月明かりだけが差し込む部屋で、真っ白なシーツのベッドの上に、は寝転んでいた。
近くの街の雑貨屋で一目惚れして購入した、装飾の美しい手巻式の懐中時計を左手で握り締めて、その繊細な秒針を目で追う。
今日という日が、終わろうとしていた。
部屋の中心に置かれた、シンプルなデザインの円卓のテーブルの上には、開封済みの白い封筒が13通。
脅しの手紙を送り付けてきた以降でさえ手紙を綴り続ける犯人も犯人だが、手紙が届くたびに律儀に封を切って読むもである。
例の手紙が届いてから3日。
その“期限”が訪れるのはあまりにも早かった。
は小さく溜息を吐くと、ベッドから身を起こし、窓辺に立った。
ほんのしばらくの間空を見上げてからカーテンを閉じ、暗闇の中手探りでベッドまで戻る。
冷たいタオルケットにくるまって、はそっと目を閉じた。
最果てへの片道切符
その変化は、明らかだった。
まず最初にがそれを感じたのは、朝食を採りに食堂へと向かう途中。
いつもならすれ違えば挨拶をしてくれる団員たちが、挨拶をしてくれなかった。
それでもからおはようございますと微笑めば、返ってくるのは戸惑いの視線。
は表面上なんでもないふりをしながら、そのままその場を通り抜けた。
普段よりも心なしか早足で食堂まで向かいながら、内心舌打ちしたい気分にかられる。
(本当にやりやがった)
頭のどこかで、あんな手紙はただの脅しだろうと考えていたのだ。
否、ただ単にそう思いたかっただけかもしれない。
どちらにせよ、こういう結果になってしまったのだから、今更そんなことに結論を出しても意味がないのだけど。
見知らぬ犯人に、心の中で思い付く限りの罵詈雑言を浴びせながら、はひたすら足を動かす。
そして食堂に足を踏み入れた瞬間、
背筋が、凍った。
あからさまに敵意を含んだいくつもの視線が、こちらに向けられていた。
はごくりと唾を呑み、ゆっくりと息を吐く。
これは、予想以上だ。
足が竦みそうになるのをなんとかこらえながら、1歩前へと踏み出す。
ここで、挫けてなんかいられない。
こんなことは、最初から覚悟していたのだ。
ただ、思ったより程度が酷かっただけで。
はらはらとした様子で注文を尋ねるジェリーに、はわかめと豆腐のお味噌汁と、おにぎりを2種ほど頼む。
具はツナマヨと明太子だ。
ついでに胡瓜の漬物も付けてもらう。
食堂をぐるりと見渡せば、見知った顔がふたつ。
不機嫌そうに蕎麦を啜る長髪の青年と、その隣で暢気な笑顔を浮かべながらこちらに手を振る橙色の髪の青年。
は迷うことなくそちらへと足を向けた。
途中、明らかに悪意を含んだ声で話しかけられたのは無視をして。
いかにも通行者を転ばせようと不自然に通路に投げ出された長い長い足を、は無言で飛び越えて通り過ぎた。
いっそ踏み付けてやろうとも思ったが、これ以上怒りを煽る必要もないだろう。
誰かに恨まれて得をすることなど、まずありえないのだから。
ひょいひょいと軽い身のこなしで目的の場所まで着くと、先程手を振っていた青年が椅子を引いてくれた。
「……ありがとうございます」
「どーいたしまして」
にかっと笑ったラビに、も曖昧な笑みを返す。
自然なように見えるが、この状況下においてはとても不自然なやりとりだった。
が席に着き、味噌汁を一口飲んだのを待って、ラビは口を開いた。
「で、どうなってるんだ?」
「べつに、どうということもありませんけど?」
いきなり核心に触れたラビに視線すら向けず、はしれっと返した。
もぐもぐとツナマヨのおにぎりを頬張るからは、特に負の感情は読み取れない。
それが日本人の特技であることを、日本人の知り合いがそう多くないラビは知らなかったけれど。
「なんにもないなんてこと、ないだろ?」
「……まあ、今までこういうことがなかったことの方が異常なんだと思いますよ」
「そうじゃなくて、」
ラビがに求めているのは、状況に対する説明ではなく、こんな状況になった原因についての説明だった。
だが、とてそれを理解した上での返答なのだろう。
彼女は薄く笑うと、口を開いた。
「愚かなひとたち。目の前の感情だけに揺り動かされて。こんなことをされれば、わたしはますますこの世界を嫌いになるというのに」
あまりにも冷たい声で、それなのにとても楽しげに紡がれたの言葉に、ラビはぎょっとした。
会話に交ざらず、黙って蕎麦を食していた神田でさえ、箸を止め訝し気に眉を寄せて顔を上げる。
その瞬間、ふたりはようやく理解した。
今までを突き動かしてきたものは、けして生きたいと強く願う本能などではないことに。
否、勿論、それも事実ではあるのだろう。
だが、それ以上に彼女が抱えているそれは、
世界への純粋なる憎悪なのだと。
そう気付いた瞬間。
同じことに気付かされたのにも関わらず、ふたりの男が思ったことは、それぞれまったく別のことだった。
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20090725