モンスターシスター工藤
ハグのストレス解消効果ですっかり復活したわたしが落ち着きを取り戻した後、まず最初に安室さんが行ったのは状況の整理だった。
「とりあえずUSBのデータは無事に部下に引き継いだ。あとは鑑識とマトリがなんとかするだろう。倒れた招待客たちも無事全員病院に搬送されたようだ」
エクセルのデータはやはりとあるドラッグと今回のパーティーで使用された睡眠薬の成分表だったらしい。おまけにそのドラッグを販売した顧客の情報もあったそうだ。ずいぶんと有名な人の名前もあったから、これは明日のニュースが大変なことになりそうだなぁと他人事のように思った。
「……ふぅん。でも、これで一件落着というわけじゃないんでしょ」
「ああ。裏で手を引いていた暴力団と会場内にいる仲間はじきに警察が捕まえるが、肝心の雪之丞正孝がまだ見つかってない」
雪之丞正孝が暴力団と繋がり麻薬を密売していたのは間違いなさそうだが、今回の事件は雪之丞正孝が彼らを裏切ったこと意味している。どうして裏切ったかは本人に聞いてみないと分からないが、裏切った男を暴力団の人間が許すとは思えなかった。きっと彼らも雪之丞正孝を探している。彼らが見つけるよりも早く雪之丞正孝を見つけないといけない。雪之丞正孝は犯罪者であると共に重要な参考人だ。
「雪之丞氏の奥さんは?」
1年前の結婚記念日であれだけの照れ顔をさらしていた雪之丞氏のお相手は今どこで何をしているのだろう。彼女は雪之丞氏の裏の顔を知っているのだろうか? 雪之丞氏が愛妻を危険なことに巻き込むイメージはあまりないが……。
「奥さん?」
「まぁそうだろうなぁとは思ったけど、あむぴ、当然LINEなんか見てないよねぇ」
「LINE?」
首を傾げた安室さんにわたしは少々つまらない気持ちで返す。安室さんは急いで胸ポケットを探りスマホを取り出すとほんの少しだけ気まずそうな顔をした。ちなみにLINEのメッセージには例のデザートの写真も写メって添付してあるので詳しい説明は不要な仕様だ。
「……すまない、電源を切っていた。着信もあるな……」
以前ちらりと見かけた機種とは別のものであることに気づいたわたしは、それが安室透の恋人(わたし)専用のスマホであることを察する。よくよく考えてみると、そうでなければこの男がLINEのアプリなんぞインストールするはずがないがないのだ。……まぁいいけど。こんな最も連絡をとりたいときに電源を切られていたのは少し腹立たしいが、自分の身を守るのに他人をアテにしてはいけないことは新一から学習済みだ。
そんなことを思考しながら生ぬるく微笑んでいると、安室さんのインカムに着信が入った。
「どうした? ああ、今ちょうどその話を……なに? 日付は? ……そうか。……ああ、いや、なんでもない。分かった。ご苦労」
手短に切られた通話。
「もしかして雪之丞氏の奥さんの話?」
安室さんの口にしていた言葉から内容を推測して尋ねると、彼は浅く頷いた。
「……ああ。だが、雪之丞正孝の奥方は約1年ほど前に亡くなっているそうだ」
「え……?」
予想外の事実にわたしは目を見開く。安室さんは淡々と説明を続けた。
「名前は浦野花霞(うらのかすみ)。死因は入水自殺による溺死で、結婚記念日の次の日のことだったらしい」
「え、え、ちょ、なんで? 結婚記念日の次の日って、まさかあの写真の? 自殺って、え? そんな、本当に? 事件じゃないの?」
そんな、あんな幸せいっぱいの雪之丞正孝の顔を見た次の日に自殺なんて考えられない! 両手で安室さんの袖のあたりを掴みながら主張すると彼はわたしに視線を向けて、それから難しい顔をした。
「当時の雪之丞も事件を主張したが、浦野花霞の身体に争った形跡はなく、薬物の反応も出なかったこと、それから遺書があったことで事件性はないと判断されたそうだ」
「遺書……?」
頼りなさげな自分の声が耳に響く。なんで、そんな、という言葉が頭を埋め尽くす。
「"ごめんなさい、さようなら"とだけ書かれたメモが自宅に残されていたらしい」
「…………」
わたしは絶句するしかなかった。自殺なんて、そんな。もし本当に自殺だというのなら、自分を愛してくれている家族がいると知りながらどうしてそんなことになってしまったの……? ショックでふらりと揺れたわたしの腰をさり気なく支え、安室さんは気遣わしげにこちらを見た。そして彼にしては珍しくためらった様子見せながら再び口を開く。
「ひとつ、気になっている点がある」
「なに……」
わたしはうわごとのように尋ねた。
「今日は本当なら雪之丞……いや、浦野正孝と花霞夫妻の3度目の結婚記念日になるだったんだ」
わたしははっとして安室さんの顔を見た。
「ねぇ……それってまさか」
今日が結婚記念日ということは浦野花霞の命日は明日だ。言いかけたわたしに安室さんが重々しく頷く。
「……ああ。浦野正孝は死ぬつもりかもしれない」
それから数分後、わたしと安室さんは部屋という部屋の扉をひとつひとつ開けて回りながら会場内を回っていた。浦野正孝の自殺をなんとしてでも阻止しなければならないが、彼を見つけるにはあまりに手掛かりが少ない。そこで、部屋をひとつひとつ回りながらあるかも分からない手掛かり探しを始めたわけである。本当は二手に分かれた方が効率は良いのだが、あんなことがあった後なので安室はわたしの傍にいることを決めたようだ。
「……で。君はさっきからスマホを弄ってなにをしてるんだ?」
はぐれないように左手で安室さんのスーツのすそを掴みながら、しかし右手でぴこぴことスマホを操作しているわたしを見ながら呆れた様子で安室さんが言う。
「んー? インスタの更新」
写真と共に載せる文章を考えながら生返事をすると、ぎょっとしたように安室さんがこちらを振り返った。
「この状況でか? まさかとは思うが君、さっきの現場の写真を」
「失礼ね! そんな非常識じゃないわよ! 画像検索かけても類似写真が多くて見つからないから、ちょっとみんなに聞いてみようと思って」
安室さんが言わんとした言葉を察し、台詞の途中ではあったが遮って否定した。あんな現場の写真なんてそもそも撮ってすらいない。そんな非常識な女だと思われているなんて心底心外である。非常識さでいえば未成年禁止のパーティーにわたしを無理やり参加させた安室さんの方がよっぽどだ。……まったく、こちらは善意で捜査に協力してあげようとしているだけだというのに!
