最果てへの片道切符





「嘘……ここどこ……?」
呟いた言葉はどこか頼りなく響いた。
「ゴスラーだよ。美しい街並みだろ?」
まるで美術品を愛でるかのようなティキの声はの耳を右から左に通り抜けた。
どうしよう……本当に外国だ。
目の前に広がるのはおとぎ話にでも出てきそうな木筋レンガの家々。
白い壁に暗い色の木組みがなされているシックな建物がいくつも並ぶ様子は確かに美しい。
とてもしも観光でこの地に訪れていたなら感嘆の声をあげたことだろう。
だが、観光客でもましてや留学生でもないはその異国の景色を見て頭を抱えた。
出国した覚えもなければ入国した覚えも無いけれど、これは不法入国になるんだろうか?
若い身空で国際的な犯罪者?
いや、身元ははっきりしているし不法入国しなきゃいけない理由もないから訳を話せば分かってもらえるはず。
警察に行って日本大使館に連絡してもらえばいいのだろうか。
(それより、なんか道行く人の服装が古風な気が……)
街並みにはとても馴染んでいるはずなのに、の脳はそれを違和感と捉えてしまう。
ああ、そういえば先程ティキが今は19世紀だというようなことを言っていたっけ。
でもまさか本当にそんなこと起こり得るはずが……。
「ああホラ、あの店なら電話貸してくれそうだよ」
が考え事をしながらフラフラと歩いていると、ふいにティキがの肩を引寄せた。
ティキの左手はの左肩を抱き込み、右手は一軒の店を指差す。
看板にCaféと書かれているのが読み取れるから、おそらく喫茶店だろう。
ティキに促されるまま、は店内に入る。
店は思ったよりも広く、アンティークのようなレジスターの奥にカウンター席が10ほどあり、あとは4人座れるテーブル席が10ほどあった。
漂うコーヒーと古い木の香りを嗅ぎながらが店内を見渡していると、いつの間にか店主と交渉していたらしいティキが目の前に立つ。
「電話貸してくれるってさ」
「あ。ありがとうございます」
はっと顔を上げると、ティキがにこりと微笑んだ。
これでようやく家族と連絡が取れる。
安堵感に顔を綻ばせただったが、電話の前まで案内されるとその表情は消えた。
「これが、電話……?」
長さの違う長方形の木箱のようなものが2つ、壁に取り付けられていた。
やや長い方の箱の上部にはまるで木箱が眼鏡をかけたかのような円が2つくっついている。これはベルだろうか? 下の方にはハンドル付きの大きなハンコのような物体が紐からぶら下がっている。これ、もしかして耳に当てるやつ?
そしてやや短い方の箱の下部には浅いラッパのようなものが取り付けられていた。たぶん、話し口。
歴史博物館でしか見たことのないような古めかしいデザインのそれに、は思わず眉を寄せてしまう。
これ、どうやって電話かけるの?
というか、本当に使えるの?
「なに、電話を貸してくれって言ってたのに、本物を見たことがなかったの?」
困惑と失望で立ち尽くすをティキは不思議そうに見遣った。
「そういうわけじゃ……」
けれど、自分の知っている電話とあまりにも違う。
困惑の表情のままは言葉を返すが、続きが浮かばない。
その時、はふとあるものを視界の端に見つけた。
「これ……今日の新聞ですか?」
頭の中でドイツ語を組み立てる。
「そうだよ」
質問に答えたのはふくよかな老齢の店主。
簡易な返事はすぐにの脳にその意味を到達させた。
カウンターに折りたたまれた状態で乗せられている新聞の上部にはさっと視線を走らせる。
“23,10,18××”
目視して、サーッと血の気が引いた。
「すみません、電話はやっぱりいいです……お騒がせしました」
「え、おい、!?」
ティキの着ているシャツの後ろの裾を掴んで、は早足で店の出入り口に向かう。
店主に支払う電話代のコインを用意しているところだったティキは突然後ろ向きに引っ張られ驚いたように彼女の名前を呼んだが、結局されるがままに店をあとにした。





それから歩くこと暫し。
いつの間にかティキのシャツから手は離されていて、気が付くとはティキと手を繋ぎながら広い路に出ていた。
ただ黙々と歩いていたがぴたりと立ち止まる。
「………………」
しかし沈黙を保ったままなにも行動を起こさないに、ティキは小さく溜息を吐いた。
?」
「………………」
名前を呼びかけてみるが返事はない。
ティキはいよいよ困ったように頭を掻いて空を仰いだ。
やれやれ、と呟いてから膝を曲げてと視線を合わせる。
彼女の瞳は瞳は不安に揺れていた。
、どうした?」
「…………ティキさん」
「ん?」
なるべく優しい声でティキはの呼びかけに応じる。
「ティキさん……ここどこなんですか? まさか、わたしが空から降ってきたっていうの、本当なんですか……?」
今いる場所は知れば知るほどほど外国で、そして過去の時代だというのが、ここまで周囲を観察しながら歩いてきたの結論だった。
「オレは最初から嘘なんて吐いてないんだけどなぁ」
苦笑いを浮かべながらティキが答える。
冗談だと思っていた言葉が重さを増した。
「でも、」
こんなこと、ありえない。
突然外国にいたという状況は不可能とは言いきれないにしても、過去にタイムスリップしたり空から舞い降りてきたりなどというのは少なくとも21世紀の科学では不可能だ。
しかしながら、これらをドッキリだろうというにはもはや規模が大きすぎて笑えない。
それに、ドッキリならばそろそろ仕掛け人が出てきても良い頃だ。
大体にして、いつの間に自分はドイツ語まで操れるようになったのだろう?
英語と比べると大分使い難さを感じるが、それでも先程喫茶店の店主に対してしたようなちょっとした質問をする分には困らない程度だった。
一体自分の身に何が起こったというのだろう。
わたしはあの場所で目覚める直前まで何をしていたんだっけ……?
(……だめだ。思い出せない)
自分は高校生だったはずだ。
それなのに、そんな出来事は遠い昔のような気がする。
ふと自分の体を見下ろしては違和感を覚えた。
そういえばわたし、こんな身体つきだった?
前より細くなっているような気がするし、筋肉もついている気がする。
髪だって……こんな長さだっただろうか。
ひとつ気付けば次々に不可解な点に気付く。
これは“誰”の身体だ?
自分の意思で手足が動くのだから、自分のもの以外にありえない。けれど、
ぶるり、身体が震えた。
“自分”の像が、足元から崩壊していくような気分だった。
全身から血の気が引いていく。
これはとんでもないことになった、と頭の中で誰かが呟いた。





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2012.8.24