半助さんにも手伝ってもらって残りの敵忍者を縄で縛る。その作業を終えたちょうどそのとき、知った気配がこちらに向かってきていることに気付いて、私と半助さんは顔を見合わせた。次の瞬間、半助さんはその場で跳び上がって木の上に身を隠す。丁寧に気配まで隠したところで、その人物は現れた。
「あっ、いたいた! つば鬼ちゃん!」
「風鬼先輩?」
 風鬼先輩は私を見付けると、息を切らせながらこちらに走ってきた。よほど急いでここまで来たらしい。いったい何事だろうと首を傾げていると、風鬼先輩は何度か浅い呼吸を繰り返して、それから真剣な表情で口を開いた。
「つば鬼ちゃん、稗田八方斎様から伝言だ。すぐに実家に帰るようにと」
 先輩の言葉に、嫌な予感がした。
「実家、ですか? ドクタケ城ではなくて?」
 恐る恐る尋ねると、先輩は少しだけ言い難そうに口籠る。
「その……城に知らせが届いたんだ。お母様の容体が芳しくないらしい」
「!」
 その言葉を聞いた瞬間、私は駆け出していた。
「あっ、つば鬼ちゃ……」
 驚いたような風紀先輩の声を背に、私は大きな声で叫ぶ。
「風鬼先輩、申し訳ありません! そこらへんに転がってる忍者たちは今回ドクタケに脅迫状を送ってきた犯人なので城に連れて行っておいてください!」
「えっ、ええー!?」



