「で? ここからの脱出方法はどうなってんだ?」
 千間さんの話が終わり、最初に口を開いたのは茂木さんだった。
「そんな物最初からありはしないよ。私はここで果てるつもりだったのだから。大上さんは、食事の後でこっそり教えるという私の言葉を信じてたようだけどね」
「フン、んなことだろーと思ったぜ。……さて、それならどうやってここから脱出するか」
 千間さんの答えに、茂木さんは肩をすくめる。端から期待はしていなかったようだ。
 わたしと探くんは顔を見合わせた。探くんが頷く。
「それなら僕が夜明けと共にワトソンに手紙を持たせて、崖下で待機している婆やと連絡を取りますよ」
 えっ、と驚いたようにみんなが探くんの方を見た。
「なんだ、それで鷹なんか連れてきてやがったのか」
 小五郎さんが少し呆れたように言う。これはキッドとしての意見かな。
「鷹は鳩と違って帰巣本能に乏しいので不安はありますが……」
 探くんは僅かに苦笑しながら言った。これ、もしかして小五郎さんの正体がキッドだって分かって言ってたりするんだろうか。
 そんなことを考えつつも、わたしはにっこりと笑ってみせた。
「大丈夫だよ。探くんが教育した鷹だもん」
ちゃん……!」
 ぱっと顔を輝かせた探くんの横で、ほんの少しだけ顔を顰めたキッド扮する小五郎さんがなんだかかわいかった。



エヴァレットの書




 探くんのワトソンが手紙を婆やに届けるのは夜が明けてからだ。それまでは男性陣が交代で大上さんの見張りをしつつ、それ以外の者は自由時間となった。男性は3人しかいないので、2人が見張りをし、1人が休憩時間をとれることになっている。1セット1時間。つまり、ひとりあたり2時間見張りをして1時間休憩をするというローテーションだ。大上さんの手足はしっかりとネクタイで縛ってあるのでそうそう問題は起こらないだろう。見張りを付けているのは念のためだ。
 小五郎さんの休憩時間になり、わたしはこっそりと彼の部屋に向かった。コンコン、と部屋の扉をノックし、名前を名乗る。暫くすると中から小五郎さん――何度も言うが彼はキッドである――が出てきた。
「お疲れ様です、毛利さん」
さん?」
 一瞬、小五郎さんが息を飲んだのが分かった。そんな彼の様子になど気付かなかったふりをして、わたし首を傾げてみせる。
「今、お時間いいですか? 相談があるんです」



