「……弾き出された後、元の世界に戻れる保証はあるんですか?」
 帰りたい、帰るべきだ。強くそう思うと同時に、はどこかで帰れない理由を探している自分にも気付いた。少しでも不確定な要素があるのなら残るべきなのではないだろうか。
「帰れるさ。の魂が最も深く結びついてる世界だ。ここから弾かれれば必ず帰れる」
 しかしそんなの気持ちとは裏腹に、ティキはが元の世界に帰れることを確信しているようだった。
「…………」
 は沈黙する。理性で考えればが出すべき答えは決まっている。けれど、どうしても決断できなかった。ここでが帰ればアレンは本当に一人ぼっちになってしまう。……どうしよう。どうしたらいいのだろう。
 思い詰めた表情で悩むを救ったのはやはりアレンだった。
、帰りなよ」
 黙って話を聞いていたアレンははっきりとした声でに言った。言われた方のは「え?」と心許ない表情で顔を上げる。
「知ってるよ、がずっと元の世界に帰りたがっていたこと」
「でも、それじゃあアレンくんが」
 言いかけたにアレンは苦笑した。
「だから元々僕は連れて行かないって言ってるじゃん。帰れない理由を僕のせいにしないで」
「待って、わたしそんなつもりじゃ……」
 泣きそうなにアレンは微笑む。しょうがない人だなぁ。
「うん。分かってるよ、分かってる。でも、だからこそ帰って。が僕の幸せを願ってくれたように、僕もの幸せを願ってるんだ」
 偽りのない真っ直ぐな瞳だった。別れを予感させる言葉に、じわり、との目に涙が浮かぶ。
「アレンくん……」
 頼りない様子のの背中をアレンは抱き寄せた。子どもをあやすようにその背中をポンポンと優しく叩いて、アレンは穏やかな声で告げる。
「世界中が僕の敵になっても僕の味方でいてくれるっていう言葉、嬉しかった。実際はこんな状況でも付いてこようとしてくれたし。……でも、もう充分だよ。充分だ。この言葉と事実だけで、僕はこの先もやっていける」
 ……そんなの嘘だ。思い出だけで生きられるほど人間は強くない。一度世界を失ったにはそれがよく分かる。……分かるのだ。分かっているのに、はその言葉を口から発することができなかった。それを口にしていいのは、ここに残るという決断をしたときだけだ。そんな残酷な言葉を、これからを必死に生きようとするアレンに突き付けることなんてできない。
、元の世界には本当の家族がいるんでしょ。友達だっていたはずだ」
「…………」
 そうだ、その通りだ。が積み重ねてきた人生の何もかもがあちらの世界にはあった。だからこそ帰りたくて帰りたくて、この世界で生きることを、この世界にために命をかけることを拒絶していた。今だってこの世界のために命をかける勇気はない。……それでも、目の前の少年のことだけは本当に大切だったのだ。
「みんなきっとのことを心配してる」
「……っ」
 分かってる。分かって、いる。アレンと同じくらい大切にしていたものがあちらにはある。分かっている。間違いなく今、は帰るべきだ。
「アレンくん、わたし……わたし……っ」
 涙が止まらない。こんなタイミングで帰れるチャンスを与えるなんて、神様はなんと意地悪なんだろう。帰る日はきっと晴れやかな気持ちで“みんな”に送り出されるんだろうと心のどこかで思っていた。大嫌いなはずのこの世界に別れを告げるのにこんなにも胸の痛みを伴うとは思っていなかった。
 言葉にしなくともアレンはが決断したことを理解した。涙をこぼし続けるの額に自分の額をコツンと合わせてしっかりと目を合わせる。
、最後は笑顔で別れよう。最後に見るのが君の泣き顔なんてあまりにも悲しいからさ。……ねぇ、笑って?」
 アレンの優しい台詞に余計に涙がこぼれてくる。それでもは一度強くぎゅっと目を瞑り視界を滲ませている涙をはらうと、頬に残る涙を手の甲で拭って精一杯の笑顔を浮かべた。
「アレンくん、今までありがとう。送り出してくれて、ありがとう。……この先のアレンくんの旅に付いて行くことはできなくなってしまったけれど、ずっとずっとアレンくんの幸せを祈ってる」
「ありがとう。からもらった言葉、お守りにするよ。どうか元気で」
 アレンの言葉を噛み締めながらは目を閉じる。この先、きみの進む道が、どうか少しでもやさしいものでありますように。
 そんなアレンとのやり取りを見守っていたティキはやれやれと肩をすくめる。
「ようやく決まったか」
「……はい。元の世界に帰ります」
 ティキの問いかけに今度こそ強い意志を持っては頷いた。
「言い残したことは?」
 存外親切なティキの質問には一瞬考えて、それから「あっ」と腕に掛かっていた風呂敷をアレンに差し出した。
「そういえばジェリーさんに用意してもらったみたらし団子とお茶があるの。持っていって。あと……」
「あと?」
 風呂敷を受け取りながら首を傾げたアレンに、は少し照れ臭そうに笑った。
「あと、いつかまたコムイさんに会うことがあったら伝えておいてほしいの。“探していた髪留め、もしもコムイさんが見付けたらそのまま差し上げます”って」
「……? コムイさんと会うことなんて当分無いと思うけど……」
「……いいの。伝わらなかったらそれでも」
 は団服のポケットを撫でた。……彼はいつが元の世界に帰ったことを知るだろうか。お別れ言えなかったなぁ。
 が少しだけ寂しそうな顔をしたことにアレンは気付いたが結局なにも言うことはなかった。彼と彼女の間には自分とはまた違う絆があったのだろう。アレンはそれを“よかった”と思った。自分以外にも少しでも心を許せた相手がいたのなら、それはアレンにとっても幸せだ。
 ふいにティキが険しい顔で遠くの方を見た。
「悪いが時間がなさそうだ。そろそろ“送る”ぞ」
 ティキの右手がの背中に添えられる。
 アレンとは顔を合わせて頷いた。互いへのありったけの愛と感謝の気持ちを込めて、二人は手を握り合う。
「さようなら、。さようなら、僕の“奇跡”」
「さようなら、アレンくん。さようなら、わたしの“希望”」
 微笑んで別れの言葉を交わすと同時に、は世界から消えた。



