部屋を出ると、ラビの姿はもう近くには見当たらなかった。
まぁそりゃそうかとは息を吐く。コムイとのやりとりで少々時間をロスした自覚はある。あの逃げ足の早い男がいつまでも近くに残っている道理はないだろう。
それよりも。
(アレンくん……)
コムイが背負うべきだった汚れ役を引き受けたあの優しい子供は、ひとりで孤独を抱えて泣いていないだろうか。
は予定を変更し、かの人物を探すべく廊下を歩きだした。
最果てへの片道切符
探し人の少年は思いのほかすぐに見つかった。エクソシストたちの修練場として用意されたその部屋。しかしアレンは何をするでもなくぼんやりと天井を見上げていた。つい先程まで招集がかけられていたため今は彼以外にはその監視役であるリンクしかおらず、実質2人きりといえる状況は彼と会話をするのに相応しかった。の気配にいち早く気付いたリンクがちらりとこちらを見遣るが、特に何かを言ってくるわけではなかったのでは気にせずアレンに近寄る。
「アレンくん」
「? ……えっ!? その顔どうしたの!?」
声を掛けられて初めての存在に気付いたらしいアレンははっとして振り向き、それからの顔を見て目を見開いた。ここに来る前に顔を洗ってはきたのだが、目元の僅かな腫れと赤みまでは誤魔化せなかったらしい。
「えーと、実はラビさんにいじめられて」
はへらりと笑って誤魔化した。泣いた理由ではないが、あながち嘘でもない。
「ラビに? ……まぁ悪気があったわけじゃないだろうけどを泣かせたのは許せないから会ったら懲らしめとくね」
半分冗談だったのだが、当然のことのように素直に憤慨してくれるアレンをはきょとんと見つめて、それからふふっと笑う。思わぬ形でラビに復讐を果たせそうだ。
「……なに?」
そんなの様子にアレンが不思議そうに首を傾げるので、は緩く首を横に振った。
「ううん、なんでもない」
「そう? そういえば僕になにか用だったんじゃないの?」
いつだってこちらの様子を気にかけてくれるアレンには微笑む。
「うん。……アレンくんもルベリエさんにいじめられてびーびー泣いてないかなって心配で会いに来たんだけど」
「はぁ? じゃあるまいし」
アレンは訝しげな表情で即座に否定した。
「……そうだね」
は苦笑する。あのクロスの下で弟子として数年間たくましく生きてきたのだ。並大抵の理不尽には屈しないだろう。けれど。
「……? 本当にどうしたの?」
どこか様子のおかしいと距離を詰めて、アレンはその顔を覗き込む。
「アレンくんが強いのは知ってるよ。……でもね、でも……どうしても伝えておきたくて」
「?」
頼りなさげに揺れていた瞳が、首を傾げていたアレンをまっすぐと射抜いた。深く息を吸って、が口を開く。
「もしも世界のすべてがアレンくんの敵に回っても、わたしはアレンくんの味方でいるよ。どうかそれを覚えていて」
「……」
彼女の口から紡がれた台詞にアレンが感じたのは驚きだった。こんな状況下で自分にそんな言葉を掛けてくる人間がいるとはまったく想定していなかったのだ。
「わたしね、本当はこんな世界どうなったっていいの。この世界の平和が君の幸せを奪った上に成り立つというのなら、いっそ滅びればいい」
この世界がどうなろうと知ったことではないという気持ちは、己がエクソシストとして生きることを強要されたあの日から変わることはない。それがアレンの幸せを犠牲に成り立つというのなら尚更である。
「、それは」
「分かってるよ、アレンくんがそんなことを望まないだろうことくらい」
アレンが言いかけた言葉をは制する。彼が幸せになれない世界ならいっそ滅びればいい、その気持ちは嘘じゃない。……だが、この優しい少年が世界の存続を願っていることをは知っていた。
「でもね、でも……わたしにとっては、この世界全員の命よりも、君一人の命のほうが尊いんだ」
人は一人では生きてはいけない。彼一人を救えたとしても、たった一人の人間しかいない世界はいつか終わりを迎えるだろう。人間もアクマさえも愛している彼が、その孤独に耐えられるとほどの強さを有しているとは思わない。
でも。それでも。
「アレンくんはわたしにとってこの世界で唯一の救いだった。本当に本当に感謝してるの」
ただひとり、なんの打算もなく、自分を守ろうとしてくれた人間。がエクソシストじゃなくても、それでも慕ってくれた人間。血は繋がっていなくとも、それはもはや、家族と呼ぶにふさわしい人間だった。
リナリーも、神田やラビも、そしてコムイも。本当は各々なりにを大切にしてくれているのは知っている。がエクソシストでなければないことに、心を痛めてくれていることも。
