「ところでと白馬君ってどういう関係なの?」
 白状しちゃいなよーと青子が含み笑いをしながら肘でこちらを突いてくる。どういうもなにも……。
「ああ、彼女は僕のフィ」
「幼馴染だよ」
 不穏な言葉を放とうとした探くんを遮って、わたしは笑顔で告げた。なに勝手なこと言おうとしてるの。
「フィアン」
「幼馴染」
 なおも続けようとした探くんに、わたしもにこにこと表情を保ったまま対抗する。ほんと困るんだってこういうの。ましてや今は“彼”の前。おかしな誤解をされたら困る。本当に困る。
「…………」
「…………」
「フッ……彼女は恥ずかしがりやでね」
 お互い笑顔のまま暫し無言でにらめっこをした結果、探くんがよく分からない折れ方をした。……なんかもういいや……。
「ごめん、探くんの言ってることは気にしなくていいから」
「う、うん……」
 ややげっそりとしながらそう言うと、青子は分かっているのか分かっていないのか曖昧な様子で頷いた。



エヴァレットの書




 その日の帰り、わたしは白馬くんたちのいるクラスに行くべきかどうか散々迷って、結局行かずにひとりで帰ることにした。それはそんなにことを急ぐ必要はないだろうと判断したからでもあったし、青子がわたしと白馬くんの関係を妙に勘繰っているからでもあった。帰りも白馬くんに会いに行ったら(本当は黒羽くんと会いたいから行くんだけど)また囃し立てられるに違いない。今日は転校1日目だし、黒羽くんに挨拶できただけでも上出来だろう。
 そんなことを考えながら家路についていたわたしだったが、意外にも、彼と話すチャンスは相手の方からもたらされることとなった。
「よっ、ちゃん!」
 聞き覚えのある声にはっと振り返る。そこに立っていたのは片手をあげてこちらに挨拶をする黒羽くんだった。
「黒羽くん?」
「快斗でいいよ」
 人好きのする笑みで彼はにっこりと笑う。
「あ、じゃあわたしのこともで」
 だからわたしも自然に微笑んでそう返した。
「りょーかい」
 言いながら快斗はわたしの隣に並んで歩きだす。わたしは首を傾げた。
「快斗も家がこっちの方なの?」
 そういえばわたしは彼の家がどこにあるのか知らない。
「ん? まーな」
 その曖昧な頷きは肯定のようにも思えるが、はっきりとしたことを言わないということは実のところ誤魔化しただけなのだろう。
 けれどわたしはそれに気付かないふりをした。だって、そうまでして快斗がわたしに会いに来てくれたことが嬉しかったから。
 快斗がこうしてわたしと話すための時間を設けてくれたことはわたしにとっては奇跡のようなことで、とても幸せなことだと思う。それはわたしが快斗を好きになって、彼も僅かなりともわたしを想ってくれたからこそ達成されうる現実だからだ。快斗がわたしに想いを向けてくれなければ、わたしは高校生に戻ることすら叶わなかったことだろう。
 ちらり、となにとなしに快斗に視線を向けると思い切り目があった。どうやら彼は彼でこちらを見ていたらしい。え、とお互い一瞬固まって、それからはっとして同時に視線をそらす。
(うわあ……なんかこの距離感緊張する……)
 自分の顔が赤くなっているという自覚がありながらも、快斗の様子が気になってわたしはもう一度彼を盗み見た。彼は顔を背けたままだったが、学ランから僅かに見える首筋が赤く染まっているのが見える。それがくすぐったいような嬉しいような、不思議と満足した気持ちになってわたしは視線を前に戻した。
 ほんの少しの間沈黙が流れたが、ゴホン、と快斗が咳払いをしたことによってその沈黙は打ち切られる。彼は僅かに躊躇いを見せてから口を開いた。
は、白馬と付き合ってんのか?」
「まさか!」
 わたしはぎょっとして目を見開き、快斗の方に顔を向けて即座に否定した。
「でも昼間、青子に聞かれたとき白馬のやつフィアンセがどーたらこーたら言ってたじゃねぇか」
 興味のないふりをしていたけどやっぱり聞いていたのね。だからこのテの話は嫌だったんだよ、と思いつつ、快斗がきちんとこの件について聞いてくれてほっとする。わたしの知らないところでひとりで悩んで最悪な結果を出される、という展開は免れたから。
「あれは本当に探くんが勝手に言ってるだけなんだって。……そういう快斗こそ青子と付き合ってるの?」
「はぁ? それこそまさかだろ」
 快斗と青子が付き合っていないことは知識として知ってはいたが、即答されて少し驚いた。訝しげな表情さえ見せている彼だが、もう少し慌てふためいて否定するのだろうと思っていた。
「……」
「……」
 わたしたちはお互いに相手の真意を探る様に顔を見合わせた。けれど、すぐにそれが意味のないことであることに気付く。どうして相手が自分の恋人の有無を気にするのか分からないほど、わたしも快斗も鈍感ではなかったからだ。
「なんか……うん」
「お、おう」
 意味もなく声を発するが、その声には嬉しさや恥ずかしさ、気まずさなどたくさんの感情が混じり合っていることを互いに感じ取っていた。
 やがてわたしたちは同時にふっと笑みをこぼす。それが終了の合図だった。
「……そういえば、快斗はマジックが得意なんだってね」
 先程までの気恥ずかしい雰囲気を打ち消すようにわたしは切り出す。
 快斗は頷いた。
「まぁな。……見たいか?」
「! うん! いいの!?」
 このときの私の表情は、最高に輝いていたと思う。そんなわたしを見て、快斗も笑って答えた。
「もちろん。もう少し歩くと公園があったよな。そこで見せてやるよ」



