モンスターシスター工藤
控え室はパーティー会場の規模をそのまま小さくしたような部屋だった。えんじ色の絨毯に、白いテーブルクロスの掛かった丸テーブル。天井からは大きめなシャンデリアがぶら下がっている。
「控え室なのに誰も控えてた様子がないね」
壁際には色々な種類のお酒や空のワイングラス、ビスケットやナッツなど軽食になりそうなものが並んでいるが、そのどれにも手をつけられた様子はなかった。
「まぁ鍵も掛かってたしな」
つまり、控え室とは名ばかりで、実際はこの部屋は謎解きゲームのために用意されたものだということだ。
「……ふむ。またパソコンか」
顎元に手をやりながら安室さんが呟く。部屋の奥の方に置かれた唯一の長机にはまたまた1台のノートパソコンが置いてあった。この部屋が本来の用途で使用されていないというのならば、あのパソコンの中身はこの謎解きゲームに関係があるとみてまず間違いないだろう。安室さんとわたしは机の後ろに置かれている二人掛けのソファに浅く腰掛けた。
パソコンは少し古い型のものなのか緑と青が混じり合ったログイン画面になっており、別段パスワードを入れる枠もなく四角いチェスの写真のアイコンだけがぽつんと表示されている。
一見ただの旧バージョンのウィンドウズだったが、安室さんが無造作にログインボタンであるチェスのアイコンを押した瞬間、画面に現れたのは通常のデスクトップではなかった。
"What the name of the drug?"
ログイン画面の青とは違う16bitカラーを適用したかのような強烈な青の背景に、真ん中にはカクカクとした灰色の文字。その少し下にはなにかを入力するための枠があり、さらにその下には小さく"You have only one chance"と書かれている。右上では目に痛い赤い数字が60、59、58……と数字がカウントされており、これが制限時間付きのパスワード要求画面であることは明らかだった。
「薬の名前?」
薬というか、クスリかもしれない。もしくはヤク。今回使われた睡眠薬の名前か、あるいは……。
「チッ、どこかでヒントを見落としたか?」
枠にカーソルを合わせるも入力すべき薬の名前は浮かばないらしく、安室さんは険しい顔で画面を睨みつける。チャンスが1回きりしかないため、あれこれ試してみるわけにもいかないのが厄介だった。
しかしここでふとわたしはある可能性に思い当たった。
「あ、もしかしてこれ……」
「何か心当たりがあるのか?」
ものすごい勢いで安室さんの首が回り、真面目な表情がこちらを向く。途端に自分の思い
ついた話が頼りないように思えて、わたしは眉尻を下げた。
「心当たりというか……うーん」
「早く。時間がない」
そう急かされてしまえばとりあえず口にしてみるしかない。それが良いか悪いかの判断は安室さんに任せよう。
「いや、ひょっとしたら答えないのが正解なのかもって」
「は? ……いや、待て。なるほど、そういうことか……」
この推理ゲームは"悪い人間"などどうなっても構わないと考えている男の主催するものであるが、では、"悪い人間"とはいったいどういった人を指すのか。雪之丞氏は仕込んだ睡眠薬について、悪い人間には毒になりうると言っていた。それはつまり、悪い人間の体内でのみ仕込まれた睡眠薬がなんらかの化学反応を起こすということなのではないか。もっと分かりやすくいえば、"悪い人間"とは麻薬使用者を指すのではないか……ということだ。であるのならば、このパスワード入力画面はもし万が一"悪い人間"がこの場所にたどり着いてしまっていた場合のトラップということになる。薬を常用しているものであれば1分以内に薬の名前を入力するなど容易いだろう。しかも制限時間などが設定されているとあればなにも考えず慌てて入力してしまうに違いない。
「あむぴ、本当にそれでいいの? わたし今の発言に責任は持てないよ?」
「あと20秒で他にとれる方法もないだろ。心配しなくとも、この場で起こったことの責任は全て僕が負うさ。君は巻き込まれただけだしな」
言うと安室さんは腕を組み、ソファの背もたれに身を預けた。数字はいよいよ一桁台に突入しようとしている。
