「……お名前を、伺ってもよろしいですか」
その一言で、わたしは一度も彼に名乗ったことがなかったことに気付いた。キッドのことだから、事前に調べてはいそうだけど。
「」
それでも一応きちんと答えれば、キッドは微笑む。
「私は、本名を名乗れません。けれどどうか、私にあなたの名前を呼ぶことをお許し下さい……」
そう言うと、彼はわたしの手をとって、そっと手の平に口付けた。
エヴァレットの書
突然、ドアを叩く音が部屋から聞こえてきた。コンコン、なんていう控えめな音ではなく、バンバン、荒々しい音。見つめあっていたわたしとキッドは、ぎょっとして音のする方を見た。
「ちゃん! 起きてますか!?」
「は、白馬くん!?」
ドア越しに聞こえてきた声は、白馬くんのものだった。まさか、ここにキッドがいることがバレたのだろうか。
「何か、あったの?」
なるべく平静を装って、ドアの向こうの彼に尋ねる。白馬くんは簡潔に、キッドにムーンストーンが盗まれたことを伝えてくれた。
「家族でも警察でも構いません。さんが部屋に入ってから、さんに会いに来た人はいませんか?」
「い、いないけど」
隣にいるキッドを見てぎくりとしながらも、なんとか答える。そうですか、と白馬くんは引き下がった。小さく安堵の息を吐く。
しかし、彼の質問は終わっていなかった。
「最後にもうひとつだけ、質問していいですか」
「なあに?」
引き下がったかと思ったのだが、想像以上にしつこい。しかし、拒否できる理由もないので、受け入れざるを得なかった。
「あなたは、誰です?」
「はっ?」
一瞬、質問の意味が分からなかった。彼は一体何を聞いたのだ?
「あなたの声はちゃんによく似ていますが、微妙な違いがあります」
「あー……」
彼の言いたいことが、ようやく分かった。でも、彼の知るわたしの声と今のわたしの声とに若干の違いがあるのは仕方ないだろう。だって、身体の大きさが違うんだから。わたしに声帯模写の技術なんてない。小さい頃との声の違いなんて知るもんか。……しかしこれは少しまずい展開だな。
逃げて。わたしは小さな声でキッドに言った。このままいけば、白馬くんはこの部屋に乗り込んでくる。キッドは一瞬躊躇う様子だったが「わたしは大丈夫だから」と肩を軽く押してやると、少し困った表情をしてからハングライダーを開いた。
「また、会いに来ます」
「……うん」
額に口付けを落とされる。赤くなって額を押さえたわたしを見て、キッドは笑った。
「それでは、また」
キッドがそう言って飛び立つと同時に、ばんっと部屋の扉が開けられた。曖昧な返事をしたまま放っておいたせいか、白馬くんが乗り込んでくるのは思いの外早かった。
「逃がしませんよ! 怪盗キッ……ド?」
白馬くんの台詞の語尾がおかしくなったのは、テラスに佇むわたしと、飛び立つキッドの両方を目にしたからだろう。状況が飲み込めなかったらしい。まあ、無理もない。彼は、キッドがわたしの声を真似しているのだろうと考えていたはずだから。
白馬くんはしばし唖然と立ち尽くした後、急にはっとしたようにわたしに近づいてきた。そして、がしっとわたしの手首を掴む。
「いたっ」
「捕まえましたよ、怪盗キッド」
白馬くんはわたしの小さな悲鳴を気にした様子はなかった。思わずわたしは眉を寄せる。
「わたし、キッドじゃないんだけど」
「じゃあ、誰です?」
苛立ちをそのままぶつければ、白馬くんは面白そうに返してきた。わたしをキッドと信じて疑わない様子である。
「」
「へ?」
白馬くんは素っ頓狂な声を出した。
「だから! わたしがなんだってば! キッドだと思うなら、ほっぺた引っ張ってみればいいでしょ!」
わたしは叫んだ。白馬くんはそんなわたしの様子に怯んだようである。キッドがとる行動にしては、幼過ぎると感じたようだ。
わたしは捕まれていた自分の手を思いきり引く。案外、簡単に拘束は外れた。
白馬くんはしばらく困惑していたようだったが、やがて覚悟したのか、恐る恐ると言った感じにわたしの顔に手を伸ばしてきた。みょん、とほっぺたを引っ張られる。が、当然顔が取れるはずなかった。
「…………僕たちの、関係は?」
「幼馴染み。記憶ないけど」
白馬くんの質問に、わたしはすぐさま答えを言った。しかし、それだけではまだ納得できないのか、白馬くんは質問を続ける。
「……以前の住まいは?」
「異世界」
それは、決定打だった。
「……まさか、本物に本物のちゃん?」
「そう言ってるじゃん」
「だって、小さくない」
「こっちが本当の大きさ」
わたしは自分自身を指差して言った。
白馬くんは驚きに目を瞬かせる。
こりゃ今夜は長くなりそうだ、とわたしは溜息を吐いた。