けれど、だめなのだ。彼らとは、エクソシストとして出会ってしまった。彼らがを思い浮かべるそのとき、彼らは真っ先にエクソシストであるを思い浮かべる。戦わなくてもいいよ、とは口にしつつ、本当に危機的な状況になれば、彼らは心の中でにエクソシストとして戦うことを望むのだろう。
「アレンくん、わたしはきみのためなら、他の誰を敵に回したっていいよ」
それがノアの一族であっても、千年伯爵であっても、教団や教皇庁であっても。
もしも、この憎い世界を救うことがすなわち彼を救うことになるというのなら、その憎しみさえ飲み込み応えてみせよう。一度は彼に、救われた命と心だから。
アレンがいなければ、はあの日死んでいてもおかしくなかった。死ななかったとしても、孤独と絶望に沈んでいたかもしれなかった。それを救ってくれた彼だから。
「、僕はに守られたいんじゃない。守りたいんだ」
「うん、知ってる。だからこそ、わたしもアレンくんを守りたいって思うんだよ」
の持つ力は本当にちっぽけで、大した役には立たないのかもしれない。それでも、独りよがりでも、どうか気持ちだけでも届いてほしい。
「大切な人を守りたい気持ちは、きみがよく知っているでしょう?」
その言葉にアレンの瞳が大きく見開かれる。白い頬に、ほんのりと赤味が差していく。
「っ……」
アレンの縋るような両腕がの背中に伸ばされた。言葉無くなにかに打ち震える様子のアレンの背中に、もゆっくりと手を回しあやすようにさする。
「どんなことがあっても、どんなものが敵になっても、わたしは絶対に最後までアレンくんの、アレン君だけの味方だよ」
は祈る。彼の心に、どうかこの声がきちんと届きますように。
「ところで私もいるんですが?」
「知ってますけど?」
突如として背後から掛けられたら第三者の声には大して気にした様子もなく答える。リンクはアレンの監視役なので席を外してくれと頼んだところで無意味だろうと放置していたのだ。
「はぁ!? ちょ、!?」
一方のアレンといえばリンクから掛けられた声に顔を真っ赤にしてから飛び退った。どうやらリンクの存在をすっかり忘れていたらしい。
リンクの方はそんなアレンを気に掛けず、しげしげとの方を見た。
「フム……、先程のウォーカーへの言葉は黒の教団、ひいては中央庁への叛逆の意思表明ととっても?」
リンクの質問にはにっこりと笑った。
「あら。中央庁がアレンくんの敵にならなければなんの問題もないのでは?」
「なるほど。……まぁ、そうですね。あなた方が我々の敵にならないことを願ってますよ」
真顔で頷くリンク。
しばし顔を赤くしてとリンクのやり取りを見ていたアレンだったが、ふとなにかを思い付いたように口を開く。
「……ねぇ」
「ん?」
彼女はすぐにアレンの方を振り向いた。
「僕のお願い聞いてくれる?」
「お願い?」
アレンがお願い事なんて珍しい。不思議そうに首を傾げたに、アレンは天使のごとき微笑みを向ける。あ、嫌な予感、とが思うよりも早くアレンはそれを口にした。
「うん。に、仲間のみんなともっと仲良くしてほしいなって」
「ええー……」
明らかに嫌そうな顔をしたを見て、やはり、とアレンは思う。彼女には自分以外に気を許せる存在がいないのではないかということは、前々から心配していたのだ。そうであれば先程の揺るぎない台詞にも納得がいく。彼女はきっと本当に自分自身とアレンのことしか大切に思えていないのだ。
「僕の幸せを願ってくれるんでしょ? 僕、賑やかな方が好きなんだ。僕と、と、みんなと。一緒に笑い合えたら僕はすごく幸せだ思う」
「……今でもそこそこ上手く付き合ってると思うんだけど」
「ダメダメ。ぜんっぜん足りない」
たしかにアレンの知る限り、は誰と衝突することもなく、集団の中にいても浮くこともなく上手く付き合っている。の事情を詳しく知らないファインダーや科学班の人員たちからは人望も厚い。
自分だけが彼女の特別なのだというのはくすぐったくも嬉しくもある。だけど、彼女のことを考えるのならば、きっとそれではだめなのだ。
「、そんなにイヤ? 僕のお願いでも?」
目をウルウルとさせながら迫るアレンには苦い顔で呻く。
「う、うう……なんか卑怯だ……いや、まぁアレンくんがそこまで言うなら善処するけどぉ……」
「約束だからね!」
の言質をとった瞬間パッっと顔を輝かせたアレンを見て、は深い息を吐いた。なんだか上手く丸め込まれたような気がする。
そんなをニコニコと眺めながら、アレンは祈る。がアレンの幸福を祈ったように。
もしもいつか自分が居なくなる日が来たとしても、彼女が仲間たちと前を向いて生きていけますように。