*1
 人はわたしを“歩く幸運”と呼ぶ。道を歩けば小銭を見つけることなんて序の口で、落ちていた御守りを拾い販売元らしい神社に届ければ丁度持ち主が探しておりとても大切な物なのだと感謝され過剰なまでの礼を受ける。店に入れば一万人目の客だと菓子詰めをもらい、籤を引けば必ず一等に当たる。細かいことから大きなことまで、わたしの強運は尽きることを知らなかった。
 わたしの幸運はわたしと近しい人間までにも及ぶ。おまえが生まれてから私の事業は失敗知らずだ、とは父の言だ。父は有名な茶人でありながら、商人である。いや、商人であるからこその茶人であるというべきかもしれない。我が屋では元々薬や武器の材料となるような皮革を主に取り扱っていたが、近頃父は南蛮から伝わってきた鉄砲に興味を持ち国内に鉄砲工場を作ったのだ。合戦の多い戦乱の世、それらは有力な武将たちによく売れた。武将たちと関わりを持つ父はよく彼らを茶でもてなす。そしてそれらは大抵彼らのこちらへ対する心証を良いものとする。そんなわけで、合戦に役立つ商品を取り扱う屋と茶の嗜みは切っても切り離せないものなのだ。
 勿論、家の娘であるわたしも幼少の頃から有名な茶人である父の手解きを受けてきた。大商家のお嬢様。そんな肩書きに生まれられたこと自体が最大の幸運だと人は言うだろう。しかしながら、わたしは自分で自分を幸運だとは思わない。いや、幸せだとは思わないと言った方が正しいか。……何故なら、わたしは元々、これほどの幸運がなくとももっともっと便利で、平和な時代に生きていたからだ。
 ここだけの話、わたしには俗に言う前世の記憶とやらがある。わたしが生きていた時の世の名を平成といった。そう、平和に成る、と書いて平成だ。六十年以上も前に戦争を放棄し、一般人は銃を持つことも刃渡りの長い刃物を持つことも許されぬ平成の世。科学技術が発達していて、暑さも寒ささえもコントロールし室内を己の適温に変えることが可能で、水は蛇口を捻れば簡単に出てきて、飲み水にできるほど綺麗な水で排泄物を流し、洗濯も下手をすれば食器洗いさえも少しパネルを操作するだけで機械がすべてやってくれる平成の世、だ。だというのに、何をどう間違えたのかわたしが生まれ変わったのは天文という時代だった。平成よりも後の時代ではない。先程の鉄砲の説明でピンときた者もいるかもしれないが、西暦に直すならば一五〇〇年代の半ばで、ちょうど南蛮から鉄砲が伝わってきた頃だ。受験の時、以後染み渡る種子島(一五四三年)って語呂合わせで覚えたなぁ、懐かしい。
 少し話が脱線してしまったが、そんなわけで、今もたらされる幸運の数々が馬鹿らしくなるほど便利で平和な時代を生きていたわたしにとって、今の環境はそれほどいいとは言えなかった。……しかしまた、どうして過去の時代に転生などしたのだろう。そもそも死んだ覚えもないし。しかもこの時代(世界?)はわたしの知る過去とは少し違うようなのである。というのも、何故かここではこの時代まだ高価であったはずの砂糖を贅沢に使った菓子が比較的安価で売られ、ハンバーグなど食牛の習慣が一般的に広がっており、風呂場にはシャンプーやリンスが置かれていた。極めつけに、先日立ち寄った文具店にはコピー機が備え付けられており、酷く混乱したものだ。電源どうなってるの? 子どもらしく好奇心丸出しでコピー機を調べようとしたが、その前に父に手を引かれ帰るぞと言われてしまったのは非常に残念だ。中途半端な文明の世界。たくさんの不思議を抱えながら、わたしは今日も生きていく。



*2
 彼と出会ったのは五つの時だった。父に連れられて、屋を懇意にしてくれているという寺に新茶を届けに行った時の事。
「うわ、うわああぁぁぁ!」
 頭上から聞こえてきた悲鳴にわたしは何事かと顔を上げた。わたしと父は、ちょうど寺へと続く石段を上ろうとしていた所だった。
 見れば石段の何やら上の方から転がり落ちてくる物体。……人だ。しかも、わたしと同じくらいの子どもだ。子どもは悲鳴なのか泣き声なのか判別のできない声をあげながら石段と平行にごろごろと転がり落ちていた。その勢いは一番下に着いてなお止まらず、わたしと父の横を通りすぎ、少し先にあった木にぶつかったところでようやく止まった。
 ほんの少しの間ぽかんと立ち尽くしていたが、すぐにはっとして元来た道の方に引き返し、子どもに駆け寄る。
「だっ、大丈夫!?」
「うう〜ん……」
 子どもは頭にたんこぶを作り、目を回しているようだった。とりあえず生きてはいるらしい。ほっとして息を吐くと、少し遅れて父がやってきた。
「恐らく寺の子だね。どれ、上まで運んでいってやろう。……、一人で石段を上れるね?」
「はい」
 石段の段数は多いが、元よりそのつもりだ。
 よし、と頷いた父は腰を下げ、子供を抱える。近くでみると、その子どもは男の子だった。
「その子、大丈夫でしょうか」
「さてね。しかし、息はしているようだしきちんとこぶもできているようだから平気だろう」
 心配するわたしを安心させるように父は微笑む。この子のためにも早く石段を上ってしまおうと促した父に、わたしははいと頷いて前を見据えた。



