モンスターシスター工藤
さて、安室さんが出て行き一人残された部屋でわたしがただ大人しく彼の帰りを待っているかといえばそんなわけはない。わたしはつい今まで安室さんが座っていたパソコンの前に移動し、ピクチャのフォルダを開き、先ほど気になった写真のひとつひとつをじっくりと眺めていた。特にじっくり眺めたのは、雪之丞氏の照れ顔でもなく、料理の写真でもなく、料理が運ばれて来る前のワイングラスだけが映された写真。白ワインが注がれたそのグラスは光の反射で鏡の役割を果たし、ぼんやりとではあるが写真の撮影主を映し出していた。
(サーモンピンクのドレスを着た髪の長い……)
輪郭や顔立ちまでははっきりとしないが女性であることは間違いなさそうだった。
その写真からはそれ以上の情報は得られそうにもなかったので、他になにか情報が得られそうな写真はないかとフォルダ内をスクロールする。あれ? とわたしが手を止めたのはデザートの写真だった。通常、フルコースのフレンチであればデザートも一人一人別の皿に用意される。だが、その写真ではテーブルの中央に小ぶりではあるもののチョコレート系のホールケーキがドンと置かれていたのだ。ケーキの上にはなにやらプレートが乗っているようだったので、写真をクリックし選択して画像を拡大していく。そしてそのプレートに書かれている文字を読み取った瞬間、わたしは思わず声を出していた。
「は!? 結婚!?」
プレートには"Happy Wedding Anniversary 2th"の文字。素直に読み解くならば、これは結婚2周年のお祝いのケーキだ。なんと、まさか、イケオジ俳優独身枠の雪之丞氏が実は既婚者だった!?
即座ににスマホを取り出し、電話帳の上の方に並ぶ"あむぴ"への通話を選択するが、どうやら安室さんの電話は今電源が切られているらしい。わたしは"安室透"の連絡先以外知らないので、仕方なくLINEの画面を開く。気付いてくれる可能性は限りなく低いが、なにも連絡しないよりはマシだろう。一応センシティブな情報かと思われたので"ゆきぴが既婚者だった! ビックリ!"とゆるめのメッセージを送っておく。
周囲にわたし以外の人間はいないので存分にため息をつき、スマホをしまいかけてふと思いとどまった。ちらりとパソコンの画面に目を向けて思案すること数秒。
「…………」
わたしはスマホをしまわず、代わりに普段は充電に使っているUSBケーブルを取り出してスマホとパソコンをつないだ。もしなにか変なのに感染したら阿笠博士になんとかしてもらおう。
そしてわたしはパソコン上の写真のデータを自分のスマホへとコピーし始めた。
それはダウンロードのパーセンテージが80パーセント代の後半に差し掛かった頃だった。
かすかな、しかし慌ただしい足音がドタドタと部屋に近づいてくる音がしてわたしの顔は強ばった。
(安室さん……じゃなさそう)
靴の音の響き的に男性の革靴のようだが、安室さんならもっと軽やかに走りそうだ。安室さん以外の警察の可能性も考えられなくないが、"万が一"のことも想定しておくべきだろう。パソコンの横に置いた、安室さんから渡された拳銃をおそるおそる手に取り、自分のドレスの腰元に結んであるリボンの隙間にはさむ。わたしのミッションは安室さんと再び会うときまで生き抜くことだ。ダウンロードの画面を確認すると、パーセンテージは92パーセント。……間に合うか? 足音がどんどん大きくなってきて心拍数が上昇する。95、96、97……。
(早く早く早く早く……!)
数字が100パーセントになった瞬間、わたしは開いたフォルダも消さずUSBを安全に抜くための処理も行わないままUSBケーブルをパソコンから引き抜いた。そのままさっと身をかがめてテーブルの下に潜り込みテーブルクロスの中に隠れる。部屋の扉が乱暴に開かれたのはまさにその直後のことだった。
「くそっ! 遅れをとったか!」
知らない男のドスの効いた声が室内に響き、続いて当たり散らすようにグラスや皿が床になぎ落とされた音が聞こえてわたしは悲鳴をあげそうになった。口元に手をやりなんとか声を出さないように努める。男が部屋の中を物色し始めた気配がしたので、少しでも安全な位置に移動しなければと思い、わたしはテーブルクロスを揺らしてしまわぬよう細心の注意を払いながらソファの陰まで移動した。と、そのとき。
「なんだ? パソコンがあるじゃねぇか」
足早に男がこちらに近付いてくる気配がして、わたしは身を縮こませる。ソファの陰に移動していてよかったが、油断はできない。わたしと男の距離は数値にしてみれば1m強。息を詰めながら耳をすませてその動向を探っていると、マウスのホイールをくるくると回す音がした。どうやら男はパソコンの中身を探っているようだ。しばらくの間ホイールを回す音とクリック音が聞こえていたが、ふいにその音が止んだかと思うと大きな舌打ちが聞こえ、そして次の瞬間突然銃声が3発たて続けに響いた。
「あの裏切り者が……!」
銃声に混じって聞こえたガシャンという音と、飛び散ったキーボードの欠片を見てわたしはパソコンが破壊されたことを知る。データを移しておいてよかった。いや、でもわたしはここから無事に脱出できるのだろうか。先ほどから身体の震えが止まらず、腰元の銃をまともに扱える気がしない。でも、わたしはここで死ぬわけにはいかなかった。わたしが死んだらパパとママと新一が死ぬほど悲しむに決まっている。大切な家族を悲しませるわけにはいかない。ついでにトラウマの多そうな彼ピッピのことも気がかりだ。わたしは静かに深呼吸をし、ぎゅっと目をつぶった。
(わたしはCIAの凄腕女スパイわたしはCIAの凄腕女スパイ……)
観たことのある映画やドラマ凄腕女スパイを思い浮かべて自己暗示をかけながらなんとか身体の震えを治める。……いけるか? ……いける! だってわたしは凄腕女スパイ!
