は混乱の中にあった。
「あの、ティキさん。これは一体どういう……?」
「ん? ……お、それ似合うね。スカートはそれにしようか」
の質問には答えず、ティキはにこやかに言う。
それを受けて、たちの傍に控えていた女性――服飾店の店員である――がすかさず口を開いた。
「それでは急いでサイズをお合わせしますわね。今までお召しになっていた物はお包みしてよろしいですか?」
「ああ。急がせて悪いね」
「いえ、ミック卿たってのご依頼ですから」
笑顔で言葉を交わすティキと店員を見て唖然としているに気付いたらしいディキがの方を振り返った。
「完全なオーダーメイドじゃなくてごめんね。すぐに着れる一着が必要だったからさ。ちゃんとしたものは今度改めて作りに来よう」
「え? いや、あの、はあ」
わたしが聞きたいのはそういう事じゃないんだけど。
結局なんの意見も言えないまま、はティキと店員に飾り立てられて店をあとにした。





最果てへの片道切符





いったいなにがどうなっているというのだろう?

「へぇ〜、その子がティッキーのにとってのイヴかぁ」
髪の短い小学生くらいの少女が言った。
少女は、軽く十人以上が使えそうな大きなテーブルに肘をつき、両手の指を組んでその上に顎を乗せ、椅子に座りながら足をプラプラと揺らしている。
「そ。っていうんだ。カワイイだろ?」
「そうだね。せっかくだから"キモノ"を着せてみたいな」
にこっと笑いながらを紹介したティキに、少女もまたにこりと笑いながら答える。
「おまえの"人形"にはするなよ」
「ティッキーのイヴにそんなことしないよぉ」
釘を刺したティキに、少女は心外だという風に答えた。
そうしてから、少女はの方を向く。
「ハジメマシテ、。ボクはロード・キャメロット。ロードって呼んでね。あっ、なんなら"お義姉ちゃん"でもいいよ?」
「えっ? お義姉ちゃん?」
少女、ロードの自己紹介には戸惑ったような声をあげた。
それを見てティキが溜息を吐く。
「ロード、をからかうのはよせ」
「ふふっ、ごめんね。かわいいからつい。ね、、キモノの着方は知ってる?」
「着物、ですか? ええと……はい」
高校で日本舞踊部に所属していたこともあるが、母親が着付け師の資格を持っていたこともあり、は着物の着方を心得ていた。
最後に着たのは遠い過去のような気もするが、おそらく問題はないだろう。
「よかった。それじゃあ今度着てみせてね」
「……はい」
色々と突っ込みたいことはあったが、キラキラと期待に満ちた表情でのロードにそう言われて、はただ頷くことしかできなかった。





「やあ、待たせたね」
気配無く聞こえたその声にはっと振り向く。
振り向いた先に立っていたのは、体格は良いが品の良い顔立ちであまり威圧感のない、燕尾服を着こんだ男だった。
年は四・五十代といったところだろうか。
左目だけ視力が悪いのか、の暮らしていた日本ではあまり見かけないモノクルを掛けているのが印象的だ。
渋く整った顔立ちに、そのモノクルはよく馴染んでいた。
「初めまして。お嬢さんがさんだね。ティキから話は聞いているよ」
「……初めまして、です」
どんな話を聞いているんだろう? と思いつつも名乗ると、男はすっとの片手を取った。
そのまま自然な動きで手の甲に口付けられては思わず悲鳴を上げそうになったが、それをなんとか飲み込む。
正確に言えば口付けは手袋越しで、しかも口付けた"フリ"であったが、日本人であるには少々刺激が強かった。
男はミレニアムと名乗った。
どうやら彼はティキの父親で、ロードの祖父で、伯爵位を持っているらしい。
どおりで……という感想を千年公に対して抱き、それから、父親が伯爵だということはティキもまた貴族なのだということに気付いてははっとした。
えっ、ティキさんが貴族!?
驚いたものの彼の家族の前でティキを問い詰めるわけにもいかず、ができたことといえばただ笑みを浮かべるくらいだった。
は記憶が無いんだってね」
挨拶を済ませ、全員がテーブルに着いたところで伯爵が切り出す。
伯爵がいわゆるお誕生日席で、一番近い席には両側にそれぞれティキとロードが座り、はティキの隣の席に着いていた。
「はい。ほんの一部ではあるのですが……」
なるべく穏やかには答えた。
無いのはおそらくここ数年分の記憶。
しかし、いつの間にか知らなかったはずの外国語を覚えていたり体力が向上していたりしたこともあって、生活するうえで困るという事は特になかった。
「君は綺麗な英語を話すね。きっと良い家のお嬢さんだったんじゃないかな?」
「どうでしょうか……。少なくとも、貴族ではありませんでしたが」
家族の記憶はきちんと残っている。
家は平均から比べればそれなりに裕福だったが、それだけである。
華族の血を引いているという事もない。
、君は身分が気になったりする方かい?」
そんなの答えを受けて、伯爵は首を傾げてみせた。
「……よく、分かりません」
なんと答えるべきか考えあぐねて、結局はそう口にした。
どう答えれば正解なのかには分からなかった。
「分からない?」
だから、伯爵に聞き返されたは慎重に言葉を選ぶ。
「はい。私の生まれ育った場所では身分制度がなかったものですから……」
勿論、まったく身分差というものがなかったわけではない。
社会的に高い地位を持っている人間というのはの住んでいた日本にも存在していた。
それは誰もが憧れるような職業の人であったり、財をたくさん持っている人であったり。
その地位の高さによって、付き合う人間は選ぶべきだという考えを持つ人間がいたことも否定はできない。
けれど、明確に身分を定める制度はの生きる時代の日本には存在していなかった。
また、まだ高校生であったにとってあまり関係のない話でもあった。
「そうか。随分と珍しい所に住んでいたんだね」
「そう、ですね……そうかもしれません」
少なくともこの時代では。
ここは自分のいた世界とは違うのだと改めて認識させられて、は目を伏せた。
そんなを見て伯爵は何かを感じたのだろう。
、と自分の名前を呼ぶ伯爵の声には顔を上げる。
「君に、あえて言っておこう」
真っ直ぐとこちらを見据える伯爵の視線に、もまたしゃんと背筋を伸ばした。
だが、次の瞬間伯爵から発せられた言葉には思わずよろけそうになる。
「君はティキとの身分の差を気にする必要はない。私たちはティキとを祝福するよ」
「えっ? ……えーと…?」
は困ったように伯爵を見て、ティキに視線を移し、ティキが肩を竦めてみせたのを受けてもう一度視線を伯爵に戻した。
そんな落ち着かない様子のを見て伯爵は、あれ? と首を傾げる。
「もしかしてティキ、まだプロポーズはしてないのかい?」
「残念ながらまだ口付けすら許してもらえる関係じゃないんですよ」
「なんと」
眉をハの字にし愁いを帯びたように答えるティキに驚いたように返す伯爵。
自分は全く悪くないはずなのになんとなく居心地が悪くては首を縮めた。
の居心地の悪さに気付いたのか、伯爵は「いやはや」と己の顎を撫でて、ティキに向けていた視線をに向け直した。
「驚かせたようですまないね、。どうやら私の気が早かったようだ。ティキから紹介したい女性がいると言われたから私はてっきり」
「ハイハイ、ご期待に添えなくてすみませんでしたね」
いえ、とが答えるよりも早くティキがそう答えたので、は結局言葉を発する機会を失った。
(……なんだか外堀を固められているような気がする)
どうしてこんなことになったのだろう?
どうしてわたしなんだろう?
楽しげに言葉を交わす伯爵とティキを眺めながら、は言い知れぬ不安を感じていた。





