黄昏の館から無事に帰った翌日、朝学校の下駄箱で上履きに履き替えていると、ちょうど快斗も登校してきたところだった。
「はよ」
「お、おはよう」
 いつも通りに挨拶をされたが、わたしはなんだかとぎまぎしながら返してしまう。昨日の今日で快斗はなんでこんなに普通にしていられるんだろう。これがポーカーフェイスというやつなのか。
「ん? どうした、熱でもあんのか?」
 わたしの様子がおかしいことに気付いた快斗がずいっと顔を近づけてきた。思わず後退ったわたしを気にも留めず、快斗はわたしに手を伸ばす。快斗の右手が、さらりとわたしの前髪を払った。そして。
「……え」
 コツン、と快斗は自分の額をわたしの額と合わせた。かああぁぁっ、と身体の温度が上昇する。ちょ、これ、つい一昨日キッドに同じことされたばかりなんですけど……!
「うーん、若干熱いような気も……」
 とぼけたように言っているが、この男絶対分かってる! 分かっててこんなことしてるんだ!! ぐるぐると目が回る。羞恥と憤りにわたしはぶるぶると震えた。
「〜〜〜〜っ、快斗のバカっ!!」
 ごんっ、といい音がした。
「い゛っ!?」
 合わさった額に、わたしが勢いのまま頭突きをした結果だった。自分自身の頭もダメージを受けてぐわんぐわんとしていたが、今はそんことを気にしている場合ではない。くるりと快斗に背を向けて、わたしは下駄箱から逃げ出した。
 だから、わたしが走り去っていった後、快斗が赤くなった額を押さえながら「カーワイイ」と呟いてくすくすと笑っていたことなんて、当然知るはずもなかった。



エヴァレットの書




 お昼休み。転校してきてすぐに快斗と青子と探くんと一緒にお弁当を食べるのが恒例となったわたしは、弁当片手に空いている方の拳をぎゅっと握った。今朝は心の準備のないままに思わぬスキンシップをされて逃げ出してしまったけれど、わたしは負けない! そうよ、わたしは攻めの体制でいくの! あんなことで照れたりなんてしないのよ! よし、と気合を入れて自分の教室を出る。隣のクラスの出入り口からひょこっと顔を覗かせれば、3人とも既に弁当を手に集まっていた。
「おはよー」
「あ、。おはよー」
 女子同士の挨拶は朝だろうが昼だろうがおはようである。青子がそう挨拶を返してくれて、探くんは「こんにちは、ちゃん」と微笑む。既に朝挨拶を交わしていた快斗は「おお、ちゃんと来たのか」とどこか楽しげに笑った。
 いつも通り、教室の一番後ろにある探くんの席と、そのひとつ前の人の席を借りてくっつける。椅子だけはもう2つ近くの席から借りて、わたしたちはその小さなスペースにお弁当を寄せてお昼を食べ始めた。
「そういや、具合は大丈夫なのか?」
 そう切り出したのは快斗だった。当然今朝のことを言っているのだろう。ぶっ、とおかずの卵焼きを吹き出しそうになったのをなんとか飲み込む。その話、ここで蒸し返すのか。
「えっ、具合悪いの!?」
 素直な青子は心配そうにわたしの顔を見て尋ねた。わたしはペットボトルに詰め込んできたお茶を飲みこんで息を整える。そして、冷静を装って真顔で首を横に振った。
「いや、全然」
ちゃん、具合が悪いなら無理しない方が……」
 探くんまでもが心配そうに話しかけてくる。いや、わたしどこも具合悪くなさそうでしょ?
「本当に大丈夫だって」
 少しだけ困って言うわたしを、快斗がにやにやと見ている。そんな快斗をわたしはジロリと睨みつけた。
「もー、快斗が変なこと言うから」
「っくく、わりぃわりぃ」
 全然悪びれた様子もなく言う快斗に、わたしは溜息を吐く。そんなわたしたちの様子を見て、探くんも溜息を吐いた。ようやく、快斗がわたしをからかっただけだと理解したようだ。
「やれやれ。また黒羽くんの悪ふざけか」
「悪ふざけじゃねーよ。オレは純粋に心配して聞いたんだぜ?」
「とのことだけど?」
 快斗の台詞に対して意見を求めてきた探くんに、わたしは無言で首を横に振った。ちぇ、と快斗が頭の後ろで手を組む。そんなわたしたちを眺めていた青子が、きょとりと首を傾げた。
「なんか、快斗とって仲良くなったねぇ……」
「!」
 その言葉に息を飲んだのは探くんだった。わたしと快斗の方はといえば、顔を見合わせてぱちぱちとふたりして瞬きをする。しばし見つめ合い、それから何事もなかったかのようにお互い視線を自分の弁当に戻した。
「そうか?」
「絶対そうだよー」
 快斗と青子の幼馴染コンビのやり取りを眺めながら、わたしはからあげを口の中に放り込んで咀嚼した。うむ、おいしい。
 でも、確かに、と思う。つい数日前まで感じていたわたしに対する僅かな遠慮を、快斗は取り払っていた。
それはキッドと快斗が同一人物だとわたしが気付いたことにほっとしたからだろうか? それとも、わたしが自分の気持ちをはっきりとキッドに対して口にしたからだろうか? なんであれ、先程は怒ったフリをしたけれど、実はそれがちょっと嬉しい。
 もぐもぐとお弁当を食べながらそんなことを考えている間、探くんが真剣な表情でこちらを見ていたことに幸せ気分のわたしは気付かなかった。だから、安易に頷いてしまってのである。昼休みが終わる間際「ちゃん、ちょっと相談があるから放課後屋上に来てくれないかい? 誰にも聞かれたくない話なんだ」と言った探くんの台詞に。



