「こんにちは、さん」
「こんにちは、半助さん」
 土井半助と出会ってから早ひと月。すっかり顔馴染みになったその人に私は微笑んだ。あれから半助さんは休みの度にお団子を食べに来てくれている。いつもは子どもたちと一緒だったが、どうやら今日はひとりで来たようだ。休みとはいえ忍術学園の教師である彼がそう暇とは思えないから、きっとわざわざ時間を作って来てくれているのだろう。これは脈ありと思っていいのではないだろうか。
「いつものでよろしいですか?」
「ええ、お願いします」
 尋ねればやわらかい笑顔と共にそう返事が返ってくる。奥にいる店主に注文を伝えると、店主がお団子の乗った皿を二つ差し出してきた。
「あれ? 今日は半助さんおひとりですよ」
 首を傾げると、店主はにやりと笑った。
「少し休憩をやるからあの先生と一緒に食べるといい。今はちょうど他の客もいないし」
「えっ、でも……」
 店主の気遣いに「そうなんだけどそうじゃない」と心の中で反論する。これは任務なのだから、他人からそう勘違いしてもらった方が好都合ではあるのだが。一応遠慮する様子を見せると、店主はひらひらと手を振った。
「いいのいいの! なっ、先生、今日はサービスでうちのを話し相手につけてやるよ」
 店主は大声を出して店先の長椅子に座っている半助さんに話しかけた。
「ははは、贅沢なサービスですね。ありがとうございます」
 そんな店主に対し、半助さんは朗らかに笑う。
「いいってことよ」
 男同士だけいつの間にか話は進み、結局私は二人分のお団子とお茶をお盆に乗せて運び、半助さんの横に並んで座った。
「半助さん、今日はおひとりなんですね」
「ご迷惑でしたか?」
「いいえ! そんなまさか! 来てくださって嬉しいです」
「それなら良かった」
 にこっと笑った半助さんに私も自然と笑顔になる。なんかいいなぁ、こういうの。にこにこしながらお団子を頬張ると、そういえば、と半助さんは話を切り出した。
「ここに来る途中で花菖蒲(はなしょうぶ)が生えている場所を見付けたんですよ。さん、花菖蒲まつりに行かれたことは?」
 尋ねられて記憶を探る。
「幼い頃に行ったことがありますが、最近は無いですねぇ」
 花菖蒲とは六月頃に花を咲かせるアヤメの仲間だ。色は紅紫や紫のものが一般的で、この町の近くの寺では毎年季節が来ると花菖蒲まつりが開催される。私が杜若忍術女学園に入っていないほど幼かった頃、当時はまだ比較的元気だった母と行ったものだ。
 それがどうしたのだろう、と半助さんの言葉を待つと、彼はそうでしたかと頷いてから、少し緊張した面持ちで口を開いた。

さん、もしよければ、今度の休み花菖蒲まつりに一緒に行きませんか?」



その手のひらで踊ってやるよ




 土井半助からデートのお誘いを受けた。それは忍術学園を調査する任務を請け負っている私にとっては願ってもいない好機。けれど私は幾何かの警戒心を抱いていた。土井半助に女の影があるという話は聞かない。あの見た目と物腰で女がいないとはなにか恐ろしい欠点でもあるのではないかと疑惑の目を向ける人間もいるだろうが、忍びとしてはまあ珍しいことではない。忍びの三禁といえば、酒・欲・色。女に溺れれば正常な判断を失う者は多い。自らを律してそれを断っているのだとしたら大したものだ。しかし、それならば何故私をデートになど誘ったのだろうかという疑問が出てくる。ある程度の好意を抱かれているのは感じているが、それだけでそこまで踏み切るものだろうか。
 そんなことを考えながら待ち合わせの場所まで歩いていると、既に待ち合わせ場所で待っている半助さんの姿が見えてきた。いつから待っていたのかしら? 私は着物が乱れないように少しだけ足を早める。
「半助さん」
さ……。!」
 私の呼びかけに応えようとした半助さんが一瞬息を飲んだのが分かって、私は微笑んだ。
「お待たせしてしまいましたか?」
「……いえ、私も今来たところです。その……さんは今日は一段とお美しいですね」
 小首を傾げて尋ねると、半助さんはやや恥らったような表情を浮かべつつ私を誉める。
「やだ半助さん、褒めたってなにも出ませんよ」
 私は照れたようにはにかんでみせながらも、心の中ではガッツポーズを決めていた。一段と美しいのは当たり前である。化粧はいつもよりしっかりと、しかし派手にならないようにナチュラルな雰囲気を残しながら施したし、髪はカリスマ髪結いの斉藤幸隆さんに結ってもらっていつもよりつやつやと輝いている。小袖はちょうど母に譲り受けたものがあったので、菖蒲の柄の入った薄色を基調にした品のいいものを着ていた。自分で言うのも何だが、今日の私は完璧である。
 しかし、そう自画自賛しながらも他人からの誉め言葉には照れくさくなってしまうもの。
「思ったことを口にしただけですよ。あなたの隣を歩けるなんて光栄だな」
「……!」
 そう言ってふわりと笑った半助さんの笑顔の破壊力といったら。私は一瞬これが任務だということも忘れて本気で赤面してしまった。
「顔が真っ赤ですよ、さん」
 指摘する半助さんは笑顔こそ浮かべていたが、その表情はどこか意地悪いことに気付いて、私ははっとした。この男、実は色々分かっててやってるな!? そうは気付いてもなかなか顔から熱が引かなくて、そんな自分自身に戸惑った。
「も、もう! 半助さん」
 動揺を誤魔化すように、ちょっとだけ怒ったような顔を作ってみせつつ、私は心の中で自分に言い聞かせる。若かろうが優しそうなイケメンだろうが彼は忍術学園の先生なのだ。私はそれを忘れてはいけない。彼に恋をしてはいけない。
「ふふ、すみません。それでは行きましょうか」
「……はい」
 半助さんに促されて歩き出そうとしたとき、ふと私たちの様子を覗う気配が三つのあることに気付いた。しかしその気配は知ったものだ。気付かないふりを決め込む私の隣で半助さんがそわそわと気配の方を見やる。
「半助さん?」
「ああ、いえ、なんでもないですよ、ハハハハハ……」
 首を傾げる私の横で半助さんは不自然に笑う。一般人が見ても全然なんでもないようには見えないと思いますよ。思えども指摘はせず、私たちは歩き出す。……もしも彼に弱点があるとしたら、それは教え子たちの存在なのかもしれない。かつてくのたまだった私がそこを突くようなことは、一生無いように願っているけれど。



