それは虫の知らせとでも言おうか。コムイに別れを告げて間もなく、はどうにも胸がざわつく感覚に首を傾げた。これからがする提案にルベリエが否と言わないだろう自信は充分過ぎるくらいにある。しかし妙な不安感が拭えない。否、これは不安感なのだろうか? 焦りのような、あるいは期待のような。
「…………」
立ち止まって少しの間考え込む。……ルベリエに会いに行く前に念のため自室で所持品の点検でも行っていこうか。
は進路を変え、再び足早に歩き出した。
最果てへの片道切符
「ウォーカーに食事を差し入れたい?」
難しい顔で聞き返してきたルベリエには臆することなく微笑んだ。
「ええ。自白剤を恐れて食事を取っていないと伺いました。わたしが直に差し入れた物であればおそらく食べてもらえるかと」
「、君が自白剤入りの食事をウォーカーに食べさせると?」
ルベリエの問い掛けには口元に手を当ててふふふと笑う。
「あらいやだ、わたしがアレンくんにそんなことするわけないじゃないですか。普通においしい食事を届けるんですよぅ」
「この私が許可すると思うかね?」
「思いますね。ルベリエ長官、今アレンくんに死なれると困るんじゃないですか?」
は即答した。確証があったわけではない。ただ自信無さ気に問えば否定されるに違いなかったので自信有り気に答えただけである。外していたとしてもがただ恥ずかしい人になるだけであり、アレンの命と天秤に掛ければ大した損害ではなかった。
「……何を知っている?」
声を低くしたルベリエにの唇がにんまりと弧を描く。ああ、やっぱりか。
「なにも? ただ、そういえば貴方の口からアレンくんを殺そうとする旨の発言は聞いたことがなかったなと思って」
「…………」
先刻の盗み聞きした会議でだってアレンを殺せと宣ったのは枢機卿の一人でありルベリエではなかった。
飄々と答えるにルベリエは一瞬意表を突かれたような顔をする。なるほど、のはったりを疑う余裕も無いのか。あるいはよほど重大な秘密を抱えているのか。つつくと藪蛇になりそうだなぁ、とは内心ため息を吐いた。古今東西秘密を知り過ぎた者は消されがちである。あまり欲張るのはやめておこう。
「そんなに警戒なさらなくてもわたしはただ純粋にアレンくんが餓死してしまわないか心配なだけですよ。貴方にどんな目論見があろうと正直どうでもいいですし」
「さて、いつまでそう言っていられるかね」
「……どういう意味ですか?」
意味深な物言いにが思わず素の状態で食いつくとルベリエが「ふ」と笑う。
「“どうでもいい”んだろう? ならばその話はここまでだ」
「…………」
生意気な小娘をやり込めてやったつもりでいるのだろうか。わざと質問させておいてその返答なのだから性格が悪い。は自分のことを棚に上げて思った。
ポンポン、とルベリエがの肩を叩く。腹の立つ表情だ。
「ウォーカーに面会する許可を出そう。私の側近を一人付けるが構わんね」
「……ええ、構いません」
元より一対一で面会できるとは思っていない。は己のプライドのためになるべく気にしていない風を装って頷いた。
それから数十分後、は地下牢への道をルベリエの側近である男を引き連れて歩いていた。の腕の中にはファンシーなピンクのウサギ柄の風呂敷。使い捨ての容器に入れてもらったみたらし団子と温かい緑茶の入った水筒が包まれている。本当は胃に優しそうなお粥でも差し入れるつもりだったのだが、なんとが食堂を訪れるほんの少し前にリンクがアレンに差し入れると言ってジェリーにお粥を作らせたというのだ。仕方がないのでアレンの好物とそれに合う飲み物を用意してもらった。
(リンクさんに先を越されるってどういうこと? しかも長官は知らないみたいだし)
知っていたらルベリエはにアレンとの面会の許可は出さなかっただろう。となればお粥の差し入れはリンクの独断ということか。ルベリエに伺いを立てずにリンクが行動したという意外さには内心驚く。あの二人そんなに仲良くなっていたんだろうか。
考え込んでいるうちにアレンの収容されているという牢の扉が見えてくる。近付いてすぐ、と付き添いの男はその場の違和感に気付いた。牢の前に見張りが誰も立っていなかったのだ。は振り返り、背後を歩いていた男と顔を見合わせた。無言で頷いた男にも頷き返す。警戒しながらも更に近付いたところで理由が判明した。牢を見張っていたはずの警備たちが全員意識を失って倒れていたのだ。と男の間に緊張が走った。
そろり、とは腰元にあるイノセンス“舞姫”に手を掛ける。その次の瞬間、
──ドン!
