その手のひらで踊ってやるよ
ふと目を覚ますと、目の前に半助さんの顔があったので私はぎょっと目を見開いた。だが、すぐに昨夜何があったのかを思い出し、私は自分の顔を両手で覆う。そうだ、私……。じわじわと込み上げる羞恥心にその辺りをのた打ち回りたい衝動に駆られるが、背中にしっかりと回された半助さんの腕のせいでそれは叶わなかった。
「ん……さん? 起きたんですか?」
はっと顔を覆っていた手をどけると、どことなく気怠そうな様子の半助さんと目が合う。妙に色気のあるその姿に、顔に熱が集まってくるのを感じた。
「さん?」
「……こっち見ないでください」
再び顔を両手で覆いながら言えば半助さんの笑う気配がした。
「顔を見せてください」
「嫌です」
首を小さく横に振ると、顔を覆っている私の手を半助さんが掴んだ。碌な抵抗もできないまま、顔から手をどけられる。視界を遮るものがなくなり、半助さんと思い切り視線が絡んで、私は「う」とたじろいだ。
「おはようございます、さん」
「おはようございます……」
笑顔の半助さんにちょっぴりだけ殺意を覚える。なんなの、その余裕。うらめしい気持ちで半助さんを見れば、彼は掴んでいた私の手を放し、くしゃくしゃと私の頭を撫でた。荒すぎず、それでいて繊細過ぎないその触れ方は、艶っぽい時間に終わりを告げているようだった。
「陽が昇るまでまだ時間があります。もう少し寝ていてもいいんですよ」
「……いえ、いったん城に戻ります」
いつの間にか――おそらく私が眠った後だろう。熟睡していたらしい自分に驚く――敷かれていた蒲団から、私はのっそりと起き上がる。襦袢もきちんと着せ直されていたので、あまりの恥ずかしさに今すぐ気を失ってしまいたい気持ちになったが、今度はなんとか冷静を装うことができた。乾かしていた着物を手に取ればまだほんのりと湿っていたが、着るのには問題ないだろう。手早く小袖を着てしまうと、同じく着物を着終えた半助さんが話し掛けてきた。
「さん、これからどうされるつもりなんですか?」
「……さあ、どうしましょうねぇ」
今日この後の予定を聞かれているわけではないのは明らかである。私は言葉を濁した。母が亡くなった今、もはやドクタケに残る意味はない。自分一人だけならばどうとでも生きられるのだ。暫くは母が手を付けずに貯めておいてくれたお金もあることだし、仕事を辞めたところで生活には困らないだろう。いっそどこか遠くの地に行ってみるのも悪くないかもしれない。ぼんやりと考えを巡らせていると、すぐ傍に半助さんが立った。なんだろうと思い、首を傾げながらそちらの方を向くと、半助さんは真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「さん、どこか遠くへ行こうとか、考えたりしていませんよね?」
「え……」
半助さんの問いかけに、私は一瞬答えに詰まった。まさに今、その選択肢について考えていたからだ。そんな私の反応に半助さんの表情が険しくなる。
「あなたが一連のことに負い目を感じて私の前から姿を消そうとしているなら、私、怒りますよ」
「え!?」
一連のこととは、私がドクタケから与えられた任務で半助さんに近付いたことを言っているのだろう。どうやら誤解しているらしい半助さんに私は慌てた。「ち、違います!」私は叫ぶ。
「そういうんじゃないです! あっ、いえ、負い目を全く感じていないという訳でもないんですが、違うんです!」
もしも半助さんが私に思いを寄せてくれていなかったのだとしたら、彼の言う通り、私は彼の前から永久に姿を消しただろう。けれど、現実は違うのだ。まるで夢のようなことだが、半助さんは確かに私を好きだと、愛していると言ってくれた。私は与えられたものを手放したりはしない。私は杜若を出た一人前のくのいちなのだ。どこまでも強かに生きてみせる。
言い募った私に、半助さんはじっとこちらを見て無言で続きを促した。半助さんが想像しているような健気な理由ではないことに少し後ろめたさを覚えた私は、おずおずと口を開いた。
「なんというか……その、元職場の近くで再就職というのも、誤解を招きそうかなと……」
「……ああ」
私の説明に、半助さんは納得したように頷く。ドクタケを辞し、周辺の城に就職すれば、いつかドクタケ忍者に再会することもあるだろう。そのとき、ドクタケ忍者が、実はつば鬼はドクタケを偵察するための間者だったのではないか、と考える可能性はゼロではない。そしてそれは決していい結果を招きはしないだろう。だから、できれば疑心暗鬼を招くようなことは避けたいと思ったのだ。敵はなるべく少ない方がいい。
「誤解……誤解ね。ふむ」
「半助さん?」
顎に手を当ててなにやら考え込む半助さんを見て私は首を傾げた。そんな私に半助さんはにっこりと微笑む。そして次の瞬間、彼はとんでもない発言をした。
「さん、私の所に永久就職とかどうですか?」
「……。……は!?」
一瞬の沈黙の後、私は素っ頓狂な声をあげた。なにを言い出すんだこの人は。
「あなたをこの手で手折った責任を取ろうかと思いまして」
驚きに目を見開いている私に半助さんは畳みかける。
「責任!?」
聞き返す声が裏返った。責任!?
