都合の悪い情報は伏せたつもりだ。
それでも、聡い彼女ならばコムイが言葉にした以上のことを察してしまっただろう。
そのことに対する苦い気持ちと、それでもが生きていたことへの純粋な喜びがコムイの心を乱していた。
科学班室長としての立場から、それを表に出したりはしないけれども。
「それで、ちゃんの記憶についてだけど……」
おそらく今彼女が一番気になっているであろう話題をコムイは切り出す。
は無言でその続きを待った。
「ついさっき……ちょうどバク支部長から連絡をもらう一時間くらい前にちゃんの部屋を確認したんだ。そうしたら、例の花びらが消えていた」
「へー、部屋を確認……」
当たり前のように悪気なくなされた報告に、は思わず口元を引きつらせた。
「あ。……いや、ええと、その、花びらがずっと消えなかったもんだから、君の部屋には定期的に調査が入ってて……」
の声色が変わったことで自分の失言に気付いたらしいコムイが言葉を濁らせる。
「ふーん」
はあえて短く返した。
「……ごめん。勝手に部屋に出入りされるなんて、気持ちの良い話じゃないよね」
「……。まあ別に見られて困るようなものもないし別にいいですけどね」
は溜息を吐く。
黒の教団に所属する以上、ある程度のプライバシーの無さはしょうがないだろう。
は気持ちを切り替えた。
「それで? その花びらがわたしの記憶だと?」
「おそらく」
強制的に拒絶させられ、切り落とされたの記憶。
数々の怪奇現象を起こしているイノセンスとそれが組み合わさったというのはありえない話ではなかった。
実際、それまで消えることのなかった花弁はが記憶を取り戻したのとほぼ時を同じくして消えている。
ちゃん。君が居なかった間、黒の教団では色々と状況に変化があったんだ。話し合わなくてはいけないこともたくさんあるし、イノセンスも渡さなくてはいけないから、いったん本部に帰っておいで」





最果てへの片道切符





突然はっと目が覚めて、は飛び起きた。
(え? 今わたし寝……え?)
どうやら自分は今まで寝ていたらしい。
その事実に混乱しながら、はきょろきょろと辺りを見渡す。
知らない場所だ。
しかし、この雰囲気には覚えがる。
(アレンくんを見付けて、教団に助けを求めて……そうだ、ここは中国支部だ)
は取り戻した記憶が自分の中に残っていることにほっとした。
大丈夫、アレンのことも、ノアのことも覚えている。
目覚める前の記憶はコムイとの電話を終えたあたりからぼんやりとしているが、酷く疲れていたし、いつの間にか眠ってしまったのかもしれない。
は寝ていたベッドからそろそろと降り、すぐ横に置かれていた靴を履いた。
モノクロを基調にした部屋に唯一あるドアに向かい、ひんやりとした金属のノブを回せばドアはすんなりと開き、密かに安堵する。
今回が教団に戻れなかったのは不可抗力であったが、本当に話を信じてもらえたのか不安だったのだ。
なにせ、には教団から逃げ出した前科がある。
拘束されていたり閉じ込められたりしていないことを考えると、ひとまずの話は信じてもらえたのだろう。
は開いたドアの隙間からひょこっと顔を出した。
(誰もいない……)
がいるのは、長く続く廊下にずらりと並んだ部屋のうちのひとつのようだった。
部屋にはベッドとデスク、クローゼットが置かれているから、もしかすると団員に与えられる私室の空き部屋なのかもしれない。
は部屋から出て後ろ手にドアを閉めると、長い廊下を歩き始めた。
中国支部の造りは知らないが、歩いていれば誰かしらには出くわすだろう。
案の定、二度ほど道を曲がって先程とは違った雰囲気の廊下に出るとすぐに人に出くわした。
「あ、さん。もう起きて大丈夫なんですか?」
「はい。おかげさまで」
のことはすでに団員たちに伝わってるらしい。
柔和な笑みでに親しげに話し掛けてきた男に、も微笑みを返す。
白衣を着ているから、目の前の男はおそらく科学班の人間だろう。
「バク支部長ならアレンさんに会いに行きましたよ」
「! アレンくん、目を覚ましたんですか!?」
「はい。アレンさんも起きて勝手にどこかに行ってしまったらしくて、先程までフォー様と支部長が慌てていました」
ものすごい勢いで話しに食いついてきたに、男は苦笑しつつも教えてくれる。
も起きて勝手に歩き回っていた身ではあるのだが、特に責めているという訳ではなさそうだった。
「アレンくんはいまどこに?」
「移動していなければ、地下の聖堂だと思います」
「えーと」
それはどこだろう。
首を傾げたに、男は察したように口を開いた。
「そこの階段で一階に降りたら右に曲がって、廊下を真っ直ぐ進んだら突き当たってまた右に曲がって階段を下ってください」
「ありがとうございます!」
頭を下げて、はすぐに走り出した。
「あっ、アレンさんは今支部長と話し合い中かもしれないので……って、もう行っちゃった」
(まぁいいか)
彼女はエクソシストだし。
しかも、今はアレン・ウォーカーと並んで話題の中心にいるエクソシストだ。
本部の人間とは違い、滅多にエクソシストに会う事のない中国支部の人間にとってはちょっとした有名人に会えたような感覚である。
そんな彼女に会う事のできた幸運に男はにこにことしながらとは反対の方向へと歩き出した。