*3
「ああ、せがれがすみませんね」
 わたしたちを出迎えてくれたのは優しげな顔の和尚様だった。和尚様は黒地の法服に山吹色の袈裟を着込んでいる。真新しすぎず、かといって清潔感の保たれたその姿は感じがいい。服装だけでその為人が分かるようだった。
「ああ、ではこの子が例の」
 自分の抱えている子供が和尚様の息子だと知ると、どうりで、というように父が頷く。それに和尚様も頷き返した。
「はい、息子の伊作です。そちらが噂の娘さんですね」
 わたしはきょとんと首を傾げた。どうやらわたしのことも話題になっているらしい。
「ええ、娘のです」
 父の紹介に、はっと正座のまま姿勢を正す。わたしは屋の娘なのだ。
「お初にお目にかかります、善法寺の和尚さま。彦右衛門が娘、にございます。いつも父がお世話になっております」
 そう口にして、両手の親指と人差し指と中指を合わせて作った三角を床に置き、三角の中に自分の額を入れて深々とお辞儀をすると、和尚さまは一瞬ぎょっとしたようにこちらを見てからやがて苦笑した。
「いやはや、小さくてもの娘さんだね。こちらこそ父君にはよく世話になっている。そう畏まらんでも結構。楽にしてくれ」
「ありがとう存じます」
 今度は浅めに頭を提げる。和尚さまはにこりと笑った。と、そこで父が咳払いをした。
「さて、和尚殿」
「おお、そうでしたな。……、もし迷惑でなければ伊作に付いててもらえんだろうか。あやつも目覚めた時に一人では心細かろうて」
 大人たちはふたりだけで話したいことがあるようだ。の娘である私は空気を読んで笑顔で頷く。どうやら息子さんの名前は伊作くんというらしい。
「わたしでよろしいのでしたら」
「うむ。部屋へは弟子に案内させよう」