突如として大きな爆発音が目の前の扉から響き、天井を突き抜けたらしい何かが上方へ飛び出していった。
それは大きな光の球。爆風で飛んでくる木片や小石を舞姫で防ぎながらは宙を見上げる。そしてその形を目で捉えた瞬間、彼女は反射的に舞姫をふるってその球体の方へ飛び上がっていた。
「アレンくん!?」
舞姫で風の足場を作りながら空中に立つ。
巨大な球の正体はティムキャンピーと、それに咥えられたアレンであった。ティムキャンピー口の中にはもう一人、いつだったかティキ・ミック卿に紹介された少女が一緒になってぐったりしている。
そして二人を咥えるティムキャンピーの上にはティキ・ミックその人。吹っ飛ばされたティムキャンピーを空中でキャッチしたようだ。
「おっ、じゃん。久しぶりー」
「は? ティキ・ミック卿……? え? ティムキャンピー? アレンくん……? え、なに……?」
ティキはボロボロの姿でありながら呑気な挨拶をしてくる。はあまりの状況の掴めなさに目を白黒とさせながらティキとアレンを交互に見遣った。そんなにティキは場にそぐわない笑顔を浮かべる。
「ちょうどいいや、にも用があったんだよ。ちょっと付いてきてもらうぜ」
そんな言葉と共に伸びてくる手。
「えっ、うわっ、ちょっとなに!? ぎゃーー!」
避ける間もなく襟首をひっ掴まれて後方に引っ張られる。そのまま加速されては「ぐえ」と呻いた。目まぐるしく景色が変わっていく。何が起きているのかさっぱり分からない。
「ちょっとティキ・ミック卿! 本当になんなんですか! アレンくんとわたしをどうするうぐっ」
どうするつもりなの、という台詞は急な方向転換によって最後まで紡ぐことができなかった。
「黙ってないと舌噛むぜ」
「…………」
遅すぎる忠告にはムッと口を引き結んで黙り込む。いったいどこまで連れて行かれるんだろう、と考えたところで辺りに伝令が響き渡った。
『異常事態発生。本部敷地内にノアを確認。アレン・ウォーカーと共に東沿岸部方向へ逃走の模様』
「!?」
は己の耳を疑った。アレンが逃走? ティキに捕まっているこの状況がか? しかしアナウンスにの名前は含まれていない。なぜアレンだけなのだ。この伝令は誰がどこから出している?
『2200時、対策会議を緊急招集』
対策会議? いつの間にそんな……。コムイも参加しているのだろうか? 今までコムイに仕掛けていた盗聴器は今はの方が身に付けているためこちらから向こうの状況は把握できない。そうだ、コムイは今この盗聴器をリアルタイムで聞いているだろうか? ……無理か。つい先程までなんの構えもなかった本部内はおそらく今てんやわんや。教団の司令官であるコムイは対応に追われてそれどころではないだろう。
『2210時、全エクソシストの無期限任務の有効化を決定。この事態を受け、教皇は勅命を発令』
「!」
次に発される言葉を予想しての顔から血の気が引いていく。……待って。お願いだから待って。なんで。どうして……?
『全団員に通達する。現時刻をもってアレン・ウォーカーのエクソシスト権限を凍結。以降ノアと識別する』
ティムキャンピーの中でぐったりとするアレンを視界に収めながら、は為す術もなくただその通告を聞いていた。