「黒羽君、いるんだろう?」
彼女が去り誰もいなくなったはずの屋上で、しかし僕は確信を持って呼びかけた。案の定、屋上の出入り口になっている搭屋の陰から黒羽君がスッと現れる。
「人の告白を立ち聞きなんていい趣味とは言えないね」
僕が言うと、黒羽君は不機嫌そうな顔をした。
「オレがいるって分かりながら告白始めたのはそっちだろ」
もっともな言い分に僕は笑う。
「僕が彼女に告白するのに、君に気を使わなきゃいけない理由はないからね」
「へーへー、そうですかー」
興味ありませんというように黒羽君は肩を竦め、ポケットに両手を入れて出口に向かう。本当は動揺しているくせに。そんな彼を僕は呼び止めた。
「……黒羽君」
しぶしぶといった様子で振り返った彼に、僕は不敵に笑ってみせる。
「そう簡単に彼女を手に入れられるとは思わないことだね」
黒羽君は一瞬何か言いたげに口を開いたが結局何も言わずに口を閉ざし、前に向き直って片手をひらひらと振りながら去っていった。
エヴァレットの書
突然だが、学生の本業は勉強である。だからたとえ部活で全国大会を控えていようが、風邪をひいて具合が悪かろうが、見たいアニメがあろうが、……恋をしていようが、それは全ての学生に等しく訪れるのだ。
「期末テストまであと2週間だね……」
「んー、そうだなー」
うんざりしながら言ったわたしに対し、快斗はどこか上の空で頷く。テストのことなんてまったく考えていないバカに見えるかもしれないが、この男、IQ400なのだというから侮れない。400なんていう数値どうやって出したんだろう。
「黒羽くんはいつにも増して気が抜けた様子だね」
「るせーな、ほっとけ」
探くんの言葉に快斗はシッシッと犬を追い払うような仕草をして返した。快斗が探くんに対して面白くなさそうなのはいつものことだ。そんな快斗の様子なんて気にもかけず、探くんはにっこりと笑った。
「どうだい、気の抜けた黒羽くん? 僕とテストの点で勝負しないかい?」
「は? んなめんどくせーことするかよ」
怪訝そうな表情をしてから、プイっとそっぽを向く快斗。あれ? いつもより機嫌悪い? わたしは内心首を傾げた。
「へぇ? 僕に勝つ自信がないと?」
探くんも探くんで、なんだかいつもより挑発的である。
このふたり、どうしたんだろう。怪盗キッドとそれを追う探偵という関係上いつも張り合っているのは知っていたけど、それでもお互いにある程度尊敬しあっていて普段はうまくやっていると思っていたのに。
「誰がテメーなんかに負けるか!」
背けていた顔を元に戻して、快斗は探くんを睨みつける。そんな快斗を見て、探くんは悠然と笑った。
「じゃあ問題ないだろう?」
「テメーひとりでやってろよ」
ケッ、と机に肘をつき、快斗は手の上に頭を乗せる。そんな快斗を探くんは僅かに首を傾げながらじっと見つめ、それから両手をぽんと叩いた。
「それじゃあ君にやる気を出してもらえるように、勝った方にはご褒美がもらえるようにしよう」
「ご褒美ぃ〜……?」
快斗が胡乱げに探くんを見る。
わたしは嫌な予感がした。
「……勝った方が1日ちゃんとデートできる権利を得られる、なんてどうだろう?」
ちらり、と探くんがこちらに視線をよこす。
「え?」
黙ってふたりのやりとりを見ていたわたしは、唐突に話題を振られてたじろいだ。
けれど、わたしよりももっと大げさに驚いてみせたのは快斗だった。
「はぁっ!? おいおい、そんなゲームの景品みたいな扱い……こいつは物じゃねーんだぜ!?」
「分かってるさ。だから、これからちゃんにきちんとお願いしようと思って」
快斗が本気で憤っているのが分かった。けれど探くんがそれを気にした様子はない。険しい表情の快斗と始終笑顔な探くんのやりとりをわたしはぽかーんと見つめる。なにがどうしてこうなったの?