『次は大手町〜、大手町〜……』
 まばたきをしたという意識もなく、ふと目を開けるとは立ったまま地下鉄に揺られていた。見慣れた赤い座席に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた人々。始まりと同じように、終わりは実に呆気ないものだった。
(帰って……きた? え? いや、わたしは今から大学に行くところで……あれ? え?)
 瞬いた瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきては慌てて俯く。は一瞬、自分がなぜ泣いているのか分からなかった。
 そうだ、わたしはこの世界に帰ってきたくて、けれどもアレンくんと離れるのが辛くて、それで泣いていたのだ。だが、そんな記憶と同時に大学生として当たり前にキャンパスライフを送っていた記憶が自分の中にあることに気付いては混乱した。
(わたしは大学生だった……?)
 いや、たしかにエクソシストだったはずだ。この世界では学んだ覚えのない語学の記憶も科学の知識も、思い出そうとすればきちんと思い出せる。
 混在する記憶。このとき初めては自分がこの世界から完全に消えていたわけではなかった事実に気が付いた。どういうわけかの記憶、あるいは魂と呼ばれるものは、高校生だった“あの日”で分岐し、また一つに戻ったようだった。
(アレンくん……)
 目を閉じて最後に見た微笑みを思い出す。……大丈夫。きっと……きっと、彼が愛した世界は彼に応えてくれる。頑なだったの心を開いてくれたように、きっと。慈しみ深い彼は、たくさんの愛を受けて、いつかまた心から笑える日がくるだろう。

 ……そうであるように、世界の果てではずっと祈り続ける。



最果てへの片道切符



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2021.2.9