それからというもの、コムイがに話し掛けている場面が教団内で散見されるようになった。少々察しの良いものたちは興味深そうにその様子を見守り、に想いを寄せていた団員たちはライバルが増えたと内心ハンカチを噛んでいた。彼らの関係の変化にいち早く気付いたのはリナリーだったが、彼女もただ様子を見守ることに決めたようだ。ラビは時々面白そうにコムイやに視線を向けることはあったがそれを口に出すことはなく、神田は我関せずを貫き通している。当のは状況をおおむね理解しながらも、誰もはっきりと口に出して尋ねてくることはなかったため、その全てに対して“気づかないフリ”を決め込んでいた。



最果てへの片道切符




 今日も今日とてコムイは他愛もない話をに投げ掛けてくる。今は少し遅めの昼食を取りに食堂へ向かうに本日のお勧めメニューを紹介しているところだった。
「今日は良いサーモンが手には入ったらしくてね。“石狩鍋”とかいうのがおいしかったよー。あれ日本の料理なんでしょ?」
「日本の、というか、日本の北の地域の郷土料理ですね。こっちでいえばアイリッシュ・シチューみたいなものです。食べたことはありますけど日本料理として親しみがあるかと聞かれると個人的には微妙ですね。サーモンならおにぎりとかお茶漬けの方がよく食べてました」
「そうなのかぁ。じゃあ今度はそっちを頼んでみようかなぁ」
 それにしてもジェリーさんは鎖国している国の料理なんかよく知ってるよなぁ、しかもおいしいし。はコムイが話すのを聞きながらぼんやりと考えた。日本に限らずどんな国のどんな料理をリクエストしてもササッと作って提供してくれるので食材や調味料をどうしているのかとても気になる。常にありとあらゆるものを備えているんだろうか。あの厨房とジェリーさんの料理の腕はいったいどうなっているのやら。異次元過ぎて実はジェリーはエクソシストでイノセンスの力でどうにかしていると言われた方がいっそ納得できるレベルだ。
「ところでコムイさんお仕事は?」
 どうやら食堂まで着いてくる気でいそうなコムイに問いかける。石狩鍋の感想が出るということは既に昼食を済ませているのだろう。
 コムイは一瞬ピキリを動きを止めると、ぎこちない笑顔をその顔に浮かべた。 
「……オワラセテキタヨ?」
 終わってないな。はすぐに察した。そもそもコムイの仕事はそう簡単に終わる量の仕事じゃない。一つ仕事が終われば二つ仕事が降ってくるような仕事だ。コムイ自身は隠し事がどうしてもできないタイプというわけではないはずなのでこれは隠す気がないのだろう。
 でもまぁいいか、とは結論付けた。仕事が終わっていなかったところでに実害があるわけでもない。……と思ったのだが。
「室・長!」
 突如として背後から掛かった鋭い声にはコムイと揃って飛び上がった。この声は……。
 二人で恐る恐る後ろを振り返るとそこに立っていたのは中央庁から派遣された室長補佐役のブリジット・フェイであった。元々は中央庁で事務官をやっていたバリバリのキャリアウーマンである。
「山積みの書類放り出していったいどちらへ?」
「い、今からお昼なんだ……」
 鋭い視線と声に震え上がりながらコムイは答える。その答えにフェイは目を眇めた。
「先程煮込んだサーモンを召し上がっていましたよね?」
「あれー? そうだったかな……?」
 コムイは空惚けるが無駄だろう。なにせ食事の内容まで把握されている。おじいちゃんご飯ならさっき食べたでしょ……。
 その場から逃げるタイミングを逃したはなるべく気配を消しながら静観していたが、その甲斐もなく次のフェイの矛先はに向けられた。
「それにしても、またですか」
「お、お疲れ様です」
 ちらり、と視線を向けられては曖昧に微笑む。フェイはそっけなく「はい、お疲れ様です」と返した。
ちゃんには僕が話し掛けたんであって彼女に非はないんだ」
 にフェイの不穏な気配が向けられたのを察したコムイは、フェイがに何か言おうとするよりも早く口を挟む。そんなコムイにフェイは冷ややかな視線を向けた。