*4
 ぱちりと目が開いたその顔を覗き込む。彼が目覚めたのは思ったよりも早かった。
「気が付いた?」
「?」
 声を掛ければ純粋そうな瞳がきょとんとした様子でこちらを見つめる。状況が掴めていないのだろうか。
「伊作くん、お寺の石段から転がり落ちたんだよ」
 わたしがそう言うと、伊作くんはしゅんとした顔になった。
「そうか、僕また……。……きみは……?」
「あっ、ごめんね。わたしっていうの」
 彼がなぜ落ち込んだような表情などしているのか分からないまま、わたしは笑顔で自己紹介する。わたしとしたことが名乗るのを忘れていた。
ちゃん?」
「うん」
 布団の中で、伊作くんは首を傾げた。わたしは頷く。
「……ちゃん。その、僕、不運だからあんまり近付かない方がいいよ」
「不運?」
 今度はわたしが首を傾げた。
「僕が一歩外に出れば鳥のフンが落ちてくるし、百歩歩けばなぜか大きな穴に落ちるし、森に入ればイノシシに出くわして追いかけ回されるし……しかも、一緒にいる人を巻き込んじゃうんだ。……一緒にいる人を不幸にしちゃう」
 わたしは一瞬言葉を失った。この話を聞いて、わたしはどうして今日ここへ連れてこられたのか、そして和尚様と父がなぜあのような意味深な会話をしていたのかを理解した。“幸運”は“幸福”とイコールでは結ばれないことを私は知っている。幸運であるから幸せとは限らない。そう、便利で平和な未来に生きていたわたしは、自分が幸せではないことを知っているのだ。
 そして、今気付いたことがある。幸運であることは一見問題がないようにも思えるけれど、わたしの幸運は、おそらく他人の幸運を奪っている。例えば、私が籤を引けば、本来一等を当てるはずだった人間が一等を取れなくなるといった具合に。わたしには、目の前の少年がその事実をはっきりと具現化した人間に見えた。わたしが受けるべきだった不運を伊作くんが受け、伊作くんがが受けるべきだった幸運をわたしが受けているように思えたのだ。“幸運”にしたって“不運”にしたって自然の摂理から外れている。父はきっと、わたしの幸運の恩恵を受けられて嬉しい反面、わたしが普通ではないのが恐ろしいのだ。わたしの異常なまでの幸運が知れれば、どこぞの寺院に聖女として祀り立てられる可能性だって出てくる。周りを巻き込む幸運のわたしと、周りを巻き込む不運の伊作くん。ふたりがそろえば、それらは中和されてわたしたちは普通の人になれるのかもしれない。
 自分の不運について説明した伊作くんは涙ぐんでいた。きっと、口にした他にもたくさん不運な目に遭ってきたのだろう。わたしがたくさんの幸運を得てきたように。……気の毒に。こんな小さな子が、こんなにも思いつめて。自分に近付かない方がいいだなんて、こんな小さな子どもは普通口にしない。するべきでもない。伊作くんは切なくなるくらい心の優しい子どもだった。
「伊作くん!」
「!」
 わたしが伊作くんの両手をぎゅっと握ると、伊作くんはビクッと肩を揺らした。
「伊作くんが不運だというなら、わたしが幸運をあげる!」
ちゃん?」
 わたしはにこっと笑ってみせた。伊作くんに寄り添いたい。きっとわたしにしかできない。わたしが伊作くんを守らなきゃ!
「わたしね、人よりちょっと運がいいの。だから、その幸運を伊作くんにあげる! 伊作くんは、もっとみんなと仲良くしていいんだよ。わたしは、伊作くんとお友達になりたいな」
 言えば、伊作くんはちょっと迷っているみたいだった。しばらく目を泳がせて、それから不安そうにわたしを見つめる。
「……僕と仲良くしてくれるの?」
「うん!」
「でも、僕と一緒にいたら不運に巻き込まれちゃうよ?」
「わたしは巻き込まれたりしないよ」
 できるだけ明るい顔を作って笑ってみせると、伊作くんもほにゃっと笑った。
「ありがとう、ちゃん。よろしくね」
「えへへ、わたしの方こそよろしくね」
 伊作くんが本当にびっくりするくらい不運な子だと知るのはまだ先。



*5
 あれから、わたしは父に連れられて和尚様を尋ねることが多くなった。いや、正確には伊作くんと会う機会が多くなったと言うべきなのかもしれない。和尚様も父も、伊作くんとわたしをよく遊ばせようとした。まぁ、わたしはかわいくて優しい伊作くんが大好きだから全然構わないのだけど。
「わたしが奥さんで、伊作くんが旦那さんね!」
 今日はおままごとをして遊ぼうと思う。ここのところ定番の遊びだ。うん! と伊作くんが頷く。外で遊ぶわたしたちの傍に今日は珍しく和尚様と父がいて、仲良く遊ぶわたしたちを縁側に座りながら微笑ましそうに眺めていた。
「ただいまー」
 木の枝で引いた四角い線の内側に伊作くんが入ってくる。この線が家の内側と外側を分ける印だ。
「おかえりなさいあなた! ご飯にする? お風呂にする? それともワ・タ・シ?」
 言った瞬間、ブッ、と大人ふたりがお茶を吹き出したのが見えた。あらあらあら。だがそんな彼らを気にした様子もなく、伊作くんはにこにこと口を開く。
「もちろんちゃんで」
 ドッテーン、と大きな音がした。和尚様と父が縁側から転がり落ちた音だ。やぁねぇ、大の大人二人が子供のごっこ遊びくらいで動揺するなんて。
「もぉ、伊作くんたら〜」
 この一連の流れはわたしの調教の結果だ。伊作くんは良い子である。わたしを慕ってくれて、わたしの言葉を疑わない。
「お、おまえたち仲が良いな」
 口からこぼれたお茶を手拭いで拭い、着物に付いた砂を払って父が言う。わたしは素直に頷いた。
「うん! わたし伊作くんだーいすき!」
 ここでいったん言葉を切って、伊作くんの方を向いてにこっと笑う。
「伊作くん、大きくなったらわたしをお嫁さんにしてね!」
「うんっ! ちゃんは僕が幸せにするね!」
 少しだけ顔を赤くして嬉しそうに返事をする伊作くん。わたしは幸福に微笑んだ。



