エヴァレットの書
部屋から出ると、廊下を挟んだ向かい側の壁にコナンくんが腕を組んで寄り掛かっていた。
「よぉ、ちゃん」
「……コナンくん」
どこかぼんやりした頭で彼の姿を認識する。
「“おっちゃん”への用事は済んだのか?」
不敵に笑うコナンくんに、わたしは少し困って微笑みだけで返した。そのままなにも言わないでいると、コナンくんは小さく溜息を吐く。
「オメーも難儀だよなぁ」
「コナンくんほどじゃないよ」
わたしの言葉にコナンくんは眉を寄せる。どこまで知ってんだか、と彼は独り言のように呟いた。キミの方こそどこまで知っているんだか。
探くんと茂木さんが見張りをしている部屋にでも行こうと思い歩き出すと、コナンくんも両手をポケットに入れて隣に並ぶ。どうやらとことん話し込むつもりのようだ。
「今回の件、どこまで知ってたんだ?」
「わたしが最初から知ってたのは、大上祝善という男がこの館の持ち主だっていうことだけだよ」
わたしがなにかを知っていただろうことを前提とした質問に、わたしは用意していた答えを淡々と返す。今更ボロなんて出すものか。実際、今回の件は館の持ち主が大上さんだと知っていれば誰だって辿りつくことのできた答えだ。
わたしは、かつてわたしのいた世界にあった物語について口にしないと決めている。わたしの知識をもってすれば、救うことのできるひともあるいはいるだろう。けれど、わたしがすべての事件に関わることは不可能である。この真実の重さを、罪の重さを、共有してくれとわたしは泣き叫んだりはしない。手を差し伸べてくれるほど優しいひとに、縋ったりなんてしない。口を閉ざすことこそが、わたしのすべきことだと確認し直せたから。
「オレはそういうことが聞きたかったわけじゃねーんだけど。……でも、まあいい。どうせオメーは答えないだろうしな」
コナンくんは大げさに肩を竦めてみせる。これまでのやりとりでわたしのスタンスがなんとなく分かってきたのだろう。ありがたいことだ。
コナンくんもわたしもしばらく無言で廊下を歩く。目的地までだいぶ近くなったところで、コナンくんがようやく口を開いた。
「なぁ。」
「うん?」
今までの追及するような鋭い気配を消した声。
「不可侵条約結んだんだ。オメーもオレのことについては首突っ込むなよ」
それは、彼なりにたくさん考えて出した答えだったのだろう。大丈夫だというわたしの言葉を信じるという決断をして、その上で自分の身に起こっていることに巻き込まないようにと考えてくれている。まったく、こんな怪しい女相手にも優しい男だ。
「コナンくんの事情に首突っ込むほど命知らずじゃないよ」
わたしは飄々と返した。
「……。オメー、やっぱりどう考えても何か知ってるよな?」
「知らないって」
納得いかなそうな表情で、隣にいるコナンくんはわたしを見上げる。
「少なくとも、いつも何か知ってる風ではある」
子どもが拗ねるように彼は言った。
「そうかな? ……うん、そうかもね」
わたしは一度首を傾げたものの、今度は頷いた。確かに、そのようには見えるかもしれない。
「オメーは一体何者なんだ」
尋ねているくせにわたしから答えを得るのをは諦めている、そんな口調だった。うーん、と唸ってからわたしはコナンくんの方をちらりと見て彼の様子を観察する。
「……ちょっとした予知能力があるの、って言ったら信じてくれる?」
「はぁ?」
わたしの言葉にコナンくんはそう声をあげると、胡乱げな視線を向けてきた。わたしはにっこりと笑ってから視線を前に戻す。
「信じてくれないならいいや。わたしが逆の立場だったら信じないだろうし」
本当のことではない。まったくの嘘という訳でもない。わたしは彼に訪れるだろういくつかの未来を知っているけれど、それが本当に起こるのか、いつ起こるのかまでは分からない。だって、原作で起きた事件は1年で起こったにしてはあまりに多すぎる。だからきっと、この世界では知っているすべての事件が起きるわけではないのだ。いわばわたしは、並行するたくさんの世界で起こるすべての事件を知っている、という状況なのだろう。けれど今のわたしは、たくさんある世界の中のひとつに存在していて、そのひとつの世界で起こったことしか認識できない。わたしが真の意味での予知者になれないのはそれが理由だ。