……必要があれば、あの"番人"が人払いしていることだろう。





二年前の別れのときを思えば、アレンと顔を合わせることに躊躇いがなかったわけではない。
それでも、の中ではアレンの無事を一刻も早く確認したい気持ちの方が勝っていた。
アレンと過ごしていた日々の記憶を思い返しながら、科学班の男に教えてもらった道を足早に進む。
目的地に近付くと何やら話し声がしたが、空気を読むスキルをオフにして、はその場所に足を踏み入れた。

「アレンくん!」

名前を呼ばれた白い頭が、反射的にこちら側に振り返る。
声の主を視界に入れて、アレンは目を見開いた。
「!? フジ、……!?」
驚きの声をあげたアレンには駆け寄る。
傍にいたバクが「目が覚めたのか」と声を掛けたが、には聞こえていなかった。
「アレンくん、無事? 生きてる? 怪我は……」
「ちょっ、……!」
戸惑うアレンなどお構いなしにその肩やら胴やらをぺたぺたと触りながら確認していたは、違和感に気付いてはっと動きを止める。
「アレンくん、う、腕が……」
は声を震わせてさっと顔色を無くした。
アレンの肩には左腕が付いていなかった。
(そういえば、あの時は混乱していていろいろと気にしてられなかったけど、"あの人"がアレンくんを殺そうとしたとき、あの人はアレンくんの左手に何かしてたんだった)
の記憶が正しければ、その腕はアレンの対アクマ用武器だったはずだ。
はぎゅっと唇を引き結んだ。
にとってイノセンスはいらないものでも、アレンにとっては大切なものだったはずなのに。
「あの、……?」
黙り込んでしまったに、アレンは恐る恐ると言った様子で呼び掛けた。
は無言のまま、アレンの様子を覗うようにその視線を合わせる。
「僕のこと、覚えてるの……?」
「…………うん」
そうだ、とアレンが最後に言葉を交わしたのは正確には二年前ではないのだ。
記憶を失い、ティキと共に行動していたときに、キリレンコ鉱山でとアレンは言葉を交わしている。
ぱっと表情を明るくしたアレンを、はしかし暗い気持ちで見つめた。
「アレンくん、あの……」
「?」
切られた言葉の続きをアレンはきょとんとした顔で待っている。
「腕……」
はぽつりと呟いた。
そんなを見て、アレンはぱちぱちと目を瞬く。
それからふっと苦笑いを浮かべて、包帯の巻かれた不自由そうな右手で頭を掻いた。
「ノアにやられちゃった」
「……っ、…………」
はくしゃりと顔を歪めた。
明るい調子でアレンが答えたのが、余計に辛かった。
「ごっ……ごめ、ごめんなさ……」
みるみるうちにの瞳に涙が溜まり、留めきれなくなった滴がの両目からぼろぼろと零れる落ちる。
これに慌てたのはアレンだった。
「え、!?」
ついに顔を両手で覆ってしまったに、アレンはおろおろと助けを求めてバクの方を見る。
しかし、バクは苦笑いを浮かべて首を横に振っただけだった。
自分で何とかしろという事らしい。
、あ、あの」
「名前……」
「え?」
とりあえず何か言わなければと切り出そうとしたアレンの声をが遮る。
口を開いては躊躇うの言葉をアレンは根気強く待った。
やがて、はその重い口を開いた。
「名前、呼べなくてごめんね……庇ってくれたのに、いなくなってしまって……腕、助けられなくてごめんなさい……っ、……謝って済む話じゃないのは分かってるんだけど……」
同じ道を歩くことはできないと思っていた。
だからこそ別れることを選んだけれど、結局その意志を通し続けることはできなくて、ただ徒にこの世界で一番大切だったはずの関係を失ってしまった。
アレンの元を離れなければ、記憶を失ってあんなに傷付いた表情をさせることもなかったかもしれないのに。
ティキにだって、二人ならば対抗できる術もあったかもしれないのに。

