むすり、とは若だんなたちを見つめていた。
先生は、どうか安全な所で待っていておくれ」
「…………」
先生」
うつむいたに、若だんなが困ったような表情を浮かべる。
先生、あんまり若だんなを困らせないで下さい」
仁吉の言葉に、は眉を寄せて若だんなたちを見上げたが、すぐにへにょりと情けない顔になった。
「危険だと分かっている場所に人を送り出す医者の気持ちが、あなたがたに分かるものですか」
不満そうに、が呟く。
北の方角で、火があがっていた。
彼らは今からそこに向かうのだという。
「どうしても、私たちがやらなきゃいけないんだよ」
若だんなとて、気の進む話ではない。
しかし、自分以外にやれる者はいないのだ。





江戸薬師考





「……置いていかれちゃった」
ぽつり、と誰もいない場所では呟いた。
予定なら“なりそこない”に対峙するのはもうちょっと先のことで、だってその場についていく気だったのだ。
(このぶんなら、予定通りだったとしても連れていってもらえたかどうかは怪しいけど)
深々と溜息をついて、緋色に染まる北の空を見上げる。
自分にできることなど、皆無に等しい。
それを理解していないほど愚かではなかったし、また、理解していたからこっそりとついていくことも諦めた。
「なんていうの? 夫を戦場に送り出す妻の気分?」
この際、誰が夫かは置いておいて。
ひとり戯言を言いながら、誰も突っ込んでくれないことをつまらなく思ったり。
「……そっか。この時代はまだ、男女平等なんて考えないんだもんね」
女が男の帰りを待つという構図は、正しいのだろう。
そしてそうであるのなら、わたしが彼らの身を案じるという姿も正しい。
「無事に帰ってきてくれるといいんだけど」
大丈夫だと信じたい。
仁吉と佐助は、相当位の高い妖なのだという。
そんな彼らが“なりそこない”ごときに負けるはずはないし、彼らに守られている若だんなのことだって心配いらないはずだ。
けれど。
「あやかし、ねぇ……」
感情の読めない呟きが、静かに響いた。





ときどき、考えることがある。
それは、自分の立場について。
わたしは確かにこの江戸の町で医者をやっているけれど、本当はなんの力も持たないただの女子高生だ。
二十一世紀の世界では、市販薬でさえたいした効力を持つ。
風邪をひけば風邪薬を。
頭が痛ければ頭痛薬を。
栄養不足であればサプリメントを。
誰もが簡単にそれらを手に入れることができる時代。
それは、わたしの世界の人間でさえあれば、誰でもここで医者になれることを意味する。
わたしは、決して特別な人間ではない。
「おじいちゃん……」
わたし、間違ってないよね?
自分にできることを、してるよね?
そうすることは、かの人の教えであった。
現実に医者だった彼の言葉は重い。
重くのしかかって、ときどき息が詰まりそうになる。
それでも。
それでも、この地の人々に頼られれば、わたしは嬉しかった。
わたしを必要とし、わたしのおかげで生きていられるのだと笑ってくれる彼らが好きだった。
そこに、驕りがないといえばたぶん嘘になるのだろう。
わたしは自分が善人ではないことを理解していたし、それを上手く隠す述も知っていた。
人間は、差はあれど誰しもそんな一面を持っていると思う。
仮面を持たぬ人間など、いない。
この面が剥がれたとき、わたしはいったいどうなるのだろう。
医者としての仮面を失った、そのとき。
わたしは決して、起こり得ないことを想定しているわけではなかった。
明日か、一年後か、はたまた十年以上先になるかは分からない。
けれど確実に、その時は訪れるだろう。
永遠という言葉は、実に懐疑的なものである。
しかし、そうだと分かっていても、願わずにはいられない。
そう、願わずには、

「どうか、もうしばらく彼らと共にあれますように」

ささやかな願いを、この世界には確かに存在しているのだという神に祈って。





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20080715