「ずいぶんと物騒なものを持ってますね、少年」
声をかけられた瞬間、少年はびくりと肩を震わせ、振り返った。
「! 昼間の、」
少年はの姿を認めた瞬間、ばつの悪そうな表情を作った。
そんな少年を見て、は薄く笑う。
「その剣で、なにをするつもりですか?」
「……分かってるんだろ」
そう言って少年は口を結ぶ。
「……なるほど。たしかに、覚悟はあるようですけど」
少年の瞳に宿るたしかな意志を見つけたは、やれやれと息を吐く。
「きみは、今後の彼女の人生まで責任を負えるんですか」
助けたところで、今以上の生活をあの少女に保証できるのか。
心を犠牲は伴うとはいえ、少なくともこの屋敷にいる限り、あの少女は衣食住に困ることはないだろう。
問えば、少年の瞳は僅かな戸惑いに揺れる。
「それは……」
言い淀んだ少年に対し、は難しい表情を作ってみせた。
そういったところまで考えないあたりがまだ子供なんだよな、とは思う。
しかしまた、先を見据えないその行動力こそが子供の特権であるとも思う。
「きみは、彼女をどうしたいの」
「助けたい。……助けたいんだ」
あの美しく清らかな少女に、醜く太り脂ぎった男の手が触れるのかと思っただけでぞっとする。
けれど、その後の彼女の人生まで考えていないのもたしかだった。
「仕方ないですねぇ」
は苦笑する。
少年は縋るような目でを見上げた。
「とりあえず、ついていらっしゃいな。ほら、その物騒なものはこっちに渡す!」
少年は一瞬ためらったが、結局言われるがままざりざりと引きずっていた重たい剣をに引き渡す。
はよいしょとその剣を右手に持つと、左手を少年に差し出した。
業の坂にて
「「あ」」
重なったのは、少年と少女の声だった。
少女はを見つけて。少年は少女を見つけて。
「よかった……無事だったんですね」
ほっとした様子でに駆け寄る少女は、紛れもなく昼間見かけた彼女で。
纏っている青い服は引き取られた屋敷で着せてもらったのか青い瞳の彼女によく似合っており、近くで見ればますます彼女を美しく引き立たせていた。
「え、なに、どういうこと?」
少年はぽかんと口を開き、と少女を交互に見やる。
助けようと思っていた少女が、どうしてここにいるんだろう?
唖然としている少年に向かって、はふふんと笑う。
「夜が更けてからでは、助ける意味がなくなりますからね。ことが起こる前にかっ攫ってきました」
「は? どうやって?」
というか、先程までの自分の覚悟はいったいどうすれば。
行き場のない感情に困惑している少年。
は人差し指を口元にあて、静かに、のポーズを作ると微笑んだ。
「ふふ、企業秘密です」
なんということはない。
こっそり屋敷に忍びこみ、メイドに成り済まして少女を裏門から逃がしただけだ。
しかしまあメイド服を失敬する際、ちょこっとイノセンスを使ったりしたので公に言えないのである。
「少年、先程の覚悟は残っていますか?」
ちらりと右手に握る剣を見やってから、少年を見つめては問う。
「覚悟……?」
少年は戸惑いの表情のままを見上げた。
「ええ。どんな状況だろうと、何を利用してでも、彼女を守って生きるという覚悟。きみに、あります?」
少し考えてから、少年はむっとしたように叫んだ。
「そんなの今更だよ!」
剣を盗んでまで、彼女を助けようとしたのだ。
今更どんな困難が訪れようと、怯んだりなんかしない。
「……そう、それなら」
は少年と少女に背を向けた。
「ふたりとも、ついてらっしゃい。あなたたちに、新しい居場所をあげます」
それから一週間、寄り道をしつつも辿り着いたのはフランスの中でも比較的大きな町だった。
その間にはふたりを宿に泊め、汚れた体を綺麗にしてやり、まともな庶民の服を買い与えた。
そして今、はふたりを引きつれて大きな教会の前に立っている。
「この子たちが、例の子どもたちですね」
「ええ、どうかよろしくお願いします」
三人を迎え入れたのは、柔和な微笑みを浮かべた神父だった。
深々と頭を下げるを見て、少年と少女は密かに顔を見合わせる。
「お任せ下さい。きっと他の子どもたちと変わりない愛を与えると約束しましょう」
そんな神父の言葉にいてもたってもいられなくなって、少年は口を開いた。
「おい、どういうことだよ!?」
は振り返って少年を見やる。
「おまえやっぱり教会の回し者だったのか!」
何も言わないに、少年は叫んだ。
裏切るつもりかと、少年の瞳はに問う。
は溜息を吐いた。
「少年、わたしは聞いたはずですよ、どんなものでも利用する覚悟はあるのかと」
「!」
「きみは“今更だ”と答えた。わたしはそれを肯定と捉えましたが、違いましたか?」
「それは……」
少年は言い淀んだ。
その横で美しい少女が不安そうにと少年を交互に見た。
大丈夫だよ、という意味を込めては少女に微笑む。
は再び少年に向き直ると、言った。
「宗教はね、基本的に権力者と社会的弱者においしくできているんです」
善良な教会ならば、何者をも拒むことはないだろう。
“神を信じる”と唱え、加護を求めれば、彼らはそれを拒まない。
だから、困ったときは教会を頼っていけばいい。
「身も蓋もありませんね」
聞いていた神父が苦笑する。
「はは……すみません」
もまた、似た表情を神父に返した。
がそうできるのは、この神父を信じているからだ。
たまたま教会とは関係のないところで知り合ったこの神父は、人間的にも十分人格者といえた。
だから、は信頼して彼に子どもたちを預けられる。
「きみたちはまだ、あまりに何も知らない。文字を学び、歴史と思想を学び、自分で考える力をつけなさい。神を批判するのはそれからです」
自身は、神を敬ってはいないけれど。
この子たちはまだ幼い。
絶望を覚えるには早過ぎる。
は続けた。
「神様なんか信じなくてもいい。けれど、彼女を守ると決めたのなら、利用できるものはなんでも利用しなさい」
その言葉に少年ははっと顔を上げる。
「きみが望んだから、わたしは彼女を助ける手伝いをした。けれど、今後彼女を守っていくのは、少年、きみですよ」
きみに、生きる意味を与えよう。
強かに、生きていくための意味を。
新たなる旅の準備も、別れの挨拶も済ませて。
「ねえ、名前、教えてよ」
いざ教会をあとにしようとしたところで問いかけてきたのは少年だった。
できれば名前くらい教えてやりたいところだが、には名乗れない事情がある。
少し考えるような仕草をし、なにかを思いついた表情を浮かべたあと、ふわりと微笑んだ。
「わたしは“神の使徒”ですよ」
「はあ!?」
この名前を名乗るのは本意ではないけれど。
でも、ねえ、気付いて。
きみはちゃんと神様に愛されているよ。
わたしの前にならけして現れることのないだろう、神の慈悲。
わたしときみが出会うことが神に仕組まれた運命だったとしたら、わたしはたしかに“神の使徒”なのだろう。
むしろ神の意志じゃなかったとしたら、してやったりと思うくらいだ。
わたしにはこれくらいしかできないけれど、それでも。
いつか神に頼ることなく、自分で幸福を掴んでほしい。
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20111112