探くんはくるりとわたしの方を向くと、困惑するわたしの両手をとって微笑んだ。
「ちゃん。今度の期末テストで僕が黒羽くんより良い点数を採ったら、僕と1日デートしてくれないかい?」
「おい白馬、その頼み方なんかおかしいだろ」
探くんのお願いは一切快斗に触れていない。その台詞に、すかさず快斗が突っ込みを入れた。
「おかしいところなんてどこにもないけど?」
それに、君は勝者のご褒美を彼女とのデートにすることに対して反対なんだろう? そう言った探くんに、快斗はぐぬぬと唸った。
わたしは自分の手をとっている探くんと、威嚇するように探くんを睨みつけている快斗の顔を交互に何度か見遣って、それから溜息を吐いた。そして、探くんに握られていた手をすっと引いて彼の拘束から逃れる。わたしはゆるく首を横に振った。
「……申し訳ないけど、そのお願いには頷けないよ探くん」
「どうして?」
本当に意外そうに探くんが尋ねてくる。
「どうしてって……そんなの、探くんだってよく分かってるんじゃないの?」
探くんに告白されたとき、わたしは本当ならその場で断るつもりだった。それを察しながら止めたのは探くんだ。それに、鋭い彼のことだ。わざわざ隠すことはしていないわたしの快斗への気持ちに気付いていないはずがない。悪いが、わたしは好きな男の子がいるのに他の男の子とデートの約束を取り付けるような女になるつもりはないのだ。たとえそれが"もし"という条件付きのものであったとしても。そもそも、勝負相手であるはずの快斗が勝負に乗り気じゃないのに頷いてどうする。
「いいや、分からないね。分かりたくもない」
探くんの声は硬かった。やはり彼は分かっているのだ。分かっていてこんな勝負を快斗に持ち掛けたのだ。わたしは眉を寄せる。
「なんで? どうしてここまできて引っ掻き回すの?」
無性に腹が立った。慎重に慎重に、わたしはここまで快斗との関係を進めてきたつもりだ。彼がわたしの気持ちを信じてくれるように。不安な気持ちなど抱かせないように。それなのに、どうして今更になってこんなこと言うの?
「……どうしてよりによって黒羽くんなんだ」
探くんの方もまたどこかいらいらとした声色で言う。いつもの彼らしくなく、その表情からは余裕が消えていた。
「なにそれ……どういう意味?」
聞き捨てならない台詞だ。その言葉はまるで、相手が快斗でなかったら納得できたのだというようにも聞こえる。
「だって彼はキッ」
「探くん!!」
探くんがなにを言おうとしたのか理解したわたしは彼の言葉を遮った。
「ちゃん、知ってて……?」
快斗が怪盗キッドだと知ってて、それでもなお彼を好きだというのか。探くんの瞳はそう問うていた。
「だったら何」
自分でもびっくりするくらい冷たい声が出た。
「僕は認めない。彼は君の隣に立つにふさわしくない」
言ってから、探くんははっとしたような顔をする。それは己の発言をどこか後悔しているようにも見えた。けれど、今のわたしにとってはそんなのどうでもいいことだった。
「探くんに認めてもらう必要なんてない。ふさわしいかどうかなんて探くんの決めることじゃない」
どうして。どうしてこんな風になってしまったのだろう。ただ、良かったね、って祝福してくれるだけでよかったのに。せめて放っておいてくれたらよかったのに。
「ちゃん、僕は」
探くんの両手がわたしの肩を掴む。わたしはそれを振り払った。
「もういい、なにも聞きたくない」
「ちゃん……?」
わたしの表情を見て、探くんがさっと青ざめた。わたしは息を吸う。
「探くんなんて……探くんなんて大っ嫌い!!」
ガーン!! という耳には聞こえない音をその場の誰もが聞いただろう。けれど、わたしはその場にあった自分の荷物をすべてひっ掴んで足早に彼らの教室から立ち去った。