「さんが言ったんじゃないですか、寝なきゃ情報を手にいれられないくのいちなど二流だと。……くのいちとして私に抱かれたわけではないのでしょう?」
「え、ちょ、ちょっと落ち着いてください半助さん!」
楽しげに言う半助さんに、たぶんからかわれているのだろうと分かりつつも動揺を隠せない。先程から心臓がおかしな音を立てている。ちょっと待て、はたして半助さんはこんなことを言う人だっただろうか。一瞬、目の前の半助さんは偽物なのではないかと疑ったが、目の前の彼はどこからどう見ても私の知る半助さんである。
「私は至って落ち着いていますよ。……すみません、私はずるい男ですから、貴女を自分の元に留めておく方法といえばこれくらいしか思いつかなくて」
「な……」
悪びれる様子もなく穏やかな表情でのたまう半助さんに、私は眩暈を覚えた。何か言わなくてはとぱくぱく口を開いて、けれど言葉が出てこなくて、口を閉じる。それを何度か繰り返して、私はようやく言葉を発した。
「……そんなことしなくても、突然半助さんの前からいなくなったりしません……」
その声は、どこか頼りなさ気に響いた。そんな私を半助さんがじっと見つめる。
「本当に?」
「本当です」
頬が赤くなりそうになるのをぐっと耐えながら頷いた私に、ふっと半助さんは笑った。
「それならよかった」
心底安心したというような、温かい声だった。一瞬前まで私をからかう風だったくせにその笑顔はずるい。その声はずるい。それだけのことで、私はこの人に想われてるんだなと感じて、胸がきゅうっとなる。けれど、話はそんな半助さんにただときめいただけでは終わらなかった。
「私の前からいなくなるつもりはないというのなら、さん、これからどうするつもりなのかきちんと教えていただけますか?」
再び投げ掛けられた質問。とても柔らかい声で尋ねられているのに、誤魔化せない雰囲気がそこにはあった。まさか、先程までの一連の会話はそのために為されたものだったのだろうか。
「……とりあえず、今の職場は辞めようと思ってます」
「それから?」
素直に答えたのに、半助さんはそれだけでは満足してくれなかったらしく、続きを促してきた。正直なところ先のことについてはまだあまりきちんとしたことを考えていなかったのだが、そのような答えでは半助さんが納得してくれなそうだったので、なんとか答え取り繕う。
「…………しゅ、就職活動をしようかと」
「どこで?」
更に尋ねられかけて、私ははっとした。この人、私から言質を取る気だ! しかし、気付いた時にはもう遅い。にこにこと笑う半助さんの手のひらの上で転がされて、私は彼の望む答えを口にするしかなかった。
「………………あまり遠くないところで」
「そうですか、それを聞いて安心しました」
よくできました、とばかりに半助さんは私の頭をよしよしと撫でる。私は半ば放心した状態でその手のひらを受け入れていた。ずるい! とか、やり方が汚い! とか、言いたいことはたくさんある。けれど、私は本当は知っているのだ。半助さんはこうして私を追いつめて、わざと逃げ道を無くしてくれたのだということを。ふと、私はとんでもない人を好きになったんじゃないだろうかという考えが頭を過ったが、そんなことは今更だろう。私はわざと不機嫌な顔を作ってみせて、半助さんの胸を軽くぽかっと叩いた。
明け方ドクタケ城に着いた私は、ドクタケ忍者隊の制服に着替え、真っ先に首領である稗田八方斎様の元へ向かった。
「八方斎様」
「帰ったか、つば鬼」
「は」
私は片膝を床について頭を垂れる。ドクタケ忍者である今このときは、まだこの人が私の上司だ。
「お母上の件、残念だったな」
心底私を労う感情を滲ませた声で言う八方斎様。主君に忠実であり、部下に甘いこの人は、ドクタケ忍者隊にとって悪いリーダーではない。改めて認識して、私は心の中で苦笑した。だから私は、八方斎様が忍術学園に負けてばかりのドクタケ忍者隊を率いるリーダーであっても、この人を軽んじきれないのだ。
私はサングラスの下に全ての感情を隠して、粛々と口を開いた。
