ホドがキムラスカ軍によって滅ぼされた。反戦論者は口を閉ざし、戦争が始まった。これが表向き残されるだろう歴史であり、民たちが信じている情報である。しかし、それが事実とはまったく異なるという事をはよく知っていた。
「。此度の戦、どう思う?」
「どう、と申されますと?」
は仕分けていた書類から顔を上げて皇帝を仰ぎ見た。
「勝てると思うか?」
「……そうですね。カーティス少尉など、優秀な若手も多くいますから」
たとえ負けると思っていたとしたって「負けるでしょう」とは答えられまい。かといって確実に勝てると考えていたわけでもなかったので、は無難な答えを返した……つもりだった。ジェイドの名前を出したのも、ただ単に一番かかわりのある軍人だったからだ。しかし、話は思わぬ方向に進み始めた。
「なるほど……ふむ、カーティス少尉か」
「……陛下?」
思案気な表情を浮かべた皇帝に、は恐る恐る呼びかける。
「そうだな。あやつにもそろそろ功績が必要だろう」
「…………」
の勘違いでなければ、恐らく、今なにかが決まった。軍に所属する限り、いつかやってくるものではあっただろうが……。
ここに居ないかの人に、は心の中で謝罪した。
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帝国譜術譜業研究院の廊下を進み、いつもの研究室の前で立ち止まる。ノックも、声を掛ける必要もない。には自由にこの研究室に出入りする権利があった。
「カーティス少尉」
「……」
中に入れば、彼はいつものようにそこにいた。声を掛けたに、ジェイドはやや驚いたように目を見開く。ジェイドと顔を合わせるのは、皇帝に命じられてホドのフォミクリー研究の痕跡を消す方法を話し合って以来だった。
あの日、ジェイドが出した意見はが最初に考え付いたものと変わらなかった。フォミクリーの被験者に擬似超振動を発生させて、島にある関連施設を丸ごと消す。超振動とはまったく同一の振動数を持つ音素が干渉しあうことで起こる現象で、ありとあらゆるものを分解し再構築するものである。第一から第七まで全ての音素で発生しうる現象だが、第七音素で起こった場合の破壊力は他を遥かに上回り、今回はそれは疑似的に作り出した状況だった。……とはいえ、実の所、被害はここまで大きくなる予定ではなかった。疑似超振動は本来の超振動の6割程度の威力であり、せいぜい研究所周辺、どんなに大きく見積もっても島にあるものを分解し尽くす程度の威力しか想定されていなかったのだ。島にあるものを分解し尽くす可能性が想定されていること自体がにとっては顔を顰めたくなるようなことだったが、今はその話は置いておこう。結果として、当初の想定を上回り、ホド島はフォミクリーの被験者が起こした強大なる擬似超振動によって丸ごと海に沈んでいった。ホドを滅ぼしたのはキムラスカ軍ではない。マルクト帝国なのだ。
そして、はその原因の一端を担っている者たちのうちのひとりであった。その事実はを陰鬱にさせる。何度思い返してみても、あの時のにこの状況を避けられるだけの力はなかったが、それでも幼い少女の心は酷く傷ついていた。
そんな中がジェイドに会いに来たのは、もはやがただの被害者ではなかったからだ。心を傷つけられた被害者ではない。は間違いなく、ホドを海に沈めたこの国の、ジェイドの、共犯者だった。いや、共犯者であるどころか、の主観からいえばの犯した罪はジェイドよりも更に重いように思えた。なぜなら、はそれが多くの犠牲者を出し、以上に心傷つく者たちを多く生むだろうことを理解していて加担したからだ。
