モンスターシスター工藤




「そしてなぜ君はまたここでケータイを弄り始めるんだ……」
 頭を抱え込みそうな勢いの安室さんをスルーしてわたしはスマホを操作する。そう、インスタだ。先ほど上げたばかりの記事には既に複数のコメントが寄せられていた。それらを全て確認し終えたわたしはベッドの上にスマホを置くと、やにわに着ていたドレスを脱ぎにかかった。
「こらこらこら! どうして脱ぐ!?」
 安室さんはわたしの動きを制止しかけたが、もう半分以上脱いでしまっているわたしに安易に触れられなかったのか、両手が行き場を失い宙で固まる。
「着替える」
「脱ぎ始める前に言ってくれ!」
 わたしが簡潔に答えると安室さんはワッと両手で顔を覆い後ろを向いた。まるで思春期の男子のようにさわぐ安室さんにわたしはちょっとだけ楽しくなってしまい、わざと不思議そうな声を出す。
「中にスリップ着てるし、ここにいるのは彼ピッピだけだし、問題なくない?」
「…………」
 絶句する安室さん。こういうのあんまり気にするような人じゃないと思ったんだけど意外だなぁ。わたしはスタイルもプロポーションも完璧だから見せて恥ずかしいところなんかほとんどないんだけど。
「だいたいにして、なんで突然着替えなんて……」
 律儀に後ろを向いたまま大きな声でブツブツと独り言をいう安室さんを無視して、わたしはベッドの上に広げられたサーモンピンクのドレスを手に取る。んー、サイズは大丈夫そうかな。亡くなった人のドレスを勝手に着ることに抵抗がないわけではないが、思いついた作戦を実行するには致し方ない。
「あむぴ〜〜。背中のファスナー上げて〜〜」
「あーーもう! はいはい!!」
 こちらに背を向けている安室さんに甘えた声を出してお願いすると、安室さんは観念したようにこちらを振り返った。腰のあたりにあったスライダーの引手を摘み、途中で引っかかることもなく素早く上げてくれる。
「で!? 君はこの格好で何をするつもりなんだ!?」
 勢いよく尋ねてきた安室さんにわたしはにっこりと笑った。
「浦野花霞になって夫に会いに行くの。あむぴ、車出してね」
「…………浦野正孝の居場所が分かるのか?」
 わたしのセリフにふっと真顔になった安室さん。わたしはベッドから自分のスマホを拾い上げて安室さんに差し出した。
「インスタ? これは……」
 開きっぱなしにしていたインスタの最新の投稿。画面を縦にスワイプしていく安室さんの瞳が徐々に大きくなっていく。
"このお店素敵〜〜っ! どこのお店なんだろう?"
 そんなコメントと共に載せてあるのは控え室にいたときにギリギリで手に入れた、浦野正孝と花霞夫妻の結婚記念日の写真。料理の写真1枚だけでは情報が足りなすぎるので、写真加工アプリで複数枚の写真を同時に表示させている。店内のインテリアや食器類など、ヒントになりそうなものをなるべく載せた甲斐あって、フォロワーから寄せられた情報はバラつくことなくひとつの店に統一されていた。
「……なるほど、君には8桁の協力者がいるというわけか…………」
 協力者? なんのこっちゃ、と思いつつ、安室さんの手から自分のスマホを取り戻す。親切なフォロワーさんが貼ってくれた某食レポサイトから店の電話番号を探し、わたしは通話を押した。
「もしもし? 今日今からの時間って予約できますか? …………貸し切りですかぁ……。あ、いえ、お気になさらず。またの機会にします。はーい。失礼しまーす」
 通話を切り、わたしはドヤ顏で安室さんを見上げた。
「あむぴ〜〜、ビンゴ〜〜! お店貸し切りだって〜〜!」
「ああ、聞いていた。しかしここから少し遠いな……君に完璧な変装を施すまでの時間があるかどうか……」
 どうやらわたしがやろうとしていることを察した安室さんは再び手ずから変装を手伝ってくれるつもりだったらしい。しかし心配はご無用である。
「ねぇ、あむぴ。わたしが誰だか忘れてるんじゃない?」
「誰だか?」
 本気で首を傾げている安室さんに、わたしは自信満々に微笑んだ。
「あの藤峰有希子の娘よ? 揺れ動く車の中だって華麗に変装してみせるわよ」