「もちろんそうでしょうとも。室長は彼女のことが随分とお好きなようですからね」
「そう面と向かって言われると照れるなぁ」
 いや、たぶん嫌味を言われているのであって照れている場合じゃないと思うが。は思うがコムイもそれは承知の上だろう。能天気なように見えても教団のトップ。空気を読む能力も腹芸をする能力もそれなりにあることをは知っていた。
 しかしその返しはかえってフェイにコムイとのやりとりを諦めさせる要因となり、結果としてはフェイと一戦交わす羽目になった。
「お聞きになって? 貴女のことが気になって仕事にならないんですってよ、
 に向けられた棘にコムイがぎょっとして「え、ちが」と言い掛けるが、忘れてはいけない、相手はだ。
「あら、罪作りで困っちゃいますね。でもわたしはちゃんと“お仕事は?”って聞きましたよ。その男は終わらせてきたって答えました」
 は笑顔でフェイの言葉を受けると、そのまま容赦なくコムイを売った。誰もが触れなかった事実をまさかフェイから突き付けられるとは思っていなかったが思いの外動揺はない。おそらくフェイがにとってまったく“外側”の人間だからだろう。それよりもお腹が空いているので早いところ戦線離脱してさっさと昼食を食べに行きたいのが正直なところだった。
「でも、彼が仕事を終わらせていないこと、貴女ならば分かっていたのではなくて?」
「さあ? わたしはエクソシストですから事務仕事のことはさっぱり」
 さっぱりどころかフェイが来るまではかなり混み入ったところまで事務処理を手伝っていただったが、その事実は公式には残っていない。は堂々としらばくれた。
「ふぅん、“エクソシスト”ねぇ……?」
 フェイは意味有り気にそう返してくるが、中央庁との契約でが戦闘しなくてもよいという事実は伏せられている。室長補佐官であればその辺りは正確に把握しているであろうから、それ以上は突っ込めまい。
 は余裕綽々で微笑んだ。
「ふふふ、非力でお恥ずかしい限りですが」
 厳しい表情のフェイと笑顔の。勝負はついたようなものだったが、終了の合図が鳴るよりも早く二人の女の静かなる戦いにコムイが音を上げた。
「ごめんなさいごめんなさい嘘を吐いた僕が悪いんです僕のために争わないでっ」
 両手を組み、祈るようなポーズでぎゅっと目をつぶってヒロインよろしく割って入るコムイ。
「…………」
「…………」
 女二人無言で視線を合わせる。互いに白けた顔をしていた。頭痛を堪えるような仕草をしたフェイにが黙って頷くと、フェイの方もしっかりと頷く。
「では室長、仕事にお戻りいただけますね?」
「戻りますぅ……」
 コムイは半泣きで答えていたがびっくりするほど同情心が湧かない。
 来た道をフェイと共にとぼとぼと歩き出したコムイは数歩進んだところで振り返った。
ちゃんごめんね、また後で話そうね!」
「いえ、別にいいんでちゃんと仕事終わらせてください」
 普段から溜めに溜めている仕事だ、数時間では終わらないだろう。はひらひらと手を振った。やれやれとんだ茶番に巻き込まれた。
「わーん、ちゃんのイケズぅー!」
「ほら室長、行きますよ」
 並んで遠ざかっていく二つの背中。それを眺めながらふいにモヤッとした感覚を覚えては片手で胸を押さえた。
「……?」
 残念ながら鈍感力を持ち合わせていないはすぐに心当たりに思い当たり深々と溜息を吐いた。
「はぁ……単純で馬鹿な女」
 応える気なんかないくせにね。自嘲するように呟いて胸元から手を下ろす。
 忘れてはならない。今だっての一番の願い元の世界に帰ることだ。そしてそれはきっとこの先永遠に変わらない。だからどんなに手に届くところにそれがあったとしても手を伸ばすわけにはいかないのだ。
 ……だから、まあ。今はとりあえず空腹を訴えているこのお腹の欲を満たそうか。は気を取り直し、今度こそ食堂に向かって歩き出した。

「ジェリーさーん、石狩鍋くださーい!」



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2021.1.31