怯えながら、日々を過ごしていた。
今日こそ、捕まってしまうのではないかと。
あんなやつらに捕らえられる気など、さらさら無いけれど。
今日こそ、死んでしまうのではないかと。
生きていたいから、罪を重ね続けるけれど。
いいや、これは罪なんかじゃない。
生物は常になにかの犠牲の上に成り立っていて、それがたまたま、自分の場合は人間界の掟に反していただけ。
だから、認めない。
この世界の理不尽さも、残酷さも。
人間という存在を最高のものとした、あなたも。
…………神様。





業の坂にて





ふたりの逃亡者が出会ったのは、人通りの多い大通りだった。
それなりに賑わった町の、ほんの一角。
細道からゆっくりと通りへ出てきた少女と、通りを全速力で駆けていた少年は、出会い頭に思い切り衝突した。
「うわっ」
「むぐっ」
少年は声をあげて、持っていたフランスパンを取り落としたが、少女、の方は、食べていた洋ナシのジェラートを少々多めに口の中に突っ込んでしまう程度にとどまった。
少年が慌ててパンを拾い上げる様子を眺めながら、は、おや? と首を傾げる。
紙袋にもバスケットにも入れられていないパン。
これはもしかして……。
「おい! 誰か! そこの薄汚れた糞ガキを捕まえてくれ!」
少年が来た方向から聞こえてきた怒声。
道行く人々の視線が、一斉に目の前の少年に向けられる。
次の瞬間、は咄嗟に持っていたジェラートを少年に渡すと、さっと少年の身体を抱えあげた。
「お、おい!?」
に抱えあげられた少年は、捕まってしまったのだという動揺と、けれども何故か彼女のジェラートを持たされているという事実に、困惑の声をあげる。
は、栄養不足のためか年齢のわりに肉付きの悪い痩せ細った少年を片方の腕だけで抱え直し、もう片方の手で己のイノセンスである扇、舞姫を開くと、言った。
「口、閉じてないと舌噛みますよ。あ、それとわたしのジェラートは落とさないでくださいね」
若干聞き取りにくい、拙いフランス語で告げられた次の瞬間、少年の予想とは反して、彼女は彼女自身が今来た方向、怒声が聞こえてきた方向からは逃げるようにして駆け出した。
「ひえっ」
予想外の速さに一瞬悲鳴をあげて、しかしその速さはすぐに快感となり、少年はヒュウと口笛を吹く。
「おねーさん足速いね、何者?」
は速度を落とさず前を見据えたまま、薄く笑った。
「ただの、旅人ですよ」





「はい、どうぞ」
そういって渡された、赤色のジェラート。
この甘酸っぱい香りは、ラズベリーだろうか。
「きみが食べていいんですよ」
状況に戸惑って、どうしようかと悩んでいると、そのジェラートを渡してきた主からそう声をかけられた。
思わず彼女のほうをじっと見つめる。
すると彼女はその視線をどう受け取ったのか、こてんと首を傾ると、持っていた小さな木製のスプーンで、その赤色のジェラートを一口分掬い攫った。
「あ」
「ん、こっちもおいしいですね。ささ、早く食べないと溶けちゃいますよ」
そんな彼女の行動になんとなくほっとして、ようやく彼女の意図に気付く。
ああ、これは安全な食べ物だと、自分に伝えたかったのか。
彼女につられておそるおそるその物体に口を付けてみれば、口の中に広がるのは予想を裏切らない甘酸っぱい味。
そして、
「つめたい……」
生まれて初めて口にする嗜好品に、目を見開く。
こういったものは、パンなどの店頭に並んでいるものと違って、盗むことができないから。
くすり、と彼女が柔らかく微笑む気配がした。
「……なんで、助けてくれたの」
舌先でちびちびとジェラートを舐めながらそう尋ねると、彼女は微笑みを苦笑に変えた。
「さあ、なんででしょうね」
「哀れみ?」
自分でもよくわかりません、なんていう彼女に、少年は尋ねる。
「いえ……そうですね、あえていうのなら、きみがまるでこの世界は敵だという顔をしていたからでしょうか」
「? どういうこと?」
少年は首を傾げた。
「敵の敵は味方、といったところですかね」
「意味わかんないんだけど。もしかしてあんたもあのお節介な修道院の人間? 悪いけどオレ、神様って信じてないんだよね」
ベンチに座りながら地面に着かない足をブラブラとさせて、少年はつまらなそうな表情を浮かべる。
は少年のほうには視線を向けずに、自分のジェラートを一口かじって口を開いた。
「神様はいますよ、たしかに。……けれど、わたしをあの信者たちと一緒にされるのは不快ですね。こんなにも残酷で、無慈悲で、自分勝手な神様を信仰するなんて、ばかげてます」
「あー……そう」
ただならぬの様子に、少年は僅かに身を退いて答えた。
「…………」
「…………」
しばし流れる沈黙。
がジェラートのコーンをかじるカリカリという音だけが空間を支配する。
その沈黙を先に破ったのは少年のほうだった。
「あ、」
少年の視線の先にはひとりの少女。
年齢は少年よりも上で、よりも下といったところだろうか。
そういえば、リナリーと同じくらいかもしれない。
少年が目を奪われるのも当然、とても美しい少女だった。
少々異常なのは、その手足に繋がれた鎖と、目に浮かぶ涙だったけれども。
「ああ、奴隷ですね……」
感情を感じさせずに呟いたに対し、少年は歯がゆそうな顔をした。
「……やっぱり、酷い扱いを受けるのかな」
「買い取った主にもよると思いますが……あー……あのタイプの主人なら、性奴隷の可能性も否めませんね」
「せっ……!?」
この年頃の少年には少々過激なワードだっただろうか。
いかにも衝撃を受けてますといった表情の少年に、釘を刺すべくは口を開く。
「その後の面倒まで見られないのなら、助けようなんて思わないことですね」
「……分かってる」
悔しそうに唇を噛み、俯いた少年。
は今後の展開を予想して、溜息を吐いた。





→ 後編






20090822