「……君はいったいなんの話をしてるんだ?」
わたしの返答に珍しく困惑した様子で尋ねてくる安室さん。それに妙な優越感覚えてわたしはふふんと笑ってから、ぱちんとウィンクを投げた。
「まぁ見てて。わたしの愛すべきフォロワーたちはスマホの秘書アプリなんかよりずぅっと優秀なんだから!」
その扉は、扉自体は他の部屋のものとなんら変わりのないものだった。ただいくつか並んでいる部屋の扉のひとつ。だが、その部屋には一点他の部屋と違うものがあった。
「電子ロック?」
扉の横に備え付けられた電子パネルは、4桁の数字を入れるよくあるタイプのものだった。試しに今日の日付を入れてみるが開かない。明日の日付もだめだった。
「…………」
安室さんが無言で拳銃を取り出したのでわたしはなるべく後ろに離れ両手で耳を塞いだ。安室さんが手にしているのは彼が使い慣れた拳銃ではなく、わたしから回収した暴力団一味のトカレフである。……トカレフは貫通力が高いのだ。もしかすると控え室のパソコンにもっと役に立ちそうな情報が入っていたのかもしれないが、壊されてしまったものは仕方がない。物事を解決する方法は正攻法だけではないのである。荒業だが、ようは扉が開けばいいのだ。
手のひらの向こう側で、それでもなかなかに鋭い音が2度響く。安室さんが拳銃をしまったのでわたしは耳から両手を外した。
「開けるよ」
わたしは無言で頷いた。扉が開く勢いで使い物にならなくなった鍵穴がぱちゃぱちゃとゆるい音をたてている。そのなんとももの悲しい音を無視し、わたしたちは部屋を覗き込んだ。そして。
「これは……まさか、浦野花霞が亡くなった日の部屋を再現したもの、か……?」
白い壁にやわらかな緑のカーテン。家具はナチュラルな木材で統一されており、少し安っぽい印象もあるが過ごしやすそうな部屋だった。サンドベージュのカバーが掛かるベッドの上には品の良いサーモンピンクのドレスが広げてあり、ベッドの足元にはヒールの高いシルバーのミュールがそろえて置いてある。どうやら結婚記念日に着ていたドレスと同じもののようだ。
そして、部屋の隅にある機能性の低そうな小さいシンプルなデスクには充電が繋がったままの一台のスマホが置かれていた。スマホにはなぜか黄色い付箋のメモがぺたりと貼られており、"世界で一番嫌いな人"と書かれている。スマホを立ち上げてみるとパスワード式であったので、もしかするとヒントなのかもしれない。わたしはこの部屋の主になったつもりでじっと画面を見つめた。
「世界で一番嫌いな人、か……」
考え込見始めた安室さんをちらりと見て、わたしは消えかけた画面を撫でて起こす。そして尋ねかけた。
「……ねぇ、あむぴ。警察は浦野花霞の死を、自殺だと断定したのよね?」
「ああ、 事件性は限りなく低いとの報告が上がっている……まさか」
「……そう。それなら入れるべき名前は決まってる」
わたしの問い掛けに安室さんもパスワードの候補に検討がついたようだった。安室さんの指示を待たず、わたしは間違えないようにゆっくりと画面をタップする。
"Kasumi Urano"
その名前の入力を終えた瞬間、ぱっと画面が切り替わった。
「「!」」
画面の1ページ目には、メモマークのアイコンがひとつだけ。
"正孝さんへ"
名付けられたタイトルに、当人ではないわたしは少しためらいつつもアイコンをタップする。そして中に記された内容覗き込み、わたしたちは二人してしばし言葉を失った。それと同時にわたしたちは気づいてしまった。……浦野正孝はおそらくこのメッセージを読んでいないだろうということに。このメッセージを浦野正孝が読んでいれば、おそらく今回のパーティーは開かれなかったことだろう。
「浦野正孝を早く見つけなきゃ」
……たとえ、真実が彼が想定するよりもはるかに残酷であったとしても。