わたしは後ろで手を組んで、少し大股で歩いた。
「おい」
「ん?」
手を組んだままくるりと振り返ると、隣を歩いていたはずのコナンくんは数歩後ろで立ち止まっていた。
「それじゃあ、オレはこれからどうなるんだ?」
「ふふ、信じたの?」
真剣な表情で問うコナンくんに、わたしはわざとからかうように返す。わたしのこの答えを完全に信じてもらっては困るのだ。少し疑ってくれるくらいがちょうどいい。
彼はきゅっと眉を寄せてわたしを見た。
「結構真面目に聞いてるんだぜ?」
「あはは、そっか。ごめんごめん。うーん……これは予知っていうか予想だけど、」
わたしはもったいぶるように一度言葉を切ってから続けた。
「コナンくんが抱えている一番大きな悩みは、進級する前に解決するんじゃないかなぁ……」
なんといったってコナンくんは正統派主人公だし。原作では1年間の出来事しか書かれていないことを考えると、黒の組織の問題も1年の間に解決するのだろう。
コナンくんは、話にならない、というように溜息を吐いた。
「……インチキ占い師みたいな答えだな」
「容赦ないね、コナンくん」
コナンくんの鋭い指摘に、わたしは苦笑するしかなかった。
そういや、とコナンくんは話を変えた。
「オメーがいなくなった後、入れ替わるようにして別の女の子が転校してきたんだぜ」
「…………へぇ」
灰原哀か。わたしはすぐに思い当たった。わたしという怪しい人物がいなくなったと思った途端また新しく怪しい転校生がやってきてコナンくんは大変だな、と他人事のように考える。
「何も聞かないのか?」
「なにを聞くの?」
純粋に不思議だという様子で聞いてきたコナンくんに、わたしも首を傾げる。
「名前とか、見た目とか」
「え、べつに……」
というか、知ってるしねぇ。そんな風に思ったところで、ああ、とコナンくんの考えに気が付いた。そうか、きっと彼はわたしと哀ちゃんが知り合いかもしれないと、あるいは何らかの関わりがあるかもしれないと考えていたのだ。コナンくんはすでに、哀ちゃんの事情を本人から聞いているだろう。哀ちゃんとわたしにもしも関わりがあれば、わたしも黒の組織の関係者だという可能性がある。そう思って、わたしがいなくなった後に現れた転校生の話なんて始めたのだ。
「そうか……」
本当に興味がないというようなわたしの態度にばつが悪くなったらしい、コナンくんは少し居心地悪そうに頭を掻いてから口を開いた。
「……あいつら、今でこそ転校生と仲良くなってはしゃいでるが、オメーが何も言わず転校した時の落ち込みようっていったらなかったぞ。歩美ちゃんなんか泣いてたしな」
「あー……悪いことしちゃったなぁ」
あいつら、というのは少年探偵団のみんなのことだろう。わたしは溜息を吐いた。
「もっとどうにかならなかったのかよ」
「うーん……突然のことだったし……」
どうにかと言われても。元の姿に戻ろう、と決めたのはわりと直前のことであったし、前々から決めていたとしてもキッドがわたしを好きでいてくれるという確証がなかった以上、少年探偵団のみんなと別れを惜しむような時間は取れなかったと思う。
「今度手紙でも出してやれよ」
「うん……そうだね、そうする」
コナンくんのアドバイスに、わたしは素直に頷いた。
夜が明けて、ワトソンは無事に手紙を探くんの婆やの元まで届けた。そしてコナンくんもまた、宝の在処を示す暗号を解いた。館に唯一あった食堂の時計が謎を解くカギだった。コナンくんが暗号を解き終えた今、時計の塗装は剥げ、その下から純金が覗いている。こんなもののために父親は死に、自分は罪を犯そうとしていたのかと千間さんは項垂れたが、わたしは宝がそれだけではないことを知っていた。
警察のヘリコプターが到着したらしく、外から轟音がする。けれど、その音はヘリコプターの音だけではない。もうひとつ地を揺らすような音がヘリの音に混じって館内に響いていた。屋敷の外壁の塗装が崩れ落ちる音。そして、その塗装の下から黄金が現れる音。ヘリコプターに乗り込み、その黄金に輝く館を背にしたとき、わたしたちは真の財宝と“黄昏の館”の意味を知るのだ。
黄昏。それは空が金色に輝く夕暮れ時。黄昏の館は、まさに黄金の館だった。