 家の近所にある公園のベンチ。わたしはそこに座って、目の前に立っている快斗を眺めていた。
「Ladies and Gentlemen! ……と格好よく決めたいところですが、本日はお嬢様のためだけのショーにこざいます」
 そう言うと、快斗は己の胸に手をあてて恭しく一礼した。こういう姿を見ていると、やっぱり“彼”と同一人物なんだなぁと感じる。
 観客は自分しかいないのだからせめて、と一生懸命手を叩くと、快斗はこちらにウィンクを投げかけてきた。きちんと彼のマジックショーを見せてもらうのは初めてだったので、わたしは期待に胸を膨らませて彼を見上げる。
 ではまず手始めに、と快斗は切り出すと、鞄から学生鞄からトランプを取り出した。青と緑が混ざったような色合いのシンプルな無地のトランプだった。
「トランプはいつも持ち歩いてるの?」
「まぁな。ほら、種や仕掛けがないか確認しろよ」
 尋ねると快斗は頷いてわたしにカードの山を渡してくる。
 わたしは指先でカードをずらしながらしっかりとおかしなところがないか確認した。裏も表も見たけれど、特に気になる点はない。
「はい、返すね」
「もういいのか?」
「うん」
 こうしてカードを確認させたということは、きっとカード自体に仕掛けがあるわけではないのだろう。
 快斗はトランプを裏返して扇状に広げると、わたしに1枚選ぶように言った。快斗に見えないようにカードを引き抜いて、マークと番号を記憶する。ハートのクイーンのカードだ。好きな場所に戻すようにと言われたので、わたしはその通りにした。
 快斗はトランプを切る。ある程度切ると、彼はその山を再びわたしに差し出して、今度はわたしに切らせた。わたしは容赦なくカードを切る。……わたしが引いたカードを当てるマジックなんだろうけど、こんなに切って本当に大丈夫? 彼のことだからきっと大丈夫だとは思うのだけど……。結局満足いくまでカードを切ってから、わたしは快斗にトランプを返した。
 快斗がトランプを表に向けて私が選んだカードを探し始める。
「あなたが引いたカードはこれですか?」
 暫くして快斗か差し出してきたのはクラブの8のカード。
「え、違う……」
 わたしは困惑して答えた。え、やっぱりカード切りすぎた!? 内心焦っている私に対して、快斗は落ち着いた様子のまま首を傾げた。
「あれ? っかしーなー」
 そしてその間違えたクラブの8のカードをトランプの山の一番上に乗せる。
「それじゃあ、こっちかな」
 快斗はそう呟くと、パチン、とカードを持っていない方の指を鳴らした。
(…………?)
 首を傾げたわたしに、快斗がにこっと笑う。そしてもう一度、快斗は1番上に乗せていたカードをめくり直した。……瞬間、わたしは思わず身を乗り出した。
「えっ……!?」
 快斗が差し出してきたのは紛れもなくハートのクイーンのカードだった。
「え、ちょ、ちょっと待って! 今のどうやったの!?」
 彼はクラブの8のカードを山の1番上に乗せてからは一度もトランプを切ったりしなかったはずだ。それなのに、いつの間にか1番上に乗っていたカードは私が引いたハートのクイーンに変化していたのである。どうやら、最初に選んだカードを間違えてみせたのもショーの一部だったようだ。
「ふっふっふー。それは企業秘密でーす」
 本気で驚いているわたしに、快斗がハートのクイーンのカードをひらひらさせながらにんまりと笑った。
 すごい。思っていた以上に本格的なマジックだ。
「それでは、次はこれを使います」
 わたしが感心している間にトランプは姿を消していて、代わりに黒いシルクハットが快斗の手の中にあった。
「ええっ、そのシルクハットどこから出したの!?」
 彼の荷物を見る限り、こんな大きさのものを収納できるようなスペースはないはずだ。わたしはさっきから驚きっぱなしである。
「魔術師に不可能はないんですよ、お嬢さん」
 チ、チ、チ、と快斗は人差し指を振った。
 なんだかよく分からないけどちょっぴり悔しい。ぐぬぬ、と内心唸っていると、快斗はこちら側にシルクハットの中を見せてくる。
「中には何もありませんね?」
「……うん」
 わたしは極限までシルクハットに顔を近づけて中を見つめた。そんなわたしを見て、快斗がくすくすと笑う。
「なんなら手に持ってみてもいいぜ?」
「…………」
 お言葉に甘えて、わたしはシルクハットを受け取った。あらゆる方向から眺めて、どこかに仕掛けがないかと探す。けれど結局仕掛けなんて見つけることはできなくて、わたしは無言のまま快斗にシルクハットを返した。
 快斗は楽しげな表情でそれを受け取る。そして、トン、とシルクハットの鍔の部分を指先で叩いた。
「それではお嬢さん、このシルクハットにご注目ください」
 わたしはじっと目を凝らしてシルクハットを見つめた。もうこうなったら素直に楽しもう。
「ワン、ツー、」
 トン、トン、と掛け声に合わせて快斗の指先がリズムを刻む。わたしは思わず息を止めて次の瞬間を待った。
「スリー」

