ティキはよく“誰か”に呼び出されて仮住まいを空けることがあった。
それが今に始まったことじゃないらしいことはクラックたち浮浪児仲間から証言が取れている。
キリレンコ鉱山に到着した日も、ティキは騒動の後すぐ、駅にある電話に呼び出されて出掛けて行った。
数日後、帰ってくるなりティキは言った。
「。今度はちょっと遠くまで出ることになった。長くなりそうだから、今回はもついておいで」
どこか仄暗い雰囲気を醸しているティキは、しかしその顔にうっすらと笑みを浮かべている。
「行き先はが行きたがっていた東だよ」
最果てへの片道切符
自分の事を知っているらしい少年に出会ったあの日乗ることのできなかった東行き汽車に乗り、何度か乗り換えをして最終的にたちが辿り着いたのは中国――十九世紀であることを考慮すれば“清”と呼ぶべきかもしれないが、人々は“China”と呼んでいる――だった。
途中、ティキとは乗り換え駅のある土地に何泊か滞在もしたが、その話は割愛しよう。
旅についてこい言われたとき、正直はついに奴隷市にでも出されるのかと身構えたのだがそれは杞憂に終わった。
ティキは小さな村に着いて早々何かの用事で出掛けていき、は拘束されることもなくひとり宿に残された。
ティキを見送り手持無沙汰になったは、部屋に二つ置かれた寝台の片方にゴロンと横になり物思いにふける。
ティキはに嘘を吐いている。
しかし今の所を害するつもりはないらしい。
彼の目的は一体何なのだろう。
この茶番はいつまで続けられるのだろうか。
……考えなきゃいけないことがたくさんのあるというのに、今はなんだか眠かった。
これまでの長旅で大分疲れがたまっているようだ。
この眠気に身を任せて今は少しだけ眠ってしまおうか。
目が覚めたら、今夜食べる物を探しに行ってみよう。
は目を瞑った。
――キキキキキキキ
突然響き渡った巨大な音にははっと目を覚ました。
建物が小刻みに揺れている。
(地震……? ……いや、違う)
慌てて起き上がり窓の外を見ると、空は紅く染まっていた。しかし、それは夕焼けの紅ではない。
枕元に置いておいた懐中時計はまだ眠り始めてまだ一時間ほどしかたっていないことを示している。
は懐中時計を掴み、部屋を出た。
転ばないように気を付けながらゆっくり階段を下り、恐る恐る宿の外に出る。
外ではと同じように異変に気付いた人々が、ざわめきながら空を見上げていた。
「おい、なんだありゃあ?」
「こっちに来るぞ」
使われているのは中国語。
しかしこれもまた、は問題なく聞き取ることができた。
どうして中国語が理解できるのか考えるのは後回しにしよう。
言葉につられるようにもまた空を見上げる。
そして、 は目を見開いた。
「……!」
西の空に、巨大な物体が浮かんでいた。
大きさは軽く十メートルはあるだろうか。
頭と腕の無い人間の上半身のような形をしており、首のような部分に十字架が刻まれている。
天使の輪のようなものがついていたがその姿は禍々しく、どちらかといえば悪の化身のような姿だった。
そしてその怪物はたちの居る村に徐々に近付いてきていた。
(冗談でしょ……!?)
ゆらりと傾いた怪物はゆるやかに高度を下げ、そして村のすぐ横にそびえる山々に肩のあたりから落下した。
ドン、と大きな音がして地面が揺れる。
人々から悲鳴が上がった。
むくりと起き上がり体制を整えた化け物の無い両腕の部分から光線が出る。
そしてその光線は瞬く間に村の建物を破壊した。
すぐ近くの建物が吹き飛んで、これはヤバイ、とは頬を引きつらせる。
(逃げなきゃ……!)
とにかく、怪物の居ない方へ。
着の身着のまま。懐中時計だけを握りしめたまま、は駆け出した。
ピカッっと一瞬空が眩しく光り、ははっと足を止めた。
空を見上げれば、大きな手のような五本指の光の筋が怪物に襲い掛かっている。
どうやら怪物を止めようとしているらしい。
村からやや離れた竹藪の中。
なんとか怪物の攻撃から逃げ遂せたが、辺りに他の人の姿は見当たらない。
どうやらは村人たちとは違う方向に逃げてきてしまったらしい。
土地勘がないというのはこういうときに困る。
(これからどうしよう)
村に着く前にティキに地図を見せてもらったため大まかな地形は頭に入っているが、これ以上村から離れるのは得策ではないように思う。
かといって、この場に留まっていてはいつ怪物がこちら側にやってくる分からない。
こんなときに、ティキはいったいどこで何をしているのだろう?
