「わあ……」
パキン、という音と共に、目の前で炎があがった。





存在証明書





「その手袋、どうなってるんですか」
「これは発火布といってだね……」
マスタングさんが発火布の仕組みを説明し始める。
わたしにも分かるようにと噛み砕いて説明してくれるのだが、それでも全てを理解することは難しかった。
「いいなぁ、かっこいいなぁ」
マスタングさんは見た目もいいから、指パッチンと共に火が出てくる様子も様になっている。
うーん、わたしもこういうのやってみたい。
とはいっても、いくらなんでも彼が発火布とやらを貸してくれるとは思えないし、仮に貸してもらったとしても、思い通りに火を操る自信はない。
うっかりその辺の民家に火を点けてしまったら大惨事である。
もっと安全なもの……たとえば水とか……。
わたしはマスタングさんの付けてる発火布をじっと見つめた。
?」
マスタングさんが不思議そうにわたしを見る。
わたしはその視線を無視して、さっとその場にしゃがみこんだ。
近くに落ちていた小石を拾って、土に円を描く。
「?」
マスタングさんは初め、わたしが何をしようとしているのか分からないようだった。
だが、徐々に地面の円に線が描き足されるのを見て、理解したようである。
マスタングさんはくすりと笑った。
わたしの描いたそれは、マスタングさんの発火布に描かれている錬成陣をアレンジしたものだった。
焔の絵の部分を、雫のような絵に。
トカゲの部分は亀に。
他の部分はマスタングさんの発火布っまったく一緒。
ただそれっぽいなと思って描いただけ。
後から考えれば、それがいかに阿呆らしい行動だったか分かる。
錬金術の論理なんてほとんど理解していなくて、ただ見よう見真似で錬成陣を描いてみただけ。
焔を扱うために考えられたその構築式が、ただ絵のモチーフを変えただけで、水を扱えるようになどなるはずがない。
だから、マスタングさんも笑ったのだ。
けれど、描きあがった錬成陣にわたしが両手を乗せた瞬間、奇跡が起きた。
いや、起きてしまった、という表現の方が正しいかもしれない。
手を置いた瞬間、その錬成陣の位置からまるで噴水のように吹き出した水に、マスタングさんはその笑顔を強ばらせた。
わたしは最初、イメージ通りに水が出てきて嬉しい気分だったのだが、マスタングさんのその表現を見てすぐにはっとする。
どうやら、今起きている現象はあまり良いことではないらしい。
わたしは慌てて足で錬成陣を踏み消して、水を止めた。
だが、それでもマスタングさんはしばらくその錬成陣から目が離せないようだった。
「マスタングさん……?」
恐る恐る声を掛ける。
難しい表情を浮かべていたその顔が、その瞬間はっと緩んだ。困ったような目で、マスタングさんはわたしの方を見る。
「あの、ごめんなさい……」
わたしは思わず謝った。
、私は怒っているわけじゃないよ」
困ったような表情のまま、マスタングさんが返す。怒らせた訳ではない。
けれども、まずいことをしてしまったというのだけはよく分かった。
「……
「はい……」
「さっき描いた錬成陣を、もう一度紙に描きなおせるかい?」
わたしが怯えてると思ったのか、酷く優しげに問うマスタングさん。
わたしはこっくりと頷いた。





「うーん……この無茶苦茶な構築式でどうやって水を錬成したのやら」
テーブルの上に置かれている一枚の紙。
そこに描きなおした先程の錬成陣を見つめながら、難しい顔でマスタングさんが唸る。
わたしはただひたすら、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。
構築式のことなど考えずに錬成を行ったので、説明しろといわれてもできない。
そもそも、この錬成陣がどういう式を表しているのかすら理解できず、なにがどう問題なのかすら分からなかった。
マスタングさんは錬成陣を見つめたまましばらく考え込んでいる様子だったが、ふいに顔を上げる。
そして傍に置いてあったペンと新しい紙を手にとると、そこに何やら描き込み始めた。

描く手を止めたマスタングさんが、ちょいちょいと手招きをしてわたしに近付くように促す。
わたしは少しだけ身を乗り出して、その紙を覗き込んだ。
、水を出したいのなら、本来はこういう錬成陣になるはずなんだ。ちょっとこれでも試してもらえないかい?」
言われて、わたしは頷いた。マスタングさんが錬成陣を描き込んだ紙を自
分の方に引き寄せて、その図柄を眺める。
やはり、わたしにはよく理解できない錬成陣だった。
けれど、マスタングさんがそうだというのだから、これこそが本来の正しい水を錬成するための陣なのだろう。
先程と同じように、そこから水が吹き出すイメージを頭に思い描く。
ここは部屋の中だし、図も小さいから、吹き出す水の量も少なくしよう。
わたしは両手を紙にあてた。
そして。
「…………ふむ」
イメージ通りに吹き出した水。
しかし、マスタングさんは再び難しげな息を吐いた。
あれ、なんかおかしかったかな……。
水が吹き出る量は僅かではあるが、それは徐々にテーブルに広がり、やがては下に滴り落ち始めてカーペットを濡らす。
けれどマスタングさんはなにも言わない。
「あの、マスタングさん」
焦って口を開いたわたしを、マスタングさんの眼がすっと射ぬいた。
その視線にたじろいで、わたしは咄嗟に視線をテーブルの上に落とす。
(あ、錬成陣、滲み始めてる……)
ただの紙から水が出ているのだ。
インクで描かれたその図が滲むのは当然だろう。
そう思うのとほぼ同時に、元々吹き出る勢いの弱かった水が、さらに勢いを弱め始めた。
やがて、紙がふにゃふにゃになって元の錬成陣が分からぬようになると、水は完全に止まる。
わたしはしばらく、ぼんやりと濡れた紙を眺めていた。





「……
自分を呼ぶ声にはっと顔を上げると、マスタングさんは苦笑いのような、けれどもどこか困ったような表情でこちらを見ていた。
そして、彼は思い切ったように言う。

、君のその能力はおそらく、錬金術によるものではない」

この瞬間までは、わたしには彼の言っていることの重大さがよく分かっていなかった。





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20110408