 そして放課後、わたしと探くんは屋上で向かい合っていた。
「すまないね、わざわざ屋上まで来てもらって」
「ううん、気にしないで。それより相談ってなに?」
 探くんが相談なんて珍しい。よっぽどのことなのだろうか? と少し不安げに探くんを見上げると、彼はわたしの心配をよそににこっと笑った。
「好きです。僕と付き合って下さい」
 それは、典型的な愛の告白だった。
「……え?」
 一瞬、時間が止まったような気がした。わたしは探くんの顔を凝視する。戸惑ったのは探くんの気持ちを知らなかったからではない。彼がその言葉を口にしたという事実に、わたしは困惑していた。
 ひゅう、と風が吹いて髪を乱す。わたしは手櫛で髪を梳いてそのまま頭を押さえたが、吹き続ける風にその行動が無意味であることを知り手を離した。行き場のない両手をそわそわと胸の前で組む。なんと言ったものかと言葉を探して、けれども出す答えは決まっていた。
「あ、あの、」
「待って」
 口を開き、言葉を紡ごうとしたわたしを探くんが制す。
「え?」
 見上げれば、探くんは少し困ったように微笑んでいた。
「すぐに答えを出さないで」
 お願いだから、もう少し悩んで。
 その言葉を聞いた瞬間、わたしは泣き出したくなってしまった。ああ、なんていう言葉をわたしは彼に言わせてしまったのだろう。どうして告白なんてさせてしまったのだろう。もっとちゃんと気を配っていたら、このような雰囲気に持ち込ませたりしなかったのに。どうして。そんな後悔が頭を占める。
 けれど、そんなわたしの気持ちも、先程言おうとしていた答えも、なにもかも分かっているという風に探くんは不敵な笑みを浮かべた。
「僕はちゃんを、簡単に他の男にくれてやったりはしないよ。……ちゃんの恋人になるなら、僕の認めた男じゃなきゃね」
 わたしは目を瞬く。彼の言葉に、なにかが起きようとしているのを、わたしは感じていた。



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2012.12.22