 安室さんの運転する車の助手席で浦野花霞への変装を終えたわたしは、某動画サイトで公開されているとある劇作家のインタビュー映像を繰り返し再生しながら役作りをしていた。浦野花霞は実は劇作家であり、生前は旧姓の山村花霞という名前で活動していたのである。有名な作品もいくつかあるらしく、その際に受けたインタビュー映像が動画サイトに上がっていた。
 そんなわたしを横目に見ながら、安室さんは関心したように話しかけてくる。
「さすが工藤夫妻の娘だけあって多才だな。ねぇ、将来の夢とか決まってる? どう? 警察にならない? 君が入職する頃には僕も自由に人員を異動させられる立場になってるし、一緒に働くのも悪くないと思わないか?」
 どうやら安室さんはわたしをおだてる方法をなんとなく理解したらしい。たしかにわたしは家族を褒められるのが大好きだが、そこに打算が入ってくるとなると話は別だ。やたらグイグイ来る安室さんに内心呆れるが、人の心を掌握するのが上手い男がこうも安直に攻めてくるということは、もしかしたらわざと断りやすいようにしているのかもしれない。就職は人生の一大イベントだし。
 わたしはハーフアップにした髪の毛先を指に絡めてくるくると遊びながら「え〜〜」と気乗りしない声をあげた。
「あむぴとわたしが並んで捜査なんかしてたらすごーく目立つと思うんだけど〜〜」
 今みたいな潜入捜査とか絶対できないよね。
「…………それもそうだな」
 わたしと自分がふたりで並ぶ光景を想像したのか、安室さんの表情が複雑そうに歪む。
「それにわたし、国民とか市民とかそんな大きい単位で愛せないし、手に余る。わたしは家族と友達と恋人が守れればそれでいいの」
「へぇ〜、僕も君が守りたい対象の中に入ってるのか」
「あむぴがわたしの誠実な恋人でいる限りはね」
「……努力するよ」



 郊外に佇む小さなフランス料理店で、その男は生ぬるくなったワインのグラスを傾けながらひとり日付が変わるのを待っていた。本日ただひとりだけの客のために店主もつい先ほどまで付き合ってくれていたが、営業時間の終了と共に帰らせた。店主は昔からの顔馴染みで、店を開く際には出資もしたこともあり、頼めばこうして自分に鍵を預け朝まで店を貸してくれた。店主は妻が亡くなったことを知らず、今宵も自分が彼女を待っているのだと信じ込んでいる。自分がここで死ねばその親切な友人に迷惑をかけるだろうことは重々承知であったが、この場所以上に自分にふさわしい死に場所もない。迷惑料として新たに店をひとつ構えられる程度の資金を彼に残せるよう遺言を弁護士に託しているので許してほしい。
 まだ一口も飲んでいないそのワインには毒が入れてあった。多くの人間に売り捌いた麻薬と、今回のパーティーで使用した睡眠薬を直接多量に混ぜて作った強力な毒薬。煽ればきっと自分も彼女の元に行けるだろう。……いや、自分が行くとしたら地獄で、彼女がいるのはきっと天国に違いないから会えはしないか。男は自嘲的に笑った。……しかし彼女のいない世界になど未練はないのだ。
 日付が変わるまで残り2分。男はグラスに唇を付け目を伏せる。腕時計の長針を眺めながら針が12を指すのを待った、そのときだった。
「正孝さんっ!」
 聞き覚えがある声が耳に届き、男ははっと声をした方を振り向いた。そこにはつい先ほどまで思い浮かべていた美しい女性の姿があった。
「花霞……?」
 恐る恐るその名を呼ぶと、彼女は花がほころんだように笑う。
「ああ、よかった! ギリギリ今日に間に合ったわ! 遅くなってごめんなさい」
「いや、構わないが……花霞……?」
 目の前にいるのは死んだはずの己の妻。何が起きているのかよく分からなかった。
「なぁに? ……あら。ワインを飲んでいたのね。わたしも一口もらおうかしら」
「い、いや……これはダメだ!」
 彼女の白くて細い指が自分が持っていたグラスにかけられ、男は慌ててグラスを投げ捨てた。鈍い音を立てて床に落ちたグラスからワインがこぼれて絨毯に紅く広がる。
「正孝さん?」
「あ、す、すまない……このワインはもうぬるくなってしまっていたから、君には飲ませられないと思って……」
 心臓がドキドキを早鐘を打っている。もし彼女がこれを口にしていたらと思うとゾッとした。
「なにも投げ出さなくてもよかったのに……絨毯が汚れてしまったわよ?」
「あ、ああ……店主に謝って弁償しよう……」
 困ったように笑う妻に己も苦笑いを浮かべた。
「そうね。似たようなものが見つかるといいのだけど」
「ああ……そうだな……」
「正孝さん?」
「そうだ! 花霞、お腹は空いていないか? 店主が冷めても食べられる料理を作っていってくれたんだ。よかったら私が給仕しよう」
 先ほどからどこか上の空である男に妻が不思議そうな顔をするので、男は慌てて誤魔化した。妻はそれを疑うこともなく微笑む。
「あら。雪之丞正孝に給仕をさせるなんてわたしは贅沢者ね」
「はは。君に給仕できる私の方こそ贅沢者だよ……ああ……花霞……どうして……」
 そんな妻の姿を見ているとどうしようもなく目頭が熱くなった。
「正孝さん? どうしたの? ……泣いているの?」
「花霞……私は夢を見ているのか? それとももう死んでいるのだろうか?」
「正孝さん……」
 妻が心配そうにこちらを見つめている。
「それとも今までのことが悪い夢だったのだろうか。花霞、気を悪くしないで聞いてくれ。君が死んでしまう夢を見たんだ……」
 なによりも、誰よりも守りたい妻だった。世間から結婚の事実も隠し、彼女と出会うよりも前から関わりのあった暴力団にもその存在を悟られないように気を付けていたというのに。……きっとどこかでその存在がばれてしまったのだ。だからこそ彼女は命を落としたのだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい、正孝さん……わたし……」
「何を謝っているんだ? 君が謝罪しなければならないことなんて何ひとつ……」
 うつむく彼女の顔を上げさせる。彼女の瞳にも涙が浮かんでいた。美しい涙だ、なんて場違いにも考える。謝らなければならないのは自分の方で、彼女にはなんの非もないはずだ。
「正孝さん。わたし、あなたに伝えなくてはいけないことがあるの」
「花霞……?」
「……これを読んでもらえる?」
 そうして彼女が差し出してきたのは二つ折りにされた数枚の紙。どうやら一度書かれた手紙をコピーして印刷したもののようだが、筆跡は間違いなく彼女のものだった。なんとなく嫌な予感を覚えて、手が震えた。視線で彼女に促されるまま、手紙を読み始める。その内容に愕然とした。



