彼は、酷く甘やかな声でわたしを呼ぶ。
マスタングさんは、とても優しかった。
約束通り、怖い目にも痛い目にも合わされることはなく。
それでも、
、無理はしなくていいからな」
そう告げる彼はどこか苦しげで。
いったい何を指して言った言葉なのか。
どんな想いを込めて言った言葉なのか。
聞く勇気は、無かった。





存在証明書





、錬金術は覚えているかい?」
マスタングさんの質問に、わたしは首を振った。
錬金術って、卑金属を貴金属に変化させたり、不老不死の万能薬を作ったりする、アレ?
なんでそんな話が急に出てきたんだろう、と首を傾げる。
そういうば、マスタングさんも最初会ったときに国家錬金術師がどうのこうの、って言ってた気が……。
ますます訳が分からなくなって眉を寄せていると、マスタングがふっと苦笑した。
しわの寄ったわたしの眉間に手を伸ばし、指の腹で優しく撫でながら口を開く。
「すまない。思い出せないのなら、それでも構わないんだ」
ただ、君がここに存在していてさえくれれば。
まるで、愛しい恋人に囁く台詞のようで、一瞬眩暈を起こしそうになった。
反応に困って、曖昧な笑みを浮かべる。
「マスタングさんは、わたしのことをご存じだったんですか?」
彼は確かに、最初からわたしの名前を知っていた。
けれど、わたしからすればここは異世界で、知り合いなんていないはず。
だとしたら、わたしに似た誰かが存在するのだろうか。
名前も見た目も同じ、誰かが。
「ああ、一目で君だと分かったよ」
それは人違いですよ、とは答えられなくて、わたしは俯いた。
彼は、いったいどんな“”とわたしを重ね合わせているのだろう。
わたしの知らないところでわたしに似た誰かが存在することを考えて、わたしはぞっとした。
このあまりにも優しい待遇が、本当はその人のためのものだと考えると恐ろしかった。
彼を失えば、わたしはきっとこの世界では生きていけないのだろう。
言い出すことは、できない。
「ごめんなさい……」
だから、そんな言葉が口をついて出た。
彼のことも、この世界のことも知らないという点について嘘はついていないけれど、勘違いに気付きながらそれを利用している。
罪悪感で、胸が押し潰されそうだった。
けれど、そんな謝罪の言葉さえもマスタングさんは違うようにとって、気にしなくていいという。
きっと、記憶が無いことを謝っているのだと思ったに違いない。
ごめんなさい。
心の中で、わたしはもう一度彼に謝った。





03 ←   → 05






20080201