「わぁ、結構賑わってますね」
「今がちょうど見頃ですからね」
 辺り一面に咲き誇る紫を基調とした色彩に感嘆の声をあげる。ゆっくりと花を愛でるなんでどれくらいぶりだろう。日々お金を稼ぐため仕事に必死だったから、こんな身近な美しいものへ目を向けることさえ忘れていた。
「露店もたくさん出ていますね」
 まつりに合わせてやってきた商人たちがそれぞれ露店を広げ、食べ物や衣服、雑貨などを売っていた。私とて女の端くれ。綺麗な着物もおいしい甘味も大好きだ。任務中だと分かっていてもそれらの露店が並ぶ様子を見れば心は弾む。
「見に行きましょうか」
目を輝かせる私に、当然のように半助さんが提案する。はい、と私は笑顔で頷いた。



(あ、このかんざし綺麗)
 とある露店で装飾品の類を見ていたときのこと。それは花菖蒲を模したかんざしだった。
「綺麗なかんざしですね」
 私がかんざしを手にとってじっと眺めていると、半助さんが後ろから声をかけてくる。
「ええ、まるで本物の花菖蒲みたい」
 金属製の銀色の柄の先に、青のような紫のような色の透き通った瑠璃細工の花が咲いていた。朝露を表現しているのだろうか透明の雫か数個しゃらんとぶら下がっており、花の付け根あたりには柄と同じ金属で作られた葉が付いている。綺麗だがよく見ると造りはわりと甘く細かい部分が雑なので、値段はそれほどではなかった。だが、私はそのかんざしをそっと元の位置に戻した。今は少しでも多く実家の母のためにお金を使いたい。
「買わないんですか?」
「見ていただけですから」
 首を傾げた半助さんに私はなるべく穏やかな声で返す。そうですか、と頷いた半助さんに手をとられて、私たちは再びぶらぶらと歩き出した。



 それからまたしばらく露店を見て回って、お茶をして、まつりに合わせて来ていた放下師――小唄を歌い、小切子の竹を打ちつつ手品や曲芸を演じる者である――の芸を見ているうちにあっという間に時間が過ぎていった。見納めになるだろうからと最後に花菖蒲が最も群生している辺りで花を眺めていると、どこからか鳥の鳴き声が聞こえてきた。ケキョキョケキョと鳴くこの声は……。

「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草」

 それまで黙って花を見ていた半助さんが絶妙のタイミングで口を開く。それは古今和歌集の恋の一番最初に載っている歌だった。半助さんが詠んだのは上の句だけ。下の句は"あやめも知らぬ恋もするかな"と続く。ホトトギスが鳴いてあやめの咲く頃には道理も分からないような恋をするものだなぁ、というような、そんな意味の和歌だ。上の句を詠んだということは、私が下の句を詠むことを期待しているのだろうか。……私に、この下の句を詠めというの? 道理の分からないような恋をあなたにしてますって? 躊躇いを覚える理由はなにも歌の意味だけではなく、これの下の句を読むことで自分が古今集の知識があるということを明らかにしてしまうというのも非常に気になる点である。でも、こんな歌も知らない馬鹿な女だったら半助さんはがっかりするのかしら? そんな葛藤を時間にすればほんの数秒の間して、結局私は口を開いた。