そんなことを考えたそのとき、は視界の端に人影を捕えた。
あれは……。
(ティキ、さん……?)
見間違いではない。
がたった今思い浮かべていた人物がそこにはいた。
ティキの方はの存在には気付いていないらしい。
(こんなところで何を……)
と同じように怪物から逃げてきたというわけではなさそうだ。
ティキはから少し離れた所で怪物を眺めていた。
しかし、はその姿に違和感を感じる。
いつものボロボロの服に牛乳瓶の底ような眼鏡、ボサボサの髪で出掛けて行ったはずの彼が、何故か今は燕尾服を纏い、シルクハットまで被っていた。
彼がを家族に紹介したときのような、貴族らしい出で立ち。
その表情に恐怖や焦りは見られない。
この恐ろしい状況の中、ティキの格好や様子は酷く不自然だった。
(どういうことなの……?)
もはやはティキのことを信用していない。
しかし、彼が何を企んでいるのかまでは知らなかった。
彼は一体何者なのか。何をしようとしているのか。
知りたくない、という気持ちが僅かに頭をもたげる。
何も知らなければ、今のままでいられるかもしれない。
今の所ティキからを害そうとする雰囲気は感じられず、今後もさえ気付かないふりをしていれば、何事もなかったかのように平和に時間が過ぎていくだろう。
……しかし、は真実を知ってしまう事より、“知らない”ということの方が恐ろしかった。
物事を知らないという事は、それだけ自分の選択肢を減らしてしまう可能性があるのだ。
震える足をなんとか奮い立たせて、は決断した。
歩き出したティキを、一定の距離を保ったまま、は追い掛け始める。
慎重に。気配と足音をなるべく消して、彼に気付かれないように。
どうすれば気配を消せるかは身体が知っていた。
怪物の発する奇怪な音もまたが気配を隠すのを手伝っている。
いつの間にこんな技術を身に付けたのだろう。
“わたし”は何者だったのだろう。
自分が何者かさえ分からぬ不安には怯える。
……ほら、“知らない”ということはこんなにも恐ろしいことなのだ。
は知らなくてはいけない。
自分を取り戻すために。
“あの子”を思い出すために。
ゴゴゴ、という大きな音と共に光が空ではじけた。
まぶしい光が十字の軌跡を残しながら消えていく。
それまでずっと鳴り響いていたキキキという音も、その光が消えるとともに徐々に小さくなっていき、やがて沈黙が訪れた。
――パンッ
人間らしき物体の上半身が破裂し、赤い血が周囲に飛び散る。
その様子を、は少し離れた所から信じられない気持ちで眺めていた。
ティキを追い、彼が辿り着いた先での出来事だった。
「バイバイ。スーマン」
視線の先で、ティキが嗤う。
彼の傍には、たった今殺された人間の他にもう一人、この前汽車で会ったあの少年が膝をついていたが、二人はまだの存在には気付いていないようだった。
少年は目の前で起きたことに呆然とした様子でティキを見上げる。
少年の様子から、血飛沫が舞った原因がティキにあるということは容易に見て取れた。
(え、なに、ティキさんが殺し……え……?)
思考する言葉さえまともに機能しない。
人が人を殺すなどテレビの向こう側でしか見聞きしたことのないにとって、それほどその状況は衝撃的だった。
全ての音が遮断される。
見えているはずなのに目の前の映像が頭に入ってこない。
感覚を取り戻したのは、少年が一際大きく叫んだ瞬間だった。
「やめろおおおおお」
気が付いた時には、ティキの手の中で、“何か”がまばゆい光を放っていた。
(あれは……なに?)
強い光が、手袋をしたティキの指の間から漏れたかと思うと、その光はサラサラと砂のようになってその隙間から零れ落ちていく。
いつの間にか、少年の身体から片腕が消えていた。
詳しい状況は分からないが、ティキが少年に何かしたのだろうという事ははっきりと分かる。
少年は、すぐ横を飛んでいた羽の生えた小さな金色の物体に何やら指示を出した。
一見無機物に見えるその金色の物体は、イヤイヤと首を振ったが、少年に説得されてどこかに飛んでいった。
その様子をのんびりと見送ったティキは、ゆっくりと少年に近寄る。
黒い蝶のような生き物を手に付けて、ティキは少年の胸の上に手をかざした。
「心臓に穴を開けるだけにしろよ、ティーズ。こういう勇敢な奴は、死ぬまでにほんのちょっぴり時間を与えてやった方がいい。心臓から血が溢れ出し体内を侵す恐怖に悶えて死ねる」
ティキの放った言葉にはぞっとする。
まさか、彼はこの少年をも殺そうとしているのだろうか。
全身が震える。
間に入るなんて言う芸当、出来るはずがない。
は指一本動かせずにただその瞬間を眺めていることしかできなかった。
――ブシュッ
実際はもっと小さな音だったのだろう。
けれど、の耳にその音はやたら大きく響いて聞こえた。
ティキの手が少年の胸をいとも簡単に貫通して、少年の身体がビクンと跳ね上がる。
(まさか本当に殺したの……?)