部屋をさっと見渡して、それぞれの物の配置を確認する。男がわたしの存在に気付かないまま部屋を出て行ってくれるのがベストではあるが……。
「それにしてもソファがまだ温かかったということは、これを見てたやつはそう遠くは行っていないか……まだこの部屋にいるかもなぁ?」
わざとらしく呟かれた言葉に、わたしは自分が部屋にいることが知られていたことを悟り、覚悟を決めてソファの陰で低くクラウチングスタートの体勢をとった。そして。
――パァン
目の前の壁に撃ち込まれた本物の銃弾の発砲音をスターターピストル代わりにわたしはソファの陰からおどり出る。
「女っ!?」
驚いたような男の声を無視して、わたしはシャンデリア下にあるテーブルのあたりまで走った。一寸遅れてはっとしたらしい男が追いかけてきて再び1発。思い切り外れていった弾丸は無視して、わたしはシャンデリア下のテーブルのクロスを掴み、乗っているものを向こう側に払うようにして引っ張り上げた。グラスや軽食たちがガシャガシャと落下し、テーブルクロスはひらりとはためきながら男の頭の方へ覆いかぶさっていく。
「おわっ!?」
視界が塞がり男が怯んだ隙に、今度はテーブルクロスのなくなったテーブルの下にもぐりこみ、重量挙げの要領で男の方へとひっくり返した。
「だっ、」
見事に男の足を巻き込みひっくり返るテーブル。男はテーブルクロスに視界と両手の自由を奪われたまま、ろくな受け身も取れずに絨毯に倒れ込んだ。わたしがひっくり返せる程度のテーブルでは当然重量が足りないので、わたしはその場から2、3歩下がり、腰元の銃を抜いて両手で構える。女のわたしの手にはやや余る大きめのグリップを握りしめ狙ったのは、部屋の規模に対してはやや大き過ぎるシャンデリアがぶら下がる鎖。1発目は狙いを外してしまったが、2発目はほぼ当てたい位置に当てることができた。微調整しながそのまま素早く何発か打ち続け、ようやく6発目でシャンデリアを撃ち落とすことに成功する。100kgはゆうに超えていそうなシャンデリアは、やっとテーブルクロスから這い出られるところだった男の頭上にまっすぐと落ちていく。ガシャーンと、安易ながら本日一番派手な音がした。
「ぐあっ」
シャンデリアのぶつかった衝撃で男の持っていた拳銃が絨毯へと投げ出されたのを、わたしは急いで走り寄って拾い上げた。うわっ、これトカレフだ。暴発が怖いので少し離れたところにそっと置いてから、わたしはうつ伏せでシャンデリアとテーブルに押しつぶされている男に近寄る。痛みでろくな抵抗もできないらしい男の腕をシャンデリアの隙間からねじり上げ、ドレスの腰リボンを外して両腕を合わせて縛った。それだけでは不安だったので、音響機器に繋がっていた延長コードを引き抜いてきて、テーブルからはみ出ていた男の両足をぐるぐると縛る。すると男がわめき出したので、男が履いていた靴下を脱がせ口の中に詰め込み、マルチツールのハサミでちまちまテーブルクロスを刻み作ったリボンで猿ぐつわにした。
ふぅ、と息をついたところで聞こえてきたのは再び何者かが部屋に近づいてくる音。かなり派手にやらかしたので男の仲間が気付いたのかもしれない。先程この男が部屋に来たときよりも随分と疾走感がある。シャンデリアは部屋にひとつしかないので同じ方法はもう使えない。
とりあえず、と。わたしは絨毯の上に一度置いたトカレフを拾い上げ、部屋の入り口まで移動した。扉のすぐ横で身を低くしながらも片膝を立てていつでも走り出せる体勢をとり、トカレフは足元に置いて手には安室さんの拳銃を構える。……逃げ切るためには次は本当に人に向けて撃つしかないだろう。先ほど実際に銃を使ったことによってほんの僅かだが銃を使用することへの抵抗が薄れた。……そう、それに今のわたしは凄腕女スパイ。部屋に男の仲間が入ってきた瞬間相手の足に銃弾を打ち込み、痛みで転ぶなりよろけた隙にタックルをかまして扉の隙間から逃げることなど容易いのだ!
心臓がドキドキと早鐘を打つ。足音はもうすぐ側だった。そして。
――バタンッ!
大きな音を立てて扉が開いた。銃の引き金に指をかけたままわたしは入ってきた人物の顔を確認し……そのままよろよろと崩れて落ちた。銃を部屋に向けて構えていた男の顔が驚愕したようにこちらを向く。
「おい! 大丈夫か!?」
「な、なんだぁ……あむぴかぁ…………」
かしゃん、と自分の手から銃が滑り落ちる。極度の緊張からの解放に身体の力が抜けていく。震えと涙が止まらなかった。
「し、死ぬかと思ったぁ……」
どこか怪我でもしたのかと深刻そうにこちらを覗き込むように近づいてきた安室さんの身体になんとかしがみつき、わたしは泣きごとを言う。
安室さんはシャンデリアの落下しているあたりにちらりと目を向けるとなんとなく状況を把握したのかほっと息を吐いてから苦笑し、それからわたしを抱きしめ返して背中をなでてくれた。
「あー……よしよし、よく頑張ったな。生きていてくれてありがとう」
ことさら優しい声に胸が詰まる。返す言葉は見つからなくて、わたしはただ頷き、安室さんのスーツを握りしめる手に力を入れた。