、仁吉はぎょっとしてを見た。
彼女自身自分の言葉にはっとしたらしく、片方の手で己の口を押さえて固まる。
しばらくの沈黙がながれて、やがてが気まずそうに視線だけを仁吉に向けた。
「…………」
「…………」
「…………あの、」
ためらいながら、が言葉を発する。
彼女は、泣いてはいなかった。
泣きそうな顔をしているわけでもないし、いたって普通の様子である。
先ほどのあれは、いったいなんだったのか。
仁吉は詰めていた息を吐き出した。
「驚かせないで下さい、泣いているかと思いましたよ」
「……ええと」
彼は直球だった。
普通そこは触れずにいてくれるものなんじゃないの?
そんな人間の常識は、妖である仁吉には通じない。
「若だんなの診療が終わったのでしたら、もう家にお帰りなさい。桶はそのままで構いませんから」
「……はい」
なんて返せば良いのやらと悩んでいるうちに、そう告げられた。
どうせもうすることもないので、素直にうなずく。
が立ち上がると、仁吉も立ち上がった。
「仁吉さん?」
「なんです」
首をかしげたに、不思議そうに返事を返す仁吉。
「どうして仁吉さんまで立ち上がるんです?」
疑問を、素直にそのまま口にした。
仁吉はああとうなずいてに視線を送る。
「家まで送って行ってさしあげますよ」
「え!?」
「……なんです、」
心底驚いたような声を上げたに、仁吉が眉を寄せた。
は目をまん丸くしたまま仁吉を見上げる。
「仁吉さん自らわたしを送ってくださるなんて、どんな心境の変化ですか!?」
「……そんなに意外ですか。べつに、若だんなが起きていたらそうしろと言うと思っただけですよ」
もう真夜中ですし。
仁吉がつけたす。
はしばらくぽかんと口をあけて仁吉を見ていたが、彼の言った内容を理解すると微笑んだ。
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20080717