怪しげな粉をの小さな手のひらに握らせて、彼女の祖父であるキルシュはいった。
「いいですか、“ダイアゴン横丁”ですよ」
「ダイアゴン横丁……」
は己の祖父の言葉を小さな声で忠実になぞる。
キルシュは頷き、の肩に手を添えて、彼女を暖炉に立つようそっと促した。
「大丈夫、難しいことじゃありません」
大切なのは正しく発音することです。
の瞳の中で僅かに揺れた不安を見つけたキルシュは、彼女を安心させるように優しく微笑む。
こっくりと、が頷いた。
「我々もすぐに行きますから、向こうに着いたら暖炉から離れて待っていて下さいね」
その言い方はこれから心中する恋人同士みたいでちょっといやだなぁ。
思いつつも、賢明なは口には出さない。
ただ再び小さく頷いて、手の中にある粉を下に落とすと同時に口を開いた。
「ダイアゴン横丁」
魔法使いワイミー
「見て、エル。あっちにフクロウのお店がある!」
「、あちらではアイスクリームが売られていますよ」
「ねえ、あのホウキってもしかして空を飛べるのかな?」
「あれはなんの標本でしょう?」
興奮してあちらこちらに目を向けている子供たちをみて、キルシュは無意識に口元に笑みを浮かべた。
このダイアゴン横丁にやってくる直前の直前まで半信半疑だったふたりは、今や疑うどころではなく見知らぬ世界への好奇心に目を輝かせている。
「ふたりとも、まずは銀行で先立つものを用意しましょう」
それから、入学用品を揃えつつ、好きな場所を回りましょうね。
キルシュの言葉に、ふたりの子供は同時に頷いた。
薄暗いグリンゴッツの地下、猛スピードで走っていたトロッコから降りると、は口を開いた。
「ねえエル、ここまでの道程、覚えてる?」
「私を誰だと思っているんですか?」
エルとがふたりで顔を見合わせて、にやりと笑う。
「「右、左、右、左、右、右、三叉路を右、左、三叉路を直進、左…………右、右、右、左、右!」」
いったい何百の曲がり角を覚えていたのだろうか。
エルとが同時に言い切った瞬間、金庫までの案内役であった小鬼がぎょっとふたりの方を見た。
グリンゴッツの地下は、盗人などが入り込まないように非常に複雑に造られている。
各自の金庫までの移動手段であるトロッコも、道を覚えられては困るからこそ、気分が悪くなる人間がいるほど高速で走っているというのに、それを覚えられたのでは意味がなかった。
だが、子供たちは小鬼のその視線に気付いた様子もなく、まるでもうここまでの道程には興味を失ったかのように次の話題に移る。
「魔法界の銀行ってめんどくさいね。普通の人間の銀行なら機械ですぐなのに」
「魔法が使えて便利な分、科学が発達しなかったんでしょうね」
率直なの意見に、エルも頷く。
小鬼は落ち着かない表情でちらちらと子供たちに視線をやりつつ、金庫の鍵を回した。
がちゃりと扉の開いた音に反応して、エルとはようやくそちらの方に目を向ける。
緑色の煙が吹き出し、は思わず1歩退いて、エルは目を瞬いた。
やがて、煙が消えて視界がクリアになると、金庫の中を見渡してエルが言った。
「……なるほど、現物貨幣ですか」
うず高く積み上げられた、金銀銅各種の硬貨。
紙幣がないところを見ると、魔法界に信用貨幣というものは流通していないのだろう。
「ポンドに換算したらどのくらいかな?」
傍の金貨の山からコインを1枚手に取り、裏表をひっくり返しながらがなにとなしに呟く。
そんな彼女を横目に、エルも金貨をつまみ上げてそれを眺めた。
「ポンドに換算した場合、金そのものとしての価値しかありませんから……そうですね、この質なら金貨1枚あたり5ポンドというところでしょうか」
「あれ? 意外と安いねー」
「実際の金の含有量が少ないんですよ」
「へー」
生き字引どころか、生きコンピューターの域までいっているエルが側にいれば、たいていの疑問はすぐに解消される。
一家にひとりエルとかいいんじゃない? と考えたが、維持費(主にスイーツ代)が馬鹿にならないよなぁ、とその考えを振り払った。
「、今なにか失礼なことを考えていませんでしたか?」
「え? なにが?」
やっぱりこんなに鋭いのが一家にひとりいたら大変だ。
はすっとぼけた表情でそう答えながら、改めてそう思った。
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20090310