「……あやめも知らぬ恋もやせらむ」

 元の歌をアレンジして詠んだ下の句。道理も分からないような恋をするかもしれませんね、と。はっきりと恋をしているとは告げず、あくまで思わせぶりに。ただ元の歌を詠むのでは芸がないし、元の歌の意味を考えれば素直に詠んでやるのはなんだか悔しい。ややむっとしながら半助さんを見ると、彼はくすりと笑った。
「随分と慎重なんですね」
「……そうですか?」
 第一印象はどこへやら。なぜか少し意地悪になってきたような気がする半助さんに私は首を傾げながら空っとぼける。
「ええ……でも」
 頷くと、半助さんは私との距離をさっと詰めた。はっとしたときにはもう半助さんの片手が私の肩に添えられていて、彼の唇は触れそうなほど近く私の耳元に寄せられる。
「少し詰めが甘いですよ」
 囁かれたいつもより低い声にぞわり肌が泡立った。
「!? はっ、半助さん!?」
 囁かれた方の耳を押さえて素早く半助さんの方を向くと、彼はすぐに私から離れ、そしてにこりと笑った。
「お似合いです」
「えっ……?」
 身じろいだ瞬間、シャランという音が頭から聞こえた。まさか、と思って懐から手鏡を出して覗くと、しっかりと結いあげられた頭には昼間露店で見かけたあの花菖蒲のかんざしが挿さっていた。
「これ……」
「今日一日付き合ってくださったお礼ですよ」
 そう言う半助さんはただただ微笑んでいる。いつの間に購入していたのだろう。
「……いいんですか? いただいてしまって……」
「私がそのかんざしを付けているさんを見たかったんです。受け取ってください」
 もー、ほんとこの男、どうしてくれよう! 耳元で囁かれたことに気をとられていたとはいえ、頭にかんざしを挿されて気付かなかったとは不覚だ。でも、そんな自分を反省する以上に、今、とても嬉しい。異性に贈り物をもらったのなんて初めてじゃないはずなのに。優しいのかと思えば意地悪だったり、けれどやっぱり優しかったり。その加減がどうしようもなく甘いもの感じられて、自分自身でああもうきっとだめだなぁと思う。
「……ありがとうございます、大切にします」
 じんわりと温かい気持ちが全身に広がっていって、私はようやくそれだけを告げた。半助さんは得意顔になるわけでもなくかといって恐縮するわけでもなく、はい、とだけ頷く。心地の良い人だ。
「日が傾いてきましたね。うどんでも食べて帰りましょうか」
「いいですね、おうどん」
 話の流れを変えるように半助さんが提案する。私は素直に頷いた。と、そのとき。

「うどん!?」

「「あっ、しんべヱ!!」」
 突然聞こえてきた第三者の声に、そちらの方を向く。それはずっと私たちの後をつけていたしんべヱ君の声だった。飛び出てきたしんべヱ君を止めようと慌てたらしく、乱太郎君ときり丸君が不自然に片手を上げた状態で物陰が出てくる。私はぱちぱちと目を瞬いてみせた。
「おまえら……」
 同じくつけられていることに気付いていただろう半助さんといえば、疲れたような顔で片手で額を覆っていた。だが、そんな担任の先生の様子など気にした様子もなく、ねぇねぇ、としんべヱ君は私の着物の裾を握った。
さんたちはうどん食べて帰るの?」
「「しんベエ!」」
 しんべヱ君を咎める乱太郎君ときり丸君の声が飛ぶ。なんだかおかしくなって、私はふふっと笑ってしまった。
「……すみません、さん」
 諦めたような声で半助さんが謝罪する。子どもたちに後をつけられていることなど初めから知っていた私からすれば謝ってもらうようなことでもないのだが、あくまで一般人を装う私はいいえと首を振る。
「いいんですよ。みんなでおうどん食べて帰りましょうか」
「わぁい、うどん!」
「しんベエ!」
「せっかく土井先生に春が来たのに!」
「だってぇ……」
 喜びの声をあげたしんべヱ君に、乱太郎君ときり丸君から突っ込みが入る。楽しいなぁ、この三人。私はくすくす笑いながら口を開いた。
「乱太郎君もきり丸君もお腹すいてるでしょ。遠慮してないで一緒に食べよう? 一杯だけお姉さんが奢ってあげる」
「あげるぅ!?」
 半助さんの春について語っていたきり丸君が目を小銭に変える。
「もー、きりちゃんー!」
 あまりの変わり身の早さに、ただ一人残った突っ込み役の乱太郎君がしょうがないなぁというような顔で笑った。



 半助さんや忍たま三人組と他愛もない話をしながらすするうどんはおいしくて、なんて幸せなひとときだろうとにこにこしているとふいに半助さんから名前を呼ばれた。
さん」
「はい?」
 うどんを食べる手を休めて顔をあげると、半助さんが優しく笑う。
「何か困ったことがあったら言ってくださいね。いつだって力になりますから」
「? はい、ありがとうございます」
 私はただ微笑んだ。



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2013.6.23