本当のところ、はジェイドには少しだけ期待もしていた。この男ならば、研究資料を一度に消す方法など無いと進言してくれるのではないかと。彼はそれをできるだけの立場にいた。けれど現実はそうはならなかった。彼はホドの民の命より、フォミクリー研究を選んだ。かの研究がキムラスカに知れ渡らないようにすることを優先した。無論、その選択が国を支える軍人の行動として間違いだったとは言い切れない。だが、は知っていた。ジェイドがフォミクリー研究を選んだのは、国の為ではなく、すべて己自身のためであることを。彼はあくまで自分の研究のためにホドの民の命を犠牲にすることを選んだのだ。まだ汚い世の中に多く触れていない正義感の塊であるような少女にとって、彼のその選択はとても許せるようなものではなかった。
は罪を犯した自覚がある。それは己の保身のために。だが、ジェイドは違う。ジェイドは、よりも世の中を変えられるだろう場所に近いこの男は、自分が罪を犯したという自覚さえないのだ。なんと不条理なんだろう。たとえ軍が許しても、皇帝が許しても、は少しも心を掛けることなく多くの命を犠牲にする道を選んだ目の前の男を許せそうになかった。この頭の良い悪魔に気付かせなくてはいけない。人の命重さを、自分たちが犯した罪の重さを。
「……出陣が決まったとお聞きしました」
ふたりの関係から考えれば奇妙なほど穏やかに切り出したを、ジェイドはやや不審そうに見遣る。の穏やかさは、ジェイドの出陣が決まった理由がもしかしたら自分の発言のせいかもしれないというやや後ろめたい気持ちからくるものであったが、ジェイドは結局それには気付かなかった。
「もう聞いてるのか……そういえば君は陛下付きだったな。……それで?」
「それで、とは?」
は首を傾げてみせた。
「どうしてわざわざ僕に確認しに来たのかと聞いている。絶対に生きて帰ってくるよ、なんて言葉がほしい関係でもないだろ。ああ、寧ろ君は僕が居なくなった方が嬉しいだろうけど」
「そんなことありません」
皮肉な調子のジェイドに、は断言した。
「…………」
の言葉がよほど予想外だったのか、思わず黙り込んだジェイドにはにっこりと笑った。この男がこうも驚いた様子で言葉を失う様子を見るのなんて初めてのことである。
「カーティス少尉には絶対生きて帰ってきてもらわなければ困ります」
も、ジェイドも、生きて罪を償わなければならない。やジェイドが死んだところで世界は変わらないが、生きていれば変えられるかもしれないのだ。より良い国を作ることを目指すことが、にできるせめてもの償いだった。はまだ大きな力を持たず、国を動かせるだけの力はない。けれど、何もできない訳ではないのだ。には考える頭があり、それを伝える声がある。少しずつ、できるところから変えていけばいい。
一番最初に立てた目標は、この捻くれた性格と思考の男を変えることだった。それにはまず、自分が歩み寄らなくてはいけない。相対する者の声では彼に届かないだろう。
「……僕が敵にあっさりやられそうなほど弱いとでも?」
困惑するような、けれどはっきりと不機嫌さを含んだ声でジェイドは問う。
「不測の事態はいつだって起こり得るものです」
島ごと沈んでいった、ホドのように。
けれど、とてジェイドがそう簡単に敵にやられはしないだろうことくらい分かっている。殺しても死ななそうな男だ。それでも、これはにとってのけじめのようなものだった。ここからすべてを始めよう。
「……カーティス少尉。もしもあなたに何かあれば、サフィールは泣きますよ。ジャスパーさんも、いつもお手紙をくれるピオニーさんも、勿論、わたしも」
「…………」
ジェイドは奇妙なものを見る眼つきでを見た。いささかクサい台詞である上に白々しかったかもしれない。けれど、この男にはこれくらいはっきり言ってやる必要があるだろう。どうか気付いてほしい。こんなどうしようもない男にすら、その身を心配する者たちがいるのだ。
「そうですね……カーティス少尉にただ“生きて帰ってきてください”と願うのでは簡単すぎて失礼でしょうから、こうしましょうか。……少尉、“無傷で大きな功績を残して帰ってきて”くださいね!」
は冗談めかして笑った。
ジェイドは返事をしなかったが、それからしばらくして、が一方的に取り付けた約束通り、ローテルロー橋の戦いで大きな功績を残し帰還した。