 小五郎さんはわたしを部屋に招き入れると椅子に掛けるように勧めてくれた。小さなテーブルを挟んでもうひとつ椅子があるけれど、彼は座らずに少し離れた窓辺に立つ。
「それで、相談とは?」
 後ろで手を組んだ小五郎さんは真剣な表情でわたしに尋ねてきた。
「あ、依頼とかではないんです」
 わたしは苦笑した。
 小五郎さんがきょとんとした顔をする。そうだよね、普通“毛利小五郎”に相談っていったら探偵としての依頼だよね。けれど、わたしは彼が本物の毛利小五郎でないことを知っているから。……いや、たとえ彼が本物の毛利小五郎であっても探偵としての依頼はしないけど。
 そういえば、いつかの豪華客船でもわたしは蘭ちゃんが本物の蘭ちゃんではないことを知っていながら話しかけたなぁ。あのときはまだ自分の恋心にも気付いていなかったのだと思うと、今の状況は感慨深いものがある。
 そんなことを思いながらわたしは切り出した。
「……毛利さん。好きな人がふたりいるって、おかしなことだと思いますか?」
「へっ?」
 まさか恋バナだとは思わなかったのだろう、わたしの質問に小五郎さんは素っ頓狂な声をあげた。
 わたしは言葉を続ける。
「毛利さんは同時にふたりの女性を好きになったことってあります?」
 ぱちぱち、と彼は瞬きをした。そして困惑したようにわたしを見つめる。あー……と間抜けな声を出してから、彼は言った。
「そういうのは、その……同世代の男に聞いた方がいいんじゃないか? ほら、白馬とかいうのと一緒に来たんだろ?」
 わたしは首を横に振った。
「彼はだめですよ。わたしの好きな人、彼とあんまり仲良くないんですもん」
 しかも、探くんは(たぶん)わたしのことが好きなんだろうし。自分のことを好きな男の子に恋の相談をするほどわたしは鬼じゃない。それに、この相談は小五郎さんに扮するキッドにしてこそ意味があるものだ。
 小五郎さんは己の頭を掻いた。
「えーと……なんだ、……さんは好きな男がふたりいるわけなのか」
 わたしの答えに、小五郎さんは諦めて相談に乗ってくれることにしたらしい。しかし小五郎さんは先程わたしの質問には答えず、逆にそう問いかけてきた。まあキッドが勝手に小五郎さんの恋愛事情について答えるわけにもいかないだろうから、妥当な返しといえよう。
 想定通りの流れにわたしはにっこりと微笑む。そして言った。
「……ひとりは同じ学校の手品が得意な男の子で、もうひとりは世間を騒がせている怪盗なんです」
 ぶっ、と小五郎さんが吹いた。いくらなんでも分かりやすすぎだろうその反応。思ったが口には出さず、彼の行動を観察する。
「な、なんだぁ? おまえも怪盗キッドに憧れてるタチなのか」
 気を取り直すように小五郎さんは片眉を上げながらそう尋ねたが、彼からは動揺が覗えた。それもそうだろう。学校の手品が得意な男の子も、世間を騒がせている怪盗も自分のことだ。
 けれどわたしは彼の動揺にもなににも気付かないふりをして口を開いた。
「わたしは憧れと愛を混同したりしませんよ。……芯の通ったまっすぐなところも、さり気ない優しさも、すらっとした身のこなしも、ある探偵が絡むとちょっとマヌケになってしまうところも……全部、好きなんです」
 少しだけ笑ってわたしは言う。カッコイイところもカッコ悪いとことも全部好き。遠回しに見せて直球の、本人に対する愛の告白。どうやったら、この想いが全て彼に伝わるのだろう? ……良い方法なんて思いつかない。言葉では尽くせない。けれど他に方法なんて見つからないから、わたしはこうして全部口に出して少しずつ伝えていく。愛の言葉が、雪のように解けることなく彼の心に降り積もればいいのに。
「まるでキッドと深い関わりがあるみたいな言い草じゃねぇか」
「さぁ? あなたがそうだと思うのならそうなのかもね」
 探偵の顔をして難しい表情を浮かべる小五郎さんに、わたしはあえて敬語を使わずに返した。いつも“彼”と話しているときのように。
 小五郎さんはわたしの真意を探ろうとするかのようにこちらを見つめた。
 けれどわたしは決定的に彼を追いつめるような言葉を口にする気はなかった。ねぇキッド、と呼びかけたり、快斗なんでしょ? と聞いたりはしない。……いつか、本人の口から言ってもらえるほどの信頼関係を築けたらいいなとは思うけれど。
 小五郎さんの返事は待たず、わたしはひとりで言葉を続けた。
「でも最近、彼に避けられているような気がして。わたしのこと、嫌いになったんでしょうか……」
 落ち込んだ声色で、しかし彼から視線は外さない。少しくらい動揺してくれるかな。そんな期待をしていた。
 けれど、彼は思いの外固い声で告げた。
「結構な話じゃねーか。犯罪者好きになるのは物語の中だけにしとけ」
 そう言う小五郎さんには、表情がなかった。
 えっ、と小さく息を飲む。自分で自分のことを犯罪者だと言ってわたしを遠ざけて、彼は今、どんなことを考えているのだろう? これっぽっちもわたしに気持ちがないなんて言わせるつもりはない。だって彼はわたしに掛かった呪いを解いた張本人なのだから。……だけど。
「それが、あなたの答えなの?」
「…………」
 困惑しながら問いかける。
 もう会いにこないと。それが怪盗キッドとしてに出す答えなのか。
 キッドは、わたしが小五郎さんをキッドだと見破って(正確には“知っていた”のだけど)尋ねていることくらい理解しているだろう。それと同時に、わたしがキッドの正体が快斗だと気付いていることも先程の“相談”で察したはずだ。
 わたしの問いかけに、彼はすぐには答えなかった。じっとわたしを見つめ返して、どれくらいの時間が過ぎただろう。小さく息を吐いて、彼はようやく口を開いた。