恐怖が足元から這い上がってきて、は思わず後ずさった。
だが、その瞬間地面に落ちていた細い竹を踏んだらしく、パキッと小さな音が鳴った。
「誰だ!?」
聞き逃してくれなかったティキが音のした方に勢いよく振り向く。
逃げる間もなく、はその瞳に捕えられた。
「……あ…………」
「!? ……なんでここに……」
そこにいた人物の正体に驚いて、それから途方に暮れた様子でティキが呟く。
「なん、で、って……村が……」
途方に暮れたいのはこちらの方である。
は震える声で言葉を紡ごうとするが、結局言葉らしい言葉にはならなかった。
「村? あー……そっかー。しかもこっち側に逃げてきちゃったのかー。しくじったなー」
それでもの言いたいことは伝わったらしい。
自分のとった宿がどの村にあったかを思い出したティキは困ったように頭を掻いた。
そして大股でに近付いてくる。
「なぁ、、どこから見てた?」
「…………」
ティキの問いかけには答えなかった。
詰められた距離を再び開けるためにはじりじりと後退する。
「その様子だともしかして全部かな?」
「…………」
彼の秘密を知ってしまった自分もここで殺されてしまうのだろうか。
恐怖で口の中が渇き、喉の奥が貼りついたようで声が出せない。
「でもな、これには理由があるんだ。ちゃんと説明するから、とりあえず移動しない?」
「…………」
再び距離を詰められ手を取られそうになったが、はひらりとティキの背後に回り込むようにしてそれを躱した。
理由だって? どんな理由があったって、人殺しは犯罪だ。
人を殺したところを見られたというのにあっけらかんとしている様子が益々恐ろしい。
ティキはの方を振り返る。
ティキから目線を外さないまま、は今度ははっきりと後ろ向きに歩いてティキから距離を取った。
その場に留まったまま、ティキが肩を竦める。
とりあえず今はを怯えさせないことが先決だと思ったのか、に近寄るのを諦めたようだ。
ティキとの位置関係が、最初と真逆になる。
「そんなに怯えないでよ。心配しなくても、を殺したりはしないよ? 君は一応、オレたちと対等な存在だからね」
「…………」
こちらを射抜く視線に耐えられなくては思わず目を伏せる。
その拍子に地面に倒れている少年の姿が視界に入りぎくりとした。
よほど苦しんで死んだのか、目が開いたままである。
横たわる白の少年。辺りに飛び散っている紅い血。
ふと、脳裏を何かが過ぎった。
(あ、れ……?)
フジ子、と名前を呼ぶ幼い声が聞こえた気がした。
(ああ、そういえばわたしはそんな偽名を……)
思った瞬間、ぐるりと視界が回る。
急激な頭痛と吐き気を覚えて、は地面に膝をついた。
「う、ぇ…………」
黒の教団、イノセンス、エクソシスト……逃げ出し旅に出た途中で出会ったひとりの少年。
唯一、なんの打算もなくを守ろうとしてくれた少年。
この子は……。
この子は。
たくさんの映像と情報が一気に流れ込んでくる。
それは"拒絶"させられ、失っていた記憶たちだった。
「ぐ、っ…………」
その情報量の多さに身体が耐えきれず、は苦しさに喘ぐ。
「? 大丈……」
「触らないでっ!」
ティキが慌てて近寄り手を差し伸べようとしたが、はそれを振り払った。
バシッ、と小さな鈍い音が響く。
「っと」
ティキは手を引き、叩かれた手をもう片方の手でさすった。
手袋をしているのでさほどダメージはない。
「?」
困ったようにティキがの名前を呼ぶ。
けれど、もう騙されたりなんかしない。信じているフリだってしない。
「」
再びティキが名前を呼んだが、は答えなかった。
怒りよりも何よりも、今はただ悲しい。
ああ、どうして……。
重たい身体を引きずるようにしてその少年の傍に寄り、は正座の体勢で自らの膝に少年の頭を乗せた。
そして覆い被さるようにその上半身を抱きしめる。
の瞳から涙が零れ落ちた。
「アレンくん……」
こんな悲しい再会の仕方なんて、望んでいなかった。
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2013.12.8