「あら。何かしら? これ」
小学1年生がストレートティーを飲みながら新聞を読む。他人が見たら妙な顔をするであろう行動を取りながら、わたしは声をあげた母の方を見た。
「どうしたの?」
「ほら、見てちょうだい」
母が手に持ったままわたしに見せてきたのは、差出人不明の白い封筒。怪しいから慎重に扱った方がいいんじゃない? そんな言葉をわたしが口にする前に、郵便物のチェックをしていた母はためらう様子もなくその封を切った。
「まあ」
母が短く声をあげる。何事だろう、とわたしは母の手元を覗き込んだ。次の瞬間、わたしはブフーッ! と飲んでいた紅茶を新聞に吹き出した。
“天馬の駈ける刻、満ちた月の雫を頂きに参上します。怪盗キッド”
エヴァレットの書
月の雫(ムーン・ドロップ)。そんな名前の石が、確かにうちには存在した。
「とりあえず、狙われているのはその月の雫とやらで間違いなさそうですな」
「でもあれは、そんな高価なものでは無いはずなんですけどねぇ」
のんびりと、中森警部の言葉にそう返したのはわたしの父だ。
月の雫は、なだらかな曲線で涙型にカットされた、青く透き通ったムーンストーン。ムーンストーンの中でも、アデュラリアンムーンストーンと呼ばれるそれなりに希少価値のあるものだったが、ダイヤモンドなどの価格と比べれば遠く及ばない。大きさはちょうど、小学生であるわたしの手の平に乗るくらいだった。
「なんでまた、キッドはこんな程度のものを欲しがるのでしょうか」
「なーに! やつは気紛れなんですよ」
父の疑問に、中森警部が熱っぽく答える。
キッドの真の思惑に気付いていたわたしは、心の中でこっそりため息を吐いた。
(ちょっと、オーバーじゃないかなぁ……)
これは、キッドの演出だ。正式に、わたしに会いにくるという、予告。
手の中で月の雫を弄びながら、わたしは父と中森警部の会話に耳を傾ける。
「それで、その月の雫とやらは今何処に?」
「これです」
父は、あらかじめ用意していた10センチ四方のケースを中森警部に差出した。そして、ためらうことなく、その蓋を開ける。
「ほう、これが……」
警部の感嘆したような声に、穏やかに微笑む父。父も、なかなか人が悪い。本物は、わたしの手の中で弄ばれているというのに、それを微塵も感じさせない。父のことは、優しく猪突猛進なだけだと思っていたのだが、これは見解を改めなければならないようだ。
父が今、中森警部に見せているのは、ガラス製の精巧なイミテーションだった。別に、父は警察を信用していないわけではない。わたしの方が、そうするように父に頼んだのだ。これはわたしの物なんだから、好きにさせてほしいと。
「もともとこれは、娘の5つの誕生日に贈ったものだったんですよ」
災厄から身を守ってもらえるように、と。父が、語る。ムーンストーンには、災厄から身を守り、心に安定をもたらす効果があるといわれているのだ。皮肉にも、わたしはその石に守られることはなく、次元移動装置とやらで別世界に行ってしまったのだけど。
「へえ、そうですか」
5つの娘に宝石なんかやるのか、と中森警部はやや呆れ顔。
わたしは本物の月の雫を弄ぶのをやめ、スカートのポケットに突っ込んだ。そろそろ会話を聞くのも飽きた。自室にでも引き上げよう。そう思って立ち上がった、そのときだった。
「ご安心下さい、さん」
突如聞こえてきた声に、みな一斉にそちらの方を向いた。いつの間にか、応接間の入り口に人が立っていた。
「……探君」
その人物が誰だかいち早く気付いたらしい。父の呟きに、ご無沙汰しております、と彼は頭を下げる。
「月の雫は、この僕、白馬探が必ずお守りします」
(ええっ!? 白馬君、お父さんと知り合いなの!?)
エンカウント率高くないか? わたし。そんなことを考えながらも、父の様子を伺う。いったいどんな関係なんだ。
「……それは、頼もしい」
口で言いつつも、父はどこか落ち着かなそうにしている。曖昧な笑みを浮かべ、肩を強ばらせていた。
なんだろう? と首を傾げていると、父と目が合った。しきりに、わたしのことを気にしている。なんとなく、早くこの場所から去れと言われているように感じた。しかし、時すでに遅く。その父の視線に気付いたように、白馬君もわたしに視線を移した。そして。
「!? 、ちゃん……?」
「へ?」
目を見開き、心底驚いた様子でわたしの名を呼んだ白馬君に対し、わたしはただ間抜けな声を出す。
父は片手で自分の顔を覆い、深いため息をついた。