「……その方が、貴女は幸せになれるでしょう」

 静かな、感情を押し殺したような、キッドの声だった。毛利小五郎ではなく、キッドの。
 自分でもよく分からない感情がこみ上げて、ぐっと息が詰まる。
「……勝手なことを言わないで。わたしの幸せはわたしが決める」
 毅然と言い切りたかった。けれど、わたしの覚悟なんかより、彼の覚悟の方がよっぽど強いことがその瞳から窺い知れて、声が震えた。
 キッドはわたしの椅子の目の前まで歩いてきて腰を折り、わたしに視線を合わせる。彼の右手はわたしの頬へと伸ばされ、親指が目じりをそっと撫でた。
 思わず瞬きをする。薄い膜の張っていたわたしの目からはぽろりと涙が零れた。
「私はあなたを泣かせてばっかりだ」
 困ったようにキッドが言う。
 わたしはぎゅっと目を瞑って首を横に振った。
「だったらわたしを笑わせてよ」
「……貴女を笑わせるのは、私じゃありません」
 目の前で眉尻を下げているのは小五郎さんで。けれど声はキッドで。そのおかしな状況と彼の紡ぐ言葉に訳が分からなくなる。
「先程、もうひとり好きなひとがいると言っていたでしょう。……彼に、幸せにしてもらいなさい」
 それだって、あなたじゃないの。言いかけて飲み込んだ。彼がなぜわたしを突き放すのか分からないほど幼くはなかった。
「でも……でも、」
 わたしは快斗のこともキッドのことも幸せにしたいのに。ふたりが同一人物だということくらい知っている。けれど、快斗を選んだらキッドを否定することになるような気がして、わたしには決断できなかった。
 バサリ、と音がする。はっと瞬きをすると、視界を白色が埋め尽くした後、目の前では“キッド”が微笑んでいた。こつん、とキッドはわたしと額を合わせる。
「そんなに心配しなくても、貴女の気持ちはきちんと伝わっています。自分を慕ってくれる女性の気持ちに気付けないほど、“私”は鈍くないですよ?」
「……でもっ」
 感情がうまく言葉にならない。ただ胸が苦しくて、わたしは縋る様にキッドの白いスーツを掴んだ。
「大丈夫です。あなたが“彼”と幸せになってくだされば、私も幸せですから」
 だから、躊躇わずに“彼”を選んでください。
 キッドの青い瞳が目の前でゆるやかに細まる。小さな子どもを宥めるような、穏やかな瞳だった。
 ……ああ、わたしはもう小さい姿ではないというのに。
 わたしは自分の両手を恐る恐るキッドの首の後ろに回し、拒絶されないことを確認してから、ぎゅっと抱きついた。甘えるように、彼の肩口に額を押し付ける。
「ねぇキッド」
「はい」
 キッドはわたしの気持ちを知っていると言った。でもきっと、わたしの彼に対する想いは、彼の認識しているものよりもずっとずっと重い。
「好き。……好きだよ」
 その差を埋められるようにと思いを込めて言葉を紡ぐ。
「ええ。私も貴女を愛していますよ……」
 けれど、その愛情の大きさを思い知らされたのは、どちらかというとわたしの方だった。



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2012.12.18