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1……ゼロになった瞬間、ぱっと画面が切り替わった。どこでも見かけるような、なんでもない普通のデスクトップ。あえて個性を指摘するのであれば、様々なアイコンが雑然と配置されているところだろうか。
安室さんはほっと息を吐いたかと思うと、素早く上体を起こしてパソコンに噛り付いた。
「君の言ったとおりだったな。これは……私用のパソコン、か?」
先ほどパーティー会場で謎解きをしたパソコンのような整然とした感じはない。ゴミ箱やインターネットエクスプローラー、メモ帳やソリティア、ウイルスソフト、その他たくさんのファイルが画面に並んでいる、本当にただの一個人が使っているようなパソコン画面だった。
安室さんは時間が惜しいのかさっそくマウス握るとドライブの使用量を確認し、それから手当たり次第にカチカチとフォルダを開き始める。容量が0キロバイトのフォルダが並ぶ中、ひとつだけやたら容量の大きいフォルダを見つけた。ピクチャのフォルダだ。
「個人的な写真だな」
表示アイコンを最大にしてスクロールしながら安室さんがいう。チーズの盛り合わせに魚介のサラダ、ポタージュ系のスープに魚料理に肉料理……どこかでフレンチのフルコースを食べたときの写真のようだ。その中にいくつか気になる写真を見つけてわたしは指を差した。
「この写真、誰が撮ったんだろう?」
それは雪之丞正孝自身が写っている写真だ。本人が両手にナイフとフォークを持っていることから考えて自撮りの線はないだろう。
「一緒に食事に行った人間じゃないのか?」
「それはそうだろうけど、でも、たぶん女の人じゃないかな」
それもとびきり親しい女の人だ。ほろ酔いの赤い頬を晒しながら、まるで写真に写るのが照れ臭いというように笑う雪之丞正孝。普段からメディアにその姿を晒し慣れている男がこんな表情を浮かべるなんて、それしか考えられない。雪之丞正孝の恋人がスクープされたことはないが、上手く隠れて付き合っている恋人がいるのだろう。いったいどのような人なのだろう。その女性は雪之丞氏が今このようなことを行っていると知っているのだろうか。
思考するわたしに安室さんは少し困ったような顔をした。
「雪之丞正孝なら恋人の一人や二人いてもおかしくはないが……」
そこで言葉を切ってから、ふとなにかを思い付いたような表情を浮かべる。
「……いや、君が気にするくらいだからなにかあるかもしれない。少し部下に調べさせてみるか」
そう言ってインカムでなにやら指示を出す安室さん。わたしは探偵じゃないし、思い付きでしゃべっているだけなのでそこまで意見を真に受けられても困るんだけどなぁ……。まぁこれを口に出しても"君の意見を聞いた上で判断したのは僕だから気にするな"とか言われるんだろうけど。わたしはソファに深く座り直した。指示を出し終えたらしい安室さんがこちらを向く。
「よし。雪之丞正孝の恋人探しは部下に任せて僕たちは薬の情報を探すぞ」
安室さんが目的のデータを見つけたのはそれからわりとすぐのことだった。
「! あったぞ、おそらくこれだ」
促されてパソコンの画面を覗き込むと、エクセルにはあまり聞いたことのないような単語がずらっと並んでいた。それぞれ何ミリグラムだとか何パーセントだとかが表になっているので、おそらく薬品の名前なのだろう。
「こっちは?」
今見ているのは1枚目のタブで"composition"と名前が付いているが、2枚目のタブはは"client"と名前が付けてある。クリックしてみると表示されたのは複数の人名が書かれたリストだった。日本人の名前だけではなく外国人の名前まであり、中にはよくテレビで見かける有名人の名前もあった。
「これは……」
安室さんが言い掛けた瞬間、本日2度目の銃声が建物内に響いた。今度は2発目、3発目と立て続けに発砲した音がして、わたしは思わず安室さんの顔を見る。
「……なるほど、ドンパチやってる輩の正体の目星もついた。しかしこのデータをどうしたものか……なるべく早く警察の手に渡したいが……」
目の前のパソコンはインターネットに接続されていなかった。スマホを開いてネットワークを確認してみるが、Wi-Fiが飛んでいる様子もない。