正孝さんへ

 この手紙を読んでいるということは、きっとわたしはもうこの世にはいないのでしょう。そして、正孝さんはきっとわたしのスマホのパスワードを当てたのね。世界で一番嫌いな人間の名前がわたし自身の名前だなんて驚いたんじゃないかしら。わたしがなぜわたしを嫌いなのか。その理由を説明します。
 まずはじめに伝えなくてはいけないのは、わたしはあなたが麻薬の密売をしていると知っていること。なぜ知っているのかといえば話は簡単。それはわたしがそちら側の人間だから。
 わたしが元々売れない劇作家であったのは正孝さんもよく知っているでしょう。そんなわたしに接触してきたのがあの人たち。あの人たちはわたしを劇作家として業界に売り込む代わりに、自分たちの仕事を手伝うように言ってきた。わたしも最初のうちはあなたと同じ、麻薬を売る側の人間だったの。
 そのうち組織の力がなくてもぼちぼち作家としての仕事がもらえるようになってきて、そんな時に命じられたのがあなたを組織に取り込むことだった。大して顔の広くないわたしにクスリを売らせるより、広く影響力のある売り手を確保しようと考えたのね。覚えているかしら。わたしたちが初めて一緒に仕事をすることになったときに紹介した、別の監督。正孝さんは彼がきっかけでこの世界に片足を入れることになったはず。あの監督、つい先日亡くなったわよね。そのとき思い付いたの、今なら正孝さんをこの世界から救い出せるんじゃないかって。あなたと組織を繋ぐのは、わたしとあの監督だけだったから。
 わたしが正孝さんに近づいたのは、初めはこの世界に引き込むためで、その後関わり続けのもあなたを監視するためだった。でも、だめだったの。誠実で優しいあなたに、わたしはどうしても惹かれずにはいられなかった。付き合い初めて、結婚して、幸せで、けれどあなたを好きになるごとに、あなたが愛を注いでくれるごとに罪悪感が積もっていった。正孝さんがずっと悩んでいたこと、知っていたわ。せめて罪を共有してくれればよかったのに。あなたはわたし巻き込むまいと結局最後までなにも話してはくれなかったわね。でも、いいの。そんなあなただからこそわたしはあなたが愛しかったし、覚悟もついた。
 あのね、ついさっき、組織にあったあなたの情報をすべて架空の人物のものに書き換えてきたの。元々あなたと組織の繋がりは一部の幹部しか知らなかったからそう難しいことじゃなかった。あなたは有名な人だから完全に雲隠れすることはできないかもしれないけれど、今ならあなたの手元にある情報をすべて処分してシラを切り続ければ組織との繋がりを隠蔽することができる。頃合いを見て、添付してあるデータを警察に匿名でリークしてください。この手紙もちゃんと消してね。そうしたらあなたは晴れて自由の身よ。わたしと組織の繋がりまでは誤魔化せないと思うけれど、正孝さんはなにも知らなかったで通してね。大丈夫、正孝さんならできます。
 こんな償い方しかできなくてごめんなさい。どうかこんなわたしなんかよりも素敵な人を見付けて、光の中で生きてください。正孝さんの幸せを願っています。