「恐れ入ります。……今回の件で、八方斎様にご相談申し上げたいことがございます」
「……申してみよ」
八方斎様はこれから私が言う台詞をなんとなく予想しているのだろう。その声は未来を憂いるかのように重く、それでいて子どもを慰めるかのように優しかった。
「……今月限りで、お暇を頂きたいのです」
「……そうか。里に帰るのか?」
案の定、八方斎様は驚かなかった。あっさりと頷いた彼は、私のこれからについて問う。
「そこまでは決めおりません。ただ、少し、自分の人生について考え直してみたいのです」
私はわざと感傷的な雰囲気を装って答えた。ずるいやり方だが、"たった一人の家族を失い傷心している娘"を演じることが一番平和な辞職方法だと思ったのだ。そんな私を暫く眺めてから、八方斎様は重い溜息を吐いた。
「……よかろう。おまえには来月始める予定だった戦に参加してほしかったが、仕方あるまい」
「申し訳ありません」
私は神妙な顔で謝罪した。実際、申し訳なく思っているのは事実だった。しかし、ドクタケで働いていた最も大きい理由を失った今、己の中に元々あった信念を曲げてまでドクタケに残る理由はない。身内だけに優しい上司を盲信はできないし、民を顧みない主君に忠誠は誓えなかった。
「今月一杯はドクタケで働くのだろう。その間はしっかり働きなさい」
私を励ますように言ってくれる八方斎様に、これから自分がしようとしていることを考えると、更に申し訳なくなる。……それでも、私はやらねばならない。全てを清算するために。自分の心に区切りをつける為に。
「……ありがとう存じます。残り僅かな時間ですが、精一杯ドクタケに尽くさせていただきます」
私は真面目な顔をして、大きな嘘を吐いた。
それからドクタケを辞す日までの間、私は戦の準備やパートの女性たちの指導を熱心に行うフリをしつつ、密かにそれとは矛盾する行動をとっていた。つまり、今現在ドクタケがしている戦の準備を全て無にするための行為である。
このたびドクタケが戦をするにあたって手に入れた新しい武器の設計図というのは大砲の設計図だった。その大砲を使うには、何種類かの火薬を絶妙に調合した火力のある特殊な弾を込めなければならない。ここ何日かパートの女性を集めて行っているのは、その弾に詰めるための数種類の火薬作りだった。
私は、大砲の設計図と弾に詰める火薬の調合方法が記された書に密かに手を加えた。大砲と弾が本来の働きをしなくなるように。大砲本体はまだ造り始めて間もなかったし、弾に至っては未だ調合の段階に至っていなかったので、あまり大きな動きをせずに済んだのは幸運だったと思う。おかげで最後まで誰にもバレることなく私はドクタケくのいちとしての最終勤務日を迎えることになった。
「うっ、うっ……つば鬼ちゃん元気でねぇ」
「またいつでも遊びにおいで」
もうすぐ日も沈むだろうという夕方、私はドクタケ城の大門の前に立っていた。今日限りでドクタケを辞する私との別れを惜しんで、たくさんの先輩たちが見送りに来てくれている。
「せっかくだからつは鬼ちゃんも試し撃ちまで残ってればいいのにぁ」
「夜中にこっそりということでしたから……。最後までお付き合いできず申し訳ありません」
雲鬼先輩の言葉に私はうっすらと微笑む。今日は私の最終勤務日であると同時に、完成した大砲を試し撃ちする日でもあった。新しい武器の存在をなるべく知られないようにするため、試し撃ちがされるのは太陽が完全に沈みきった夜中である。最終日早番である私の定時は寅の刻いっぱいまでであるため、私はそれに参加できないのだ。……だが、自分が行った妨害が成功したことを知るのに問題はない。私は設計図に手を加えるときに"仕掛け"をしておいた。それがきちんと発動すれば、私は遠くに居ながらにして自分の作戦の成功を知ることができる。
「つば鬼ちゃん、あれだけ頑張ってくれたのに残念だなぁ」