その手のひらで踊ってやるよ




 母の容体については、実家を離れることになったときから、月一回の定期的な報告と、何かあったら知らせるようにということを、信用できる医者にずっと頼んでいた。今までは月一回の定期的な報告しか来たことがなく、それ以外の理由で知らせが来るのは今回が初めてである。医者は私がくのいちであることに気を使っているのか、ちょっとやそっとのことでは知らせるつもりが無いらしく、母が高熱で一週間寝込んだ時でさえ一カ月ごとの定期的な知らせによる事後報告だった。そんな医者が今回わざわざ知らせを送ってきたという事は、おそらくよほどの事態が母に起きているのだ。
 途中で何度か馬を借りつつ、三日間ほぼ休み無しで進み続ければ、ようやく故郷の村が見えてきた。自給自足で成り立ち、外部との交流もあまり無い小さな村である。一番近くの町までは一般人の足で半日も歩けば行けるので意外と不便はない。馬で駆ければもっと早い。私は実家までの道を急いだ。
「お母さん!」
 足をもつれさせそうになりながら、私は家の戸を開ける。自分の身体能力の限界を顧みらないほどに走るなんて何年振りだろう。家の中に物は少なく、部屋の中央にはぽつんと母の寝る布団が敷かれていた。傍らにはもう長いこと世話になっている老齢の医者がいる。
「……おかえり、さん。間に合ったね」
「先生」
 医者は私の顔を見上げると、濃い疲れの滲む表情で微笑んだ。今の今まで母を診ていたのだろう。間に合った、という言葉が母の容体の悪さを物語っている。私は草履を脱ぎ、ふらふらと母の布団の横に移動して膝をついた。かつては村一番の美人とだともてはやされた母。しかし、今やその顔は頬が痩せこけ、顔色は恐ろしいほど青白くなっており、皮膚はカサカサと乾燥している。私は衝撃を受けた。半年前に実家に帰った時は調子が良さそうだったのに。私は声が震えそうになるのをなんとか堪えて口を開いた。
「お母さん……ただいま」
 ぼんやりと宙を見ていた母の視線が、焦点を結んだ。はっとしたように私と目を合わせるのが分かった。
「ああ、……おかえりなさい。来てくれたのね、お仕事は大丈夫なの?」
 まるでいつもと同じように振る舞おうとする母を見て胸が詰まる。声だって弱々しくて掠れているのに、母は"母"であろうとしていた。
「仕事なんてどうでもいいよ! どうしてこんな……」
 こんな状態になるまで連絡をくれなかったの。思わず出そうになった非難を私は飲み込んだ。けれど母は私の言いたいことを察したようだった。
「ごめんなさい、わたしが黙っていてと先生にお願いしたの。あなたはプロのくのいちだから、わたしのことなんかで煩ってほしくなかった。……でも、わたし、もうだめみたいね。先生があなたを呼ぶくらいだもの」
「や、やめてよ。そんな縁起でもないこと言わないで。きっと元気になるよ。ね?」
 厳しいと分かりつつも、私は母を元気づけようとそんな言葉を紡ぐ。母は無言で微笑んだ。今まで見たことがないほど儚い笑みだった。
「ねぇ、。わたしね、あなたが生まれたとき、死ぬほど嬉しかったの」
「え……?」
 突然の話題に、私は目を瞬いた。そんな私を気にした様子もなく、母は話を続ける。
「あの人を愛して、けれども共に生きることは叶わなくて。一生一人で生きていこうと覚悟したときに、あなたを身籠っていることを知った。絶対、絶対に守らなきゃって思った。あなたはわたしがあの人に確かに愛されていた証だから」
「お母さん……」
"あの人"というのが私の父親のことを言っているのだと気付いて、私は母の話に聞き入った。私は自分の父親についてあまり詳しくを知らない。なんという名前で、どんな人だったのか、仕事は何をしていたのということを、私はまったく知らなかった。父親についての話は、これまで片手で数えられるくらいしか聞いたことがない。まだ幼かった頃、どうして自分には父親がいないのかと尋ねたときと、私がくのいちの学校に通いたいと言ったときの二回。どうして父親がいないのかと尋ねたとき、母はなんと答えたんだったっけ……? 私がくのいちのになりたいと言ったときのことは覚えている。母は、「やっぱりあの人の子ね」と嬉しそうに、それでいて寂しそうに笑ったのだ。そしてどこからかお金を用意してきて、私をくのいちの学校に通わせてくれた。……けれど、どうして今になって父の話をするのだろう。
、お父さんを恨まないでね。あなたは優秀なくのいちだから、いつか父親に辿り着くことがあるかもしれない。でも、どうか恨まないでほしいの」
 父なんて亡くなっているのだとばかり思っていたが、母の言い方だと、まるで父親が生きているかのようである。ほとんど家を出ることのない母の、父親の生を確信しているような口ぶりに、私は慄いた。いったい父は何者だ?
「わたしが勝手にあの人を好きになって、逃げて、あなたを生んだの。あの人に愛された証を、わたしがどうしても失いたくなかっただけなの。あの人も、わたしの家族も、わたしが身籠っているなんて知らなかったのよ。ねぇ、、お願い……お願い、約束して」
 父の正体について、母は多くを語らない。けれど、これだけは分かる。母は未だに父を愛しているのだ。憎むなだって? 父は亡くなっているのだと思い込んだままだったならばそれもできただろう。けれど、こんなに自分を愛してくれていた母を、身籠っていた母を、捨てて今ものうのうと生きているだろう父を、私に許せというのか。母がたった一人で私を育て、全ての苦労を背負うことになったのは、父のせいではないのだろうか。私は母に気付かれないように奥歯を噛み締めた。そうしなければそのやりきれなさに身体が震えてしまいそうだった。
「分かった……約束する。約束するから、元気になってよお母さん」
 そう言って、私は何とか笑顔を作ってみせた。母に余計な心配をさせたくなかったから。
「ごめんね、ごめんなさい。全部わたしが悪いの。苦労ばかりかけてごめんなさい」
 母の目に涙が浮かぶ。私は胸が締め付けられる思いだった。
「私、苦労なんて思ったことないよ。本当だよ!」
 必死になってそう言うと、ありがとう、と母は笑った。
「……、箪笥の隠し箱を開けてみてちょうだい」
「隠し箱……?」
 怪訝に思い首を捻りつつも、私は母の指示通り部屋の隅に置かれた箪笥に向かう。隠し箱とは、一番下の段の引き出しを抜いたとき、箪笥本体の一番下の板のところに掘られている半紙程度の大きさの箱である。箱のふたと周りの木目が同じため、よくと見ないと分からない。引き出しを引き抜き、隠し箱の板を開けると、中からは山吹色の風呂敷に包まれた物体が現れた。それを手に取った瞬間、私は叫んでいた。
「どうして!? これはお母さんのために……!」
 風呂敷を開けなくとも、その重さと、布の外側からでも分かる質感で中身が何か分かった。
「あなたが稼いだお金だもの。あなたが使うべきだわ」
 それはずっと、私が母に仕送りし続けていたお金だった。いや、もしかすると私が仕送りした分よりも多いかもしれない。
「私はお母さんにきちんとお医者様に掛かってほしくて……!」
 叫ぶように言うと、母はゆるやかに首を横に振った。
「あのね。お医者様に払うお金には困ってなかったの。本当よ」
「ええ、千都さんは定期的に私をお呼びになっていましたし、毎回お代もきちんといただいていましたよ」
 医者の方を振り向くと、先生はしっかりと頷いてみせた。千都とは母の名だ。
「お医者様に掛かるお金を節約してお金を貯めていたわけではないの。だって、わたしがいなくなったらは悲しむでしょう?」
「お母さん……」
 母は、ふふ、と青白い顔で笑う。
、生活費やあなたの学費がどこから出てるのか気にしたことはなかったの?」
「……!」
 確かに、まったく気にしたことがないわけではない。けれど、それなら、それらのお金はいったいどこから出てきていたというのか。結局、母が答えを口にすることはなかった。
。わたしのかわいいかわいい娘。生まれてきてくれてありがとう」
 その時母が浮かべた微笑みを、私は一生忘れないだろう。まるで世の中の幸せを全て詰め込んだ飴でもなめているような、甘く優しい、とろけそうな微笑み。私のことが愛しくて仕方ないのだと、その表情は雄弁に語っていた。
「や、やだ、お母さん、そんなこれで最後みたいなこと言わないでよ」
 母の右手が弱々しく持ち上がって私の左頬を撫でた。その手は冷たく、私は思わず両手でその母の手に縋る。自分は全くの健康体だというのに、母の手を握りしめる私の手は震えていた。
「あなたが生まれてきてくれて、わたし、幸せだった。……、大切なわたしの宝物。ずっと、ずーっと、愛しているわ」
 言い終えると同時に、母の手から力が抜けた。すっと背筋が冷たくなる。
「……お母さん? お母さん!!」
 悲鳴に近い声で母の名を呼んだ。
「せっ、先生!」
「…………」
 医者は母の首筋に三本指を当てる。助けを求めるように医者を見つめれば、医者は目を伏せ、無言で首を横に振った。
 それが意味することは、つまり。
「……あ……っ、ああ…………」
 握ったままの母の手を額に当てて、私は息苦しさに喘いだ。どうして。……どうして? これは罰なのだろうか。金のために徳を捨て、ドクタケに属した私に、天罰が下ったのだろうか。膝の上の山吹色の包は、まるで今まで私がしてきたことが無駄だったという事を指摘するかのように、重く、冷たかった。
 顔から血の気が引いていく。手足が冷たい。涙さえ出てこなくて、私はただその場に座り込んだ。



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2013.7.20