「荒唐無稽な話だと思いますか?」
全てを語り終えたが尋ねると、コムイは相手に自分の姿が見えないことを知りながらも首を横に振った。
『……いや、ノアの存在にも切り落とされたという君の記憶にも心当たりがある』
「記憶の……?」
ノアについてはともかく、記憶が無くなったことについて心当たりがあるとはどういうことだろう。
ちゃん、今、“舞姫”は?』
「…………」
訝しげな声をあげたにコムイは問いかける。
は黙り込んだ。
ティキに記憶を切り落とされる瞬間までは確かに所持していたはずだが、それ以降どうなったかは分からない。
(あれ? もしかしてこれでイノセンスから解放されたりする……?)
だとすれば、想定外の出来事ではあるが、としては超ラッキーである。
そんなことを考えていただったが、その淡い期待はすぐに裏切られた。
『いや、いいんだ。ただちょっと確認しておきたかっただけで、実は今君のイノセンスは本部にある』
「はぁ?」
どうして任務先で失くしたと思われるイノセンスが本部にあるのだろうという疑問と、 どういうわけかの沈黙を“イノセンスを失ったことに非を感じている”と捉えたらしいコムイへの不満から、は声をあげた。
だが、それさえもコムイの耳は都合よく捉えたらしく――もしかしたら分かっていてやっているのかもしれないが――、「うんうん。そうだよね、びっくりするよね」とを宥める。
どこか軽い調子のコムイの声を聞いて、の額に青筋が浮かんだ。
「ちゃんと説明してください」





最果てへの片道切符





“真昼間から幽霊が道を歩いている”
その怪奇現象が黒の教団に報告されたのは、が消息を絶ってから二週間ほどが過ぎ、彼女の捜索を行わないことも既に団員に伝達されていたある日のことだった。
「幽霊ねぇ……」
「幽霊なんて今更別段珍しくもないですけどねぇ」
手元の報告書を眺めながらなんとなく呟いたコムイに、ちょうどその場に居合わせたリーバーが答える。
実際、この国には幽霊や妖精にまつわる話は昔から数多く存在し、話題自体は珍しいものではなかった。
「……そうなんだけどさぁ、この幽霊、昼にも夜にも目撃されてて、しかも結構な距離移動してるみたいなんだよねぇ」
「へー、それは珍しい」
幽霊といえば夜に目撃されることがほとんどで、しかも、どこそこにこんな幽霊が現れる! といった噂が流れる地縛霊タイプが一般的であり、たとえ動き回っていたとしてもせいぜい建物の中とか町の中とかその程度である。
コムイの口ぶりから少なくとも町と町くらいは移動しているのだろうと察したリーバーは、僅かにその話に興味を持った。
「イノセンスですかね」
「どうかな」
数多く存在している幽霊話だが、その中には稀にイノセンスが関わっているケースがある。
それを探すのがファインダーの仕事だったが、人員の関係上調べることができる件数には限界があるので、よりイノセンスが関わっている可能性が高そうな事案を選び任務を与えるのも指令の役割の一つだった。
「いずれにせよ、今は動かせるのがあんまりいないからねー」
「ですよねー」
苦笑したコムイに、リーバーもまた同じ表情で返す。
ファインダー自体はまだ足りている。
しかし、ファインダーに何かあった際に駆けつけられるエクソシストが居ない。
もしもアクマが現れた際、それに対抗できるのはエクソシストだけなのだ。
元帥たちはホームに居ないのが常であったし、若手のエクソシストたちはみんなそんな元帥たちを探すべく旅に出ている。
万が一を考えればホームにエクソシストがまったくいない状態を作るわけにもいかず、八方塞がりだった。
ちゃんと連絡がと……」
ちゃんと連絡が取れればな。
言い掛けて、コムイは途中で言葉を止めた。
「室長」
「いや……うん、大丈夫、分かってるよ」
連絡を取れる可能性どころか、生きている可能性すら低いことくらい
実際、教皇庁はを死んだものと判断し、彼女の捜索を行わないことを決めていた。
だが、幽霊が目撃されているのはちょうどが向かった任務先の近くで、もっと言えば、行きにが通ったルートを逆戻りしているかのようだったのだ。
そこまで思って、ふと、コムイの頭にある考えが浮かんだ。
(逆戻り……?)
「……まさかね」
小さすぎる独り言は、心配そうな表情でコムイを見るリーバーには届かなかった。