涙ながらに懺悔するに、アレンは柔らかい声で呼び掛けた。
顔を上げたにアレンは笑い掛ける。
そして。

「……まったくだよ。あの日、目が覚めたらが居なくなっていて僕がどんな気持ちだったか……せっかく再会できたのにすっかり忘れられてしまっていた僕がどんな思いでいたか……に分かる?」

「うっ……ごめ、んなさ……い」
どこか黒いものを含んだその笑みに、は声を詰まらせた。
なんと責められても仕方がない。
それでも感じる居心地の悪さに、は目を泳がせる。
気まずそうなをアレンは黒い笑顔のまましばらく眺めていたが、やがてプッと吹き出した。
「ア、アレンくん……?」
そんなアレンをは恐々と見つめる。
アレンは笑いをこらえるように拳で口元を押さえて、それから苦笑した。
「なんて顔してるの、
「だ、だって……」
は言い淀む。
そんなに、アレンはしょうがないなぁというように口元を緩ませた。
「許すよ」
「え?」
「僕の前から消えたことも、僕を忘れてしまったことも、全部許すよ。……バクさんから話を聞いたんだ。僕を見付けて助けを呼んできてくれたのはだって。前のときだって……命の恩人は結局の方だ」
驚きに目を見開くにアレンは語る。
約二年前、を庇い、怪我を負ったアレンが薄れゆく意識の中で最後に見たのはアクマに立ち向かうだった。
己の命を何よりも大切にしていたには、アレンを見捨てて逃げるという選択肢だってあったのに。
「ち、ちが、わたしは……」
(わたしはいつだって自分の事しか考えていなかった)
あの日アレンを助けたときもはギリギリまで迷っていたのだ。
そもそも、アレンが怪我をしたのだってエクソシストであることを隠していたが足手まといだったせいである。
だというのに……。
「それに、はまた僕を見付けて名前を呼んでくれた……だから、許すよ」
だというのに、彼はそう言って笑うのだ。
「……っ、〜〜〜〜っ!!」
このとき感じた感情になんと名前を付ければいいのだろう。
気が付くと、は思いっきりアレンに抱きついていた。
「わっ」
「ううっ、アレンくん〜〜〜〜!」
生き別れた家族に会えたような、喜びとほんの少しの気恥ずかしさ、それから申し訳ないという気持ち。
さまざまな感情が混ざり合い、涙となって零れ落ちてくる。
「もう、、いつの間にそんなに泣き虫になったの?」
泣きながら抱きつくをからかうようにアレンは言う。
「だって〜〜」
嬉しくて、それでもやっぱり悲しくて、どうしようもないのだ。
僅かに首を上げ、二年前よりも高い位置になった顔を見上げる。
そして、は泣いたままへにょりと笑った。
「……アレンくんだって、泣いてるじゃない」
「えっ!? あれっ!?」
に指摘されたアレンは、自分の目元に触れて初めて自分が泣いていることに気付いたようだった。
「……おかしいな。僕はなんていうか……ホラ、からもらい泣きだよ」
泣いていることが恥ずかしいのか、そう言って誤魔化そうとするアレンには微笑む。
「素直じゃない子ね」
「……お互い様」
涙を浮かべたまま、顔を見合わせて笑う。
それからお互いぎゅうぎゅうと抱き合って、アレンとはほんのしばらくの間一緒に泣いた。





「泣き疲れて眠るなんてまるで子供だな……しかもお互いに抱きついたままなんて、いくら家族のようなものだからとはいえ年頃の男女としてちょっとどうかと思うぞ」
『そっか……ちょっと妬けるね』
「それはに? それともウォーカーに?」
『…………両方、かな』
「ほー……。まあ、でも良かったな。二人とも生きてて」
『ああ』





53 ←   → 55





--------------------------------------------------
2014.6.17