*6
「わぁい、今年も中吉だ!」
「(相変わらず伊作くんの不運パワーは半端ない)」
 内容は少しずつ違うが、二枚並んだ中吉のおみくじ。わたしたちは年一回必ず一緒におみくじを引く。それはお互いの幸運と不運のバランスを測るために。そして互いに影響を及ぼし合っていることを確認するために。ひとりで引けば確実に大吉を引けるおみくじも、伊作くんと引くと必ず中吉になる。それがここ数年繰り返されている結果だった。
「……ちゃん、ごめんね」
「え?」
 先程まで嬉しそうに笑っていた伊作くんが申し訳なさそうに謝ってくるので、わたしは首を傾げた。
ちゃん、ひとりで引いたら本当は大吉だよね?」
「伊作くん?」
 わたしは背筋がすっと冷えるのを感じた。
「僕、何回かひとりでおみくじを引いてみたんだ。ひとりで引くときはいつも大凶だった」
 それはまた……。大凶くじが、そもそも伝説みたいな存在なのに。そんな場合ではないというのに、思わずそんな感想を抱いてしまう。でもまあ、予想の範囲ではある。わたしだって何度かひとりでおみくじを引いてみたことがあるのだから。
「幸運がなくたって、伊作くんと一緒にいるときわたしは幸せだよ? それとも、もしかして、伊作くんはわたしと一緒にいると不幸なの?」
 ありえない話ではない。幸運と不運でバランスをとっているわたしたちなら、幸福と不幸でもバランスをとっていてもおかしくはない。わたしは不安になった。彼を不運から守ってるつもりで、本当は彼のことを不幸にしていたのだろうか?
「ご、ごめん、僕だってちゃんと一緒にいるときは幸せだよ。ほんとだよ」
 伊作くんが慌てて言う。じっと目を見つめてもそこに嘘は見つけられなくて、それに安堵してわたしは涙ぐんでしまった。
「伊作くんのバカ」
「ごめん」
 本当に本当に申し訳なさそうに伊作くんが言う。
「……いいけど。でも、次またバカなこと言ったら伊作くんのこと嫌いになるからね」
 目尻の涙を袂で擦りながら言った私の手を伊作くんが掴む。そして「擦ると赤くなっちゃうよ」と言って唇で涙を吸い取っていったので、わたしはものすごく驚いた。ちょ、伊作くん、しょっぱいねなんて言ってる場合じゃないよ! どこで覚えてきたのこんなこと!
「ごめんね、ちゃん、大好きだよ。嫌いにならないで」
 赤くなりながらあたふたしているわたしの手をぎゅっと握りしめて伊作くんが言う。……ああ、もう!
「……わたしだって伊作くん大好きだよ。だからひとりにしないでね。ちゃんとお嫁さんにもらってね」
「うん、約束する。……ちゃん、ちゃんとお嫁にきてね?」
「うん。……指切りする?」
 わたしたちはお互いの顔色を窺うように見つめ合った。握っていた手を放して、お互い右手の小指を絡める。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます! 指切った!」



*7
 それは十の誕生日を迎える少し前の事だった。
「えっ、伊作くん忍術学園に行くの!?」
 僕、忍術学園に行こうと思う。大好きな幼馴染から告げられた突然のことに、わたしは目を見開いた。
「伊作くん、忍者になるの……?」
 尋ねる声が不安げに震える。忍術学園と言えば忍者養成の名門校で、しかも全寮制だという。当然、今までのようには会えないだろう。
「忍者になるかまではまだ分からない。でも僕、ちゃんを守れる男になりたいんだ!」
 その瞳に滲む決意は固かった。しかし、伊作くんは不運を絵に描いたような人なのである。周りを巻き込むほどのその不運は、周りを巻き込むほどの幸運を持つわたしの前でようやくその鳴りを潜める。わたしと伊作くんはふたりでひとつ。わたしたちは、お互い共にいるときが唯一"普通の人間"として生きられるひと時なのだ。それなのに……それなのに。わたしは俯いた。
「……たし………………く」
「え?」
 上手く聞き取れなかったらしい伊作くんが聞き返す。わたしはぱっと顔を上げた。そしてはっきりとした声で言う。
「わたしも忍術学園に行く!」
「えええええっ!?」
 伊作くんが驚きの声をあげた。まさかこう来るとは思ってなかったのだろう。
「なによ、文句ある?」
「な、ないけど彦右衛門さんがなんて言うか」
 ぱちぱちと目を瞬きながら遠慮がちに伊作くんが言う。
「父上はわたしのお願いなら断れないから大丈夫」
 わたしは大きく頷いてみせた。父はわたしが自分の意思でこうだと決めたことに反対したりはしないだろう。なにせ、行く先々には求めていなくたって幸運がくっついてくる。きっと屋にとってだって得になるなにかがあるはずだ。
「い、いいのかなぁ……」
 いまいち不安げに首を傾げる伊作くんに、いいのいいの! とわたしは彼の手を握った。




2013.4.3