「なんかこの幽霊、教団に近付いてきてません?」
「…………」
幽霊の目撃報告が教団に入ってきたさらに一週間後、新たに入った目撃情報を受けてコムイは難しい表情を浮かべていた。
「しかもこのルート……」
「やっぱりそうだよね……」
幽霊が目撃されたポイントがマッピングされた地図を眺めながら、コムイはリーバーの言葉に頷く。
幽霊が移動している道筋は、間違いなくが任務に向かったときに利用したルートだった。
数多くの目撃証言により、幽霊の見た目も明らかになってきた。
「幽霊はシルエットこそ人型ですが、身体は桃色の花びらが集まって出来ているような感じらしいです。なので、一部では幽霊じゃなくて花の精なんじゃないかと言われていますが……」
今、季節は冬に向かっていて、花が咲くにはまだ早い。
「花びらか……」
「……はい」
「恨んでるのかな」
「…………」
誰が何を?
聞かずともリーバーには分かった。
けれども、リーバーはその問いに答えることができなかった。
「そりゃあ恨みもするよね……」
はは、とコムイが力なく笑う。
もし、幽霊の正体が本当に“彼女”であるのならば、相当な未練を持っていたことだろう。
「室長……」
口を開いたもののリーバーはそれ以上言葉が浮かばず、結局口を閉ざしてしまう。
一瞬、二人の間に沈黙が下りる。
コムイは一度下を向いて、だが、それからすぐにぐっと顔を上げた。
「こうしていても仕方ない。もしも本当にここまで来てしまったときの対策を練っておこう」
顔を上げたとき、コムイはもう“科学班室長”の顔をしていた。





そしてその日はやってきた。
「室長!」
慌ただしく指令室に駆け込んできたファインダーに、移動速度から考えてそろそろだろうと思っていたコムイは冷静に立ち上がる。
「“花の精”が現れたんだね?」
コムイの問いかけにファインダーはこくこくと頷いた。
「結界は?」
「通り抜けられました」
ファインダーの答えにコムイは一瞬固まる。
この日のために科学班は結界を貼るための装置を複数用意していた。
アクマの足止めにも使えるそれは科学班の自信作で、まさか通り抜けられるとは思っていなかったのだ。
「負傷者はいる?」
「いいえ」
コムイはほっと息を吐いた。
「花の精に攻撃を仕掛けた者は?」
「いません」
ファインダーはゆるゆると首を横に振る。
再び予想外の返事が返ってきて、コムイは眉を寄せた。
「いない?」
「それが……」
ファインダーは一度躊躇うように言葉を切って、それから再び口を開いた。
「花の精があまりに花の精だったというか……」
彼女を“幽霊”ではなく“花の精”と呼ぶように決めたのはコムイだ。
“彼女”かもしれないものを幽霊と呼ぶのは気が引けたから。
しかし、ファインダーの説明はあまりに要領を得なかった。
「とりあえず、花の精の元まで案内してくれるかな」
「……はい」
ファインダーは申し訳なさそうに頷いた。





その姿を一目見て、ファインダーが言い淀んでいた理由をコムイはすぐに理解した。
「これは……」
廊下をゆっくりと進む、薄桃色の人影。
その人影を構成する花弁はひらひらと舞い上がっては辺りに撒き散らされ、しかしずっとその場に残ることはなくやがて消えていく。
花弁は淡い光を放っており、それが辺りに舞う光景はなんとも幻想的で美しかった。
それこそ、花の精が早すぎる春を連れてきたのかと思う程に。
当初は幽霊狩りをする予定で集められた人々は、ほぅっと溜息を吐いて花びらで出来た人影が廊下を進むのを見守っている。
皆“彼女”が進むための道をあけるほどで、それを害そうとする者はひとりも居なかった。
ちゃん……」
違う、これはこの世界に恨みを残して死んでいった幽霊なんかではない。コムイは直感した。
そして、その場にいる誰もが感じていたことだった。
どうアクションを起こせばよいのやら分からず、コムイは困惑しながらもひとまず花びらたちの後をついていく。
やがて彼女が立ち止まったのは、の部屋の前だった。
思わず息を飲んだコムイをよそに、花の影はドアを開けることなくその壁を通り抜けて部屋の中に入っていってしまう。
コムイは慌てて近くにいたファインダーにこの部屋の合鍵を持ってくるように頼んだ。
ファインダーは本当にすぐに合鍵を持ってきてくれた。
ぜぇぜぇと息を弾ませるファインダーにコムイは軽く礼を告げる。

「それじゃあ、開けるよ」

鍵穴に鍵を差し込みぐるりとまわせばガチャリと開錠される音がした。
ドアノブに手を掛け、恐る恐るドアを開いていく。
そして目に入ってきた光景に、コムイは思わず口を引き結んだ。
ベッドの上には、人の形をほとんど失った、しかし消えることのない花弁の山。
その山の上にぽつんと置かれた細長い物体に、コムイは見覚えがあった。
「舞姫……」
手に取り広げてみればそれは間違いなく彼女がこの世界に来た時から持っていた扇子。
なんとも表現のつかぬ感情がコムイの中に広がっていく。
(ああ、彼女は……)
泣きたくなる気持ちを堪えて、コムイはベッドの横で膝をついた。
いつも被っているベレー帽を外し、ベッドの上に広がる花弁に首を垂れ、囁く。
「…………おかえり」
薄桃色の花弁は静かにそこに在るまま、何も語らなかった。

こうして、黒の教団にのイノセンス“舞姫”は帰ってきた。

その持ち主は不在のままに。





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2014.5.14