花霞



「それは花霞さんのスマホに残されていた本物の遺書ですよ」
 手紙を読み終えて放心状態であった男に、サーモンピンクのドレスを纏った女が声を掛ける。
「か、すみ……?」
 男の妻の姿をした女性は申し訳なさそうに首を横に振った。
「君は……君はもしかして、パーティーの参加者なのか?」
「……はい」
「君は警察……?」
「いいえ」
 女は首を振った。しかし、状況から考えれば一人で乗り込んできたというわけでもないのだろう。女性は犯罪者と二人きりで室内にいるというのに落ち着き払っていた。
「そうか…………そうか」
 男は弱々しい声で呟き、なにかを堪えるような表情で女の顔を見た。もう彼女が本物の彼女ではないことは理解している。しかしあまりに本物らしい彼女から目が離せなかった。どこで彼女の人となりまで知ったのだろう。まるで生前の彼女そのものだった。その女が尋ねかけてくる。
「正孝さん、まだ死にたいですか?」
「……できればね。しかし、毒薬は先ほど床に撒いてしまったんだ。それに……」
「それに?」
 促されて苦く笑う。
「その顔の前では死ぬ気になれないな」
「正孝さん……」
 女の眉がへにょりと情けなく下がった。ああ、どうかその顔で泣かないでくれ……。
「ああ……なんでこんなことになってしまったんだろう……。言ってくれれば……言ってくれれば、泥の水を飲んででも一緒に生きてやったのに……」
 その言葉に返事は返ってこない。なぜなら彼女は本物の浦野花霞ではないからだ。
 男がうなだれていると、店内に3人の男が現れた。
「浦野正孝だな」
「警察か……」
 3人の先頭に立つ正装の金髪の男はおそらくパーティーの参加者だった警察だろう。
「浦野正孝。あなたを殺人未遂容疑で逮捕する」
 告げられた言葉に浦野正孝は取り乱すことなく深々と頭を下げた。そして素直に両手を差し出す。彼の手に手錠がかけられ、無機質なカチャリという音が響いた。
 後ろに控えていた2人の警察に連行されていく浦野はふと立ち止まると、女の方を振り返った。
「お嬢さん」
 呼びかけられた女は頼りなさそうな表情で男を見つめ返す。浦野は意識してなるべくやわらかく微笑んだ。
「ひとつだけお願いがあるんだ。……どうか。どうか、その顔で笑ってくれないだろうか。こんな犯罪者からの頼みなんて聞きたくないかもしれないが……」
「いいえ! ……いいえ。ちょっと待って」
 頼まれた内容に一瞬涙ぐみ、指先で涙を拭おうとした彼女に、その場に残り彼女の傍に立っていた金髪の男がハンカチを差し出す。……ああ、彼が彼女のパートナーなのか。
 彼女は受け取ったハンカチを目尻に押し当てるとぐっと目をつぶり、それから艶然と笑った。
「正孝さん、ありがとう! あなたと一緒に過ごせた時間はとても幸せだったわ。どうかきちんと罪を償ってね。お元気で」
 見る者を魅了する完璧な笑顔。男の頬を涙が伝う。たとえ偽物であったとしても、男は彼女のその表情を一生忘れることはないことだろう。
「……ありがとう、お嬢さん。君が女優を目指したら大物になれそうだな」



 浦野正孝が連行されていくのを見送り、それから扉が閉じたのを確認して、わたしは両手で顔を覆った。我慢していた涙がぽろぽろとこぼれてくる。今日は泣いてばっかりだ。
 そんなわたしを安室さんは少しためらってからそっと抱き寄せて、ぽんぽんと頭を撫でる。
「……つらい役回りをさせたな」
 わたしは安室さんのスーツに顔を伏せて首を左右に振った。事件に巻き込んだのは確かに安室さんだけど、この作戦を思い付き実行すると決めたのはわたし自身だ。これについては安室さんに謝ってもらうことじゃない。警察はただこの場に突入し、この場で真実を伝えることなく彼を逮捕することだって可能だったのだ。
「あむぴ……やっぱりわたしに警察は向いてないよ」
 犯人に感情移入して泣いてしまうなんて警察としては致命的だ。犯罪に巻き込まれやすい体質の新一にもよく呆れた顔をされる。
「……そうだな」
 静かな肯定が頭から降ってくる。抱きしめる力がわずかに強くなった理由については思考を放棄して、わたしはしばらくの間その暖かな人間の熱を感じていた。



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2018.6.30