――バサバサバサッ

「うわぁっ……鳩!」
 シルクハットから飛び出してきたのは真っ白な鳩だった。鳩は小さな公園内を一周だけ飛んで、腕を伸ばした快斗の手の先にとまる。よく訓練された鳩だなぁと感心してから、わたしは、ん? と首を傾げた。これ、キッドの白い鳩だよね? ここで出しちゃっていいの?
 チラリと快斗を見遣ると、彼はなにを気にした風でもなくただ微笑んでいた。……彼は、この鳩を見てわたしがキッドと快斗を結びつけるかもしれないと心配しなかったのだろうか。彼の表情からはそんな感情なんて読み取れない。その考えに思い至らなかった? それともわざと? あるいは……。
(無意識……?)
 心のどこかで、気付いてほしいと思ってるの?快斗が打ち明けようが打ち明けまいが、わたしは彼が怪盗キッドであることを知っているのだけど……。
「今日はあんまり道具を持ってきてないから、次で最後な」
「あ、うん」
ぐるぐると考え込んでいる中快斗に声を掛けられてはっとした。今は彼との時間を楽しんで、この件について考えるのは後にしよう。
「また今度ちゃんとしたやつ見せてやるよ」
「ほんと!? ありがとう!」
 わたしは笑顔でお礼を言った。快斗のマジックショーは純粋に楽しかったので、是非また見たいと思った。
「今度は私の手をご覧ください。……ああ、触ってもらっても結構ですよ」
「……!」
 両手のひらを差し出して、おどけたように快斗が言う。先程わたしがシルクハットを必死に見ていたことをからかっているのだろう。
 思わず赤くなるが、それでもわたしはおそるおそる差し出された手に触れた。彼の手に直に触れるのは初めてだった。“彼”はいつも手袋をつけていたから。
 わたしが触れた瞬間快斗もそれに思い至ったのだろう。一瞬、彼の身体が強張った。
 そうよ、わたしばっかり意識させられるなんてずるい。あなたも少し意識すればいい。
「…………」
 一度反応は見せたものの、快斗は何も言わなかった。ただわたしに手を差し出して、されるがままにしている。キッドの手はもう少し繊細な印象だったけれど、実際に触れる彼の手は思ったよりもしっかりとしていた。
(爪の形きれいだなぁ……あ、ペンだこ)
 つつ、と中指にできている小さなたこをなぞる。無意識だった。びくっ、と快斗が肩を揺らしたところでわたしははっとする。
「あ、ごめん」
「い、いや……」
 途端に恥ずかしくなって、わたしはぱっと両手を離した。
「……もういいのか?」
「う、うん……」
 少しだけ顔を赤くして、けれどもどこか物足りなさそうに問われて、わたしはどきどきしてしまう。

 照れくさそうに、快斗は私の名前を呼んだ。
「うん?」
「見てて」
 快斗はわたしをじっと見つめながら、右手のひらを上に向け、そして握りしめた。
「ワン、ツー、スリー」
 本日2回目の呪文。ぽん、と目の前に現れたのは赤い薔薇だった。
「わぁ!」
 初めて見るものではないし、特別凝った手品でもない。けれど、わたしはこの手品が好きだった。

――だって、

 すっ、と快斗はその薔薇をわたしに差し出す。
「やるよ」
 にっ、と彼は笑った。
 そんななんでもない表情に胸がいっぱいになった。

――だって、この手品の薔薇は目の前にいるわたしに捧げられるものだって知っているから。

 黒羽快斗である彼と、こんな日を迎えられることをどれほど夢に描いただろう。
「あ、ありがとう! 大切にする!!」
 わたしは薔薇を受け取り、両手で胸の前で抱きしめるように握った。
「大切って……生花だけどな」
 照れ隠しなのか、快斗が苦笑する。
 けれどもわたしはにっこりと笑った。
「ドライフラワーにするの!」
「そ、そっか」
 本当に本当に嬉しくて、それでいて照れくさくて。湧き上がる気持ちに頬が赤く染まっている自覚はあるけれど、快斗ならきっと、夕日のせいにしておいてくれるだろう。



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2012.12.14