「ティキさん、貴族だったんですね」
帰り道、馬車に揺られながらはぽつりと呟いた。
「今まで黙っててごめんな」
「いえ、お互いなにもかも知っていなきゃいけないような関係ではありませんでしたし……」
ティキの謝罪の言葉に、は緩く首を振る。
そっか、とティキは少し寂しげな様子で言った。
ほんの少しの間沈黙が落ちて、それから再びティキが口を開く。
「このこと、クラックたちも知らないんだ。あいつらには言わないでいてくれるか? オレ、あいつらと一緒にいるのが好きなんだ」
ティキが貴族であることを彼らが知れば今までのような関係ではいられなくなるだろう。
「それは構いませんが……」
真剣な表情のティキに頷いてみせて、は一度言葉を切る。
次の言葉を発するのを一瞬ためらって、それから意を決するようには言葉を続けた。
「ずっと一緒にいる彼らにも秘密にしていることをどうしてわたしなんかに教えたんですか?」
長い間一緒にいる友人にも隠していることをどうして自分に打ち明けたりしたのだろう。
まさか家族が貴族で、しかも直接会わせられることになる日が来るとはも夢にも思っていなかった。
心の準備なく彼の家族とした食事は、せっかく高級なものであるはずなのに緊張で味がしなかった。
「……そうすれば、は安心してオレのことを信じられると思ったんだ」
「えっ?」
語られた内容と思いつめたようなティキの声に、は困惑の声をあげる。
「お嬢さん育ちのからすれば、浮浪児仲間とつるんでるオレなんて信用できないだろ? だからだよ」
「…………」
自棄になったとも取れるその内容に返すべき言葉が思いつかなくて、は黙り込んだ。
「前にも似たような話をしたが、オレはそれを責めてるワケじゃない。からしたら当然のことだと思う。オレはただ、からの信頼がほしかっただけだよ」
「ティキさん……」
「なあ、。これで少しは安心してオレのこと頼ってくれる?」
真剣な表情でを見つめるティキ。
はほんの一瞬だけ、困ったような、戸惑ったような表情を浮かべた。
だが、それをティキが認識するよりもずっと早く、はやわらかい微笑みを浮かべた。
「はい」
その一言にほっとしたように表情を崩したティキ。
促されるまま手をつなぐことをが素直に許したものだから、ティキは気付かなかった。
の表情が僅かに曇ったことに。
の中でのティキに対する不信感が高まったことに。

どうやらティキ・ミック卿は貴族らしい。
しかしティキはクラックたちのことを"浮浪児仲間"と呼んでいた。
それはつまり、彼も子ども時代は浮浪児だったということではないのだろうか?
実際、ティキは貴族にしてはあまり教養がない。
"今"彼が貴族であることはある程度信じてもよさそうだが、果たして信用に足る貴族だろうか?
貴族だから善良な人間だとは限らない。
むしろ、古今東西貴族というものには黒い話がつきものである。
は考える。
今、貴族である彼を疑う賢さを見せるのはあまり得策ではない。
信用したフリをして、しばらく様子を見よう。

記憶が欠けていても、はどこまでもだった。





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2013.11.25