私が何をしたかなんて知る由もない先輩は、心底残念そうに言った。設計図に手を加えたのが私だとバレるような証拠はおろか、そもそも設計図に手を加えたと分かるような痕跡自体一切残していないので、このまま一生知ることもないだろう。
「……試し撃ちが無事に成功することを願っていますね」
心にもない言葉を口にし、私はドクタケ忍者隊を辞した。
「こんばんは、さん」
「こんばんは」
真夜中。ドクタケ城に程近い森の中で、私と半助さんは挨拶を交わしていた。今日会おうと言い出したのは半助さんである。ドクタケ忍者隊を辞める日を教えたら、「それではその日はお祝いをしましょう」と言ってきたのだ。お祝いのはずなのになぜこんな森の中で待ち合わせているかといえば、それは私がこの場所を待ち合わせの場所に指定したからである。
「……花火、綺麗ですね」
「でしょう? 力作なんです」
半助さんの言葉ににっこりと微笑みながら答えると、半助さんも一緒に笑った。先程から、ひっきりなしにドクタケ城のある方角で花火が打ちあがっている。ここはその花火が一番よく見える場所であった。夜空に咲く色とりどりの花。なにを隠そう、これらこそ私がドクタケに残してきた"仕掛け"である。私は、大砲に詰める弾を花火のものに、そして、大砲本体が真上に弾を打ち上げるものになるように設計図を書き換えてきたのだ。今頃ドクタケ忍者隊のみんなは慌てふためいているだろう。新しい武器を製造するのに膨大な予算をつぎ込んだドクタケは、これで暫く戦をできなくなるはずだ。
くのたま時代のまだ低学年だった頃、学園の校外実習で花火師の仕事を見学させてもらったことがある。そのときはまさか将来自分がこんな所でその知識を使うことになろうとは思いもしなかった。人生無駄な知識など無いものである。
「さん、退職おめでとうございます」
「ありがとうございます。……無職になったのを祝われてお礼を言うというのも不思議な話ですね」
どこか面白がるように退職を祝う言葉を述べる半助さんにお礼を言いつつ、私は苦笑する。すると、半助さんは私の前にスッとなにかを差し出してきた。
「さん、これ、退職祝いです」
「……手紙?」
受け取りながら私は首を傾げる。差し出されたのは二通の手紙だった。それぞれ表には"一枚目""二枚目"と書かれている。
「ええ、学園長からあなたに預かってきました」
「学園長? 忍術学園の?」
忍術学園の学園長が元ドクタケ忍者である私に手紙を寄越すとは一体どういう事だろう。
「開けてみてください」
頭の上にたくさんの疑問符を浮かべている私を見て半助さんが楽しげにくすくすと笑った。訝しく思いつつも私は素直に一枚目の手紙を開く。中にはこんなことが書かれていた。
殿
貴殿が忍術学園の教員ふさわしい能力を兼ね備えているか判断するため、採用試験を行う。
試験内容は以下の内容とする。
"ドクタケの新武器製造および戦を阻止すること"
大川平次渦正
「これ……っ」
私は思わず手紙から顔を上げて半助さんを見た。
「もう一枚の手紙も開いてみてください」
驚愕に目を見開いている私に、半助さんは穏やかに促す。震える手で、私は二枚目の手紙を開いた。
殿
忍術学園教員採用試験結果"合格"
貴殿を●月×日付で忍術学園くのたま教室の教員とする
大川平次渦正
「学園長先生にさんの話をしたら、どうしてもくのたま教室の先生にしたいと言い出して……」
学園長の突然の思い付きにも困ったものです。全く困っていなそうな声で半助さんは言う。
そんな、まさか、こんなことがあっていいはずがない。だって私は忍術学園の学園長先生に会ったことすらないのだ。そのうえ、ドクタケ忍者であった私に、こんな幸福訪れていいはずがない。……これは夢なのではないだろうか。素直ではない頭は幸福すぎる現実を疑えども、心は勝手にその喜びを受け入れていて、視界が滲んだ。いつから私の涙腺はこんなにも弱くなってしまったのだろう。
なにか言わなければと思うのに、どれも言葉にならない。嬉し涙をぽろぽろと流し続ける私の頭をぽんぽんと宥めるように軽く撫でて、半助さんは微笑んだ。
「これから忙しくなりますよ、先生」