ゆったりとした時間が流れる。
少なくとも、の日常は非常に落ち着いたものだった。
朝起きて、朝食を食べて、軽く運動して。10時のおやつを食べて、のんびり読書をして、お昼を食べる。そうしてから今度はほんの少しだけイノセンスを使う訓練をして、3時のおやつを食べ、科学班に顔を出してみる。そこで未来の科学の話をしたり、ちょっとお手伝いしてみたりしてから、夕食。お風呂に入って、ベッドに潜れば1日の終わりだ。
教団のみんなは、に優しかった。
がエクソシストでありながらその役目をまっとうしていないことを知っている僅かなひとさえ、彼女を責めはしなかった。
恵まれているのだとは、思う。
けれど、けして幸せなわけではない。
そもそもにとっては、この場所にいること自体がありえないことで、不幸なことなのだ。
真にすべてを受け入れることは、今の彼女にとって最も難しいことなのかもしれない。





最果てへの片道切符





「ねえ、は好きなひととか、いないの?」
「好きなひと、ですか?」
唐突といえば唐突な質問に、は首を傾げた。
その体勢のまま質問した主をじっと見つめれば、彼女は慌てたように自分の前で手を振る。
「ち、違うの! ほら、今まで私のまわりに年頃の女の子っていなかったから、こういう話がしてみたくて……!」
なにが“違う”のかは知らないが、どうやら彼女は年頃の女の子らしい会話がしてみたいらしい。
たしかに、この年齢ほどの女の子であれば、一番盛り上がる話題だろう。
「そういうリナリーはいないんですか? 好きなひと」
「え? 私!? 私は小さい頃からここにいるから、もうみんな家族みたいなものだし……」
ひとに尋ねておきながら、自分にそういうひとはいないのだという。
ふむ、とは頷いた。
「わたしも、ここのひとたちをそういう対象として見たことはないですねぇ」
生きることに必死だった。
どうすれば戦わずに済むかを考えてばかりいた。
最終的な目標がこの場所から逃げ出すことであったに、誰かを恋愛対象として見ることはできなかったのだ。
「じゃ、じゃあ好みのタイプとか!」
「…………」
なぜ、そこまで知りたがるだろうか。
その理由に、思い当たる節がないでもない。
は考えるような仕草を見せてから、にこりと微笑んだ。
「そうですね、コムイさんとか、結構好みかもしれません」
「えっ、兄さん!?」
驚いたように反応を返したリナリーだったが、その表情は輝いていた。
「兄さんのどこが好きなの?」
「リナリー、好きなんじゃなくて、」
すぐさま尋ねてきたリナリーに、は冷静に訂正を入れる。
「兄さんの、どこが好みなの?」
リナリーは言い直したが、声の調子から彼女が興奮しているのがあきらかだった。
「ええと、顔?」
「え、顔!?」
わざと小首を傾げて言えば、ぎょっとしたようにリナリーが声をあげるので、は思わず笑ってしまった。
「ふふ、冗談ですよ、リナリー」
それを聞くとリナリーは一瞬動きを止め、そしてすぐに肩の力を抜いた。
「そ、そうよね、冗談よね……」
あきらかにほっとした様子を見せたリナリーに、はくすりと笑う。
からかわれたのだと知って、リナリーは少しむっとしたような表情を浮かべた。
「で、本当はどこ?」
身を乗り出して聞くリナリーの頭にはそっと手を乗せ、ふわりと微笑む。
「優しいくせに不器用なところ、ですかね」
頭を撫でる手の存在になのか、の微笑みになのか、それとも語られた内容になのか。
リナリーの頬が、僅かに赤く染まった。
「私、が義姉になるなら嬉しいわ」
リナリーがあまりにも期待したような目で自分を見るので、は苦笑した。
「話が飛躍しすぎですよ、リナリー」
「えへへ」
諭すように言えば、リナリーはぺろっと舌を出していたずらっ子の顔をする。かわいいなあ。
がリナリーの頭を撫でながら和んでいると、あ、とリナリーが声をあげた。
「私、そろそろ科学班のみんなにコーヒーいれてこなくちゃ!」
ぱっと座っていたソファから立ち上がり、紅茶ごちそうさま、と言う。
は小さく頷いた。
「いってらっしゃい、リナリー」
送り出す先は戦場ではない。
そう思えば、は穏やかな気持ちで彼女を見送ることができた。
「うん、いってきます」
笑顔で手を振るリナリーに、もひらひらと手を振ってみせる。
彼女がの自室をあとにし、パタンとドアが閉まったところで、は上げていた手を下ろし、投げ出した。
リナリーが出ていった扉を見つめて、すっと目を細める。
「好きなひと、ねえ……」
意味深に呟かれたその台詞は、呟いた本人以外の耳に入ることはなく、部屋の壁に飲み込まれて消える。
次の瞬間に彼女が浮かべた表情からは、なにも読み取ることができなかった。





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20090107