「先生がお見合いするって!?」
「ええ、結構噂になってますよ」
仁吉が若だんなに茶を出している様子を眺めながら、佐助が言う。
「お相手は?」
仁吉が聞いた。
「十五屋の若旦那だとか」
「ほう」
あっさりと、佐助は答える。
無意識に、仁吉は眉を寄せた。
が、幸いとしてそれに気付いた者は無かった。
佐助の視線は若だんなの方を向いていたし、そんな若はそれどころではなかったからだ。
いやだ、いやだ。嫁いでしまったら、はもう自分に会いにこなくなるではないか。
若だんなは気が気ではなかった。
「……ねえ、仁吉に佐助」
自分に忠実な二人の手代に、若だんなは声をかけた。
江戸薬師考
ことの始まりは、とある患者の一言だった。
「ねえ先生、お見合いしてみる気、ない?」
「はい?」
患者の女性を診察していた手を止めて、はしばし固まる。
しまった、脈の取り直しだ。
脈を数えている三十秒間(通常は一分間だが、倍にすればいい)、患者と医者の間に沈黙がおりる。
やがては女性の手を離し、横の机に置いてあった紙にさらさらと数字を書き込んだ。
「脈数に異常は無いようですね。前回と同じお薬出しておきますから、無くなったらまたいらして下さい」
「先生、お見合いの話が済んでないよ」
うまく話をそらしたつもりだったが、だめだったようだ。
暗に断っているのだと気付いてほしかったのだが。
「お松さん、わたしはまだ結婚する気は……」
「何言ってるんだい。先生も年頃だろう」
いやいや結婚はまだ早いでしょう、と言い掛けて、はたと気付いた。
そうだ、ここは江戸時代だったんだ。
わたしぐらいの娘であれば、嫁いでいてもまったくおかしくない。
むしろ、わたしの実年齢から考えれば、遅いくらいである。
の実年齢は十七。
ここ江戸での表向きも十七ということで通しているが、本当なら数え年でいえば、もう十九なのである。
……それでも、
「わたし、当分結婚する気は無いんです。ご厚意はありがたいのですが、お気持ちだけ、ということで」
「そんなこと言わないで。あたしゃもう甥っ子に話しちまったんだよ、先生のこと」
「は!?」
なんだ、それは。
いったどういうことなんだ。
さすがに眉を寄せて聞けば、お松さんは情けない顔をした。
「先生の話をしたら、甥っ子が先生のこと気に入っちまったみたいでねぇ。会わせろって聞かないんだよ。ね、会うだけでもいいから」
「ううーん……」
必死なお松に対し、の返事は思わしくない。
「大きなお茶屋の若旦那だし、損はさせないよ」
それって、会うだけでいいという言葉と矛盾してませんか、お松さん。
無論、そのお茶屋の若旦那とわたしを引き合わせたいがためのその場しのぎの言葉だとは分かっているが。
お松さんの実家は江戸ではわりと名の通ったお茶屋。
そんな彼女の嫁ぎ先もそれなりに大きな商家なので、彼女は結構この診療所にお金を落としていてくれていたりする。
勿論、長崎屋には遠く及ばないが。
「先生、お願いだよ。あたしを助けると思って」
「…………」
さて、どうしたものか。
「……どうしなすったんですか。お三方お揃いで」
どこか冷たいの視線が、若だんなと二人の手代に突き刺さった。
うぅ、と若だんなのみが怯んだ様子を見せる。
けれども一番文句をつけてやりたい仁吉と佐助はひょうひょうと平気そうな顔をしていた。
「奇遇ですね先生。こんな所でお会いするなんて」
「……仁吉さん」
なんでもない風を装って言葉をかけてきた仁吉に、は思わず半眼になった。
どこが奇遇だ。
「ややっ、連れがいたんですか。そちらの方は十五屋の利久殿とお見受けしますが」
仁吉よりも更に劣る演技で、佐助が言葉を発する。
の隣に座っていた、十五屋の若旦那利久は、そんな彼らに向かって軽く頭を下げた。
「これはこれは長崎屋のみなさんお揃いで。お散歩ですか?」
おっとりとした笑顔で利久が言うのに対し、長崎屋の手代二人は顔を見合わせる。
やがて、二人同時に溜息をついてからたちの方に向き直った。
「おふたりこそ、何をなすってるんです。見合いだと聞いていたんですが」
それにしては様子がおかしいですね、と仁吉。
いや、知ってるなら聞かないでよ。
ストレートど真ん中で聞いてきた彼に、は顔を引きつらせた。
「ええ、当初はその予定だったのですが、彼女が望まなかったので、ただ一緒にお茶を飲むだけになったんですよ」
にこにこと、気分を害した風でもなく利久がそう告げた。
そう、二人が行っていたのはただのお茶飲みだ。
和菓子を食べながら、他愛もない話をする。
喫茶店でお茶をするようなものだ。
どうしてもに会ってみたかったという利久が、見合い話を断られて、それならばとお茶に誘ったのである。
ただお茶を飲むだけなら、とも了承した。
「……まったく、見合いだと聞きみなさん揃って冷やかしにでもきたんですか」
隣に座る利久が笑顔なのとは対照的に、は不機嫌そうに彼らを見やる。
慌てたのは長崎屋の方の若だんなだった。
「ち、違うんだよ、先生。私は、先生が嫁いでしまったらもううちには来なくなってしまうと思って、」
あたふたと、顔をほんのり赤くしながら言う若だんなに、おや、と目を見開いたのは十五屋の若旦那利久だった。
状況を理解した利久は、ややあって苦笑いを浮かべる。
「なるほどなるほど。不安にさせてしまったわけですか」
いやはやと、数え年で十九になる若旦那は、自分よりも幼い若だんなの恋心を見抜き僅かに笑った。
「こりゃさんを手に入れるのは相当大変そうですねぇ」
利久の小さな呟きを拾ったのは、幸か不幸か妖二人だけであった。
――長崎屋若だんなと十五屋若旦那、天才内科医を巡り恋の三角関係か!?
後日、そんな瓦版が発行されたのは余談である。
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郁さんに捧げます。
20080728