うーん、と首を傾げて、わたしはかばんからあるものを取り出した。
「これ使う?」
「なんでUSBなんか持ち歩いてるんだ?」
なぜか若干引いている様子の安室さんにわたしはにっこりと笑いかける。
「言ったでしょ、探偵と一緒にイベントごとに参加するとなにか変なことに巻き込まれるのはセオリーなの。これと、あとマルチツールとライターあたりは必需品ね」
ちなみにマルチツールはうっかり軽犯罪法に引っ掛からないようにナイフの付いていないものを持っている。プラスドライバーやピンセットなどは普段からよく使うし、新一と行動するとペンチの出番もあったりする。ほんと、これだから探偵とかいう生き物は……。
安室さんはため息を吐きながらもわたしからUSBを受け取った。
「色々突っ込みたいところはあるがありがたく借りておこう」
言いながらUSBをパソコンに挿し、データをコピーし始める。まったく、ため息を吐きたいのはこちらの方である。美少女にため息は似合わないからなるべく人前で吐かないようにしてるけど。
データのコピーはエクセルファイル一つのみなのであっという間に終わったようだった。
「ところで拳銃を使った経験は?」
USBを抜きながら、まるで明日の朝食のメニューでも聞くような気軽さで安室さんが尋ねてくる。はぁ? 拳銃を使った経験ですって? そんなのあるわけ、
「無い…………こともない、けど……」
やましい部分など少しもなかったが、なんとなく気まずい響きを帯びた声になってしまった。
「ほぉー?」
「パパにハワイで教わったの。練習場以外では使ったことない」
物言いたげな安室さんをジトリと睨んで説明すると、安室さんは妙に納得したような顔をする。
「……ひとつ貸してやる。撃った際の責任は僕がとるから万が一のときは使ってくれ」
ビシッと着こなしていたスーツの下から拳銃が出てきて、わたしはぎょっとした。
「えっ、やだ、そんな物騒なもの持ちたくない」
反射的に拒否の声をあげて、ソファ上という狭いスペースではあったが安室さんから可能な限り距離を取る。これだけハッキリと拒否すれば引くかと思えば、安室さんは厳しい顔で腕を伸ばし、拳銃の持ち手の方をこちらへ突き出してきた。
「そんな物騒なもの持ったやつが建物内をウロウロしてるんだぞ。いいから持っておけ」
「脅されてもイヤなものはイヤ」
わたしは首を左右に振った。そんなわたしの態度に安室さんの顔から一瞬表情が消える。それにヒヤリとしてソファから腰を浮かしかけるが、それよりも早く安室さんがわたしの右手首を掴んだ。そしてその手に無理やり拳銃を握らされる。
「ちょっ、なにす……や、やだって言ってるのに! う、うう……」
拳銃からなんとか手を離そうとするが、距離を詰めてきた安室さんに両手で包み込むように握り込まれてしまい指がぴくりとも動かせない。それでも諦めずなんとか引き抜こうとするわたしの手を安室さんは更に強く握りしめた。いたたたた……ちょっと力強過ぎるんですけど! 抗議の声をあげようと口を開くが、それよりも早く安室さんが口を開いた。
「……頼む、受け取ってくれ。恋人まで失いたくないんだ」
あまりに真剣な声にはっとして顔を上げると、懇願するような瞳と目が合った。強い眼差しの奥でわずかに揺れる感情。その感情が"不安"であることに気付いた瞬間、わたしは自分がこれ以上抵抗できないことを悟る。彼の台詞は、声は、瞳は。彼がすでに多くのものを失ってきたのだとわたしに理解させるには十分だった。
「……っ」
指先から力が抜けていく。促されるまま拳銃をゆるく握り締めて、わたしは泣きそうになりながら自分よりも高い位置にある安室さんの顔を見上げた。
安室さんは安堵したようにやわらかく笑う。こちらは涙目だというのにひどい男だ。
「いい子だ」
うつむいたわたしの機嫌をとるかのように、つむじにチュッと口付けが降ってくる。……バカ、こんなのでほだされないってば。
「僕はちょっと部屋の外の様子確認してくる。君はここにいてくれ。……いいか、その拳銃、いざというときはちゃんと使えよ」
安室さんはそう言い残し、一人控え室から出ていった。……探偵っていうのはほんっと自分勝手!!