私を横抱きにした彼は、ロイ・マスタングと名乗った。
この国の中佐で、国家錬金術師なのだという。
(国家錬金術師ってなに……?)
(ていうか、中佐とか少尉って階級は今の日本にはないはず)
(そもそも日本人には見えないけどこの人たち)
ただただ混乱しているわたしを見つめて、マスタングさんはふっと優しげに笑った。
「安心しなさい。大丈夫だから……」
何が大丈夫なのかすら分からない。
けれど、彼の優しげな表情と声に、なぜか少しだけ安心した。





存在証明書





どうやらここは日本ではないらしい。
それどころか、世界さえ違うのだと気付いたのは、世界地図を見せられたときだった。
「自分がどこから来たのか、分かるかしら?」
優しく尋ねてきたホークアイさんの言葉に、わたしは首を振った。
元の世界と似ているようで違うその地図を見たとき、わたしは居場所を失った気がした。
(どこが素敵な場所だっていうのよ……)
ここが異世界だと納得した理由は、何も地図だけではない。
公園で助けたカメの言葉を思い出したからだ。
(ああ、なんで頷いちゃったんだろう)
日本のお伽話といえば、欲深い人間は不幸になることで有名だというのに!
別に欲張ったつもりは無かったが、あのとき遠慮して「お礼のために助けたわけじゃありませんよ」とでも言っておけばよかったのだ。
そうすれば、きっとこんなことにはならなかった。
先程からいくつも投げ掛けられる質問を、当たり障りの無いように答えながら、わたしは考える。
幸い、相手はわたしのことを記憶喪失だと思い込んでいるようだから、それを利用させてもらおう。
異世界からやってきましたなんて戯言、信じてもらえるはずがない。
下手したら、白いお部屋に放り込まれる。
一通り質問が終わって、わたしは困ったような表情を浮かべてみせた。
いや、困ってるのはほんとなんだけど。
「わたし、どうなるんでしょうか……」
できるだけ、できるだけ心細そうな声を出す。
ホークアイさんは少しだけ困ったような顔をした。
「そうね。たぶん、軍が保護することになると思うのだけど」
その困ったような表情は、妙にわたしの不安を駆り立てた。
「それって、もしかしてわたしに不都合なことでもあるんですか?」
「それは……」
そこまで言って、ホークアイさんは結局わたしの質問には答えず口を閉ざした。
けれど、それは答えを言っているに等しい。
答えを言えないことこそが答え。そうなのだ。
つまり、軍に保護されれば何らかの不都合がわたしに生じる。
「わたし、何かされるんですか……?」
怪しい人間だと、拷問でもされるのだろうか。
日本でならありえないことだけれど、ここは軍の存在する世界だ。
少しだけ泣きそうになりながら聞いた。
けれど、ホークアイさんは答えない。
いよいよ本気で泣きそうになって、それでもここから逃げ出す方法は無いものかと思考を巡らせた、そのとき。
「ホークアイ少尉、入るぞ」
わたしとホークアイさんの二人きりだった空間に、マスタングさんが入ってきた。
一瞬、彼が入ってきたそのドアから逃げ出すことも考えたが、無計画でそんなことをやってもきっと失敗する。
相手は軍人だ。
力でねじ伏せられたら勝てない。
それどころか、やましいことでもあるのかと逃げ出した理由を問いただされるだろう。
出し抜くなら頭を使うしかない。
けれど、そんな計画を考えることに頭が回るほど今の私には余裕がなくて、わたしは唇を噛んで俯いた。
「少尉、どうだ?」
「名前以外は分からないと……」
わたしの頭上で、そんな会話が為される。
彼らはいくつか言葉を交わしていて、その会話を右から左に流していると、唐突にわたしの肩にはロイさんの手が回された。
は私が引き取ろう」
「! 中佐、しかし……」
「軍に保護されればどうなるか、分からない訳じゃないだろう?」
マスタングさんの言葉に、ホークアイさんは返す言葉を見つけられないようだった。
「大丈夫。彼女が危険人物じゃない点については、私が保障する」
その言葉で、わたしは理解した。
要するに、ホークアイさんはわたしが軍に引き取られることも気の毒に思うけれど、マスタングさんの身の安全のことも考えているのだ。
わたしからすればそれは悲しいことだけど、彼女が軍人であることを考えれば寧ろ優しいくらいだ。
、君はどうしたい?」
軍に保護されるか、私に保護されるか。
マスタングさんが、優しい声で尋ねてきた。
「わたしは、怖いのも痛いのもいやです」
「大丈夫。私は、怖い目にも痛い目にも遇わさないよ」
正直なわたしの気持ちに、マスタングさんが答える。
彼も軍人だ。
彼に保護されても、軍に保護されるのと変わらないかもしれない。
けれど……。
「それじゃあ、よろしくおねがいします」
あんなにも優しく微笑んでくれたあなただから。
だから、信じてみたいと思う。
そしてマスタングさんはまた、優しげな笑顔を浮かべた。





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20080131