彼もまた、必死なのだと思う。
「おかえり、ちゃん」
まるで何事もなかったように微笑まれて、は思わずコムイを凝視した。
笑顔を崩さない彼に居心地の悪さを覚えて、目を逸らす。
ただいま、とは言えなかった。
ここを自分の帰る場所とするには、まだ覚悟が足りなかった。
「きみの部屋も、物も、みんなそのままにしてあるよ」
酷く優しげな声で告げられた言葉。
なぜ、責めないのか。
なぜ、咎めないのか。
いっそ怒り狂ってくれた方が、簡単に流せるのに。
優しさを受け流すのは、とても難しい。
それでも、は目と口の筋肉を器用に動かし、笑みを作ってみせた。





最果てへの片道切符





「あ。ラビさんこんにちはー」
黒の教団本部廊下。
あまりにも自然過ぎる挨拶に、ラビは「おう」と軽く挨拶を返してそこを素通りしかけたが、声を掛けてきたのが誰なのか分かった瞬間、ぐりんと振り返った。
!?」
「はい?」
呼び止められて、が振り向く。
なにかご用ですか? とゆったり微笑んだ彼女を見て、ラビは軽く目眩を覚えた。
「ちょ、おまえ逃亡してたんじゃねぇの?」
「そうですよ?」
こてん、とが首を傾げる。
だからなんなのだと問い掛けるようなその態度に、ラビは開いた口が塞がらない。
「おいおい、どういうことだよ」
目を白黒とさせているラビに、はうーんと唸る。
なんと説明したものか。
「早い話が、中央庁の役人に見つかって捕まっちゃったんですよねぇ」
困ったように笑うを見て、ラビは眉をひそめた。
「そのわりに、見張りとか付いてないじゃんか」
きょろきょろと辺りを見渡して、ラビが言う。
「ああ、そういう契約なんです」
は頷いた。
ラビの表情がますます訝しげなものを見るようになる。
「見張りは付けないって?」
「いいえ。わたしが絶対に教団から逃げ出さないという契約ですよ」
だからもしかしたら、影でわたしを見張る人物くらいはいるかもしれませんね。
なんでもないことのように、は言った。
「おまえ、そんな契約……」
守れるのか?
そう問いたげなラビの視線に、は微笑む。
「もちろん、契約ですから、わたしにもメリットがあるんですよ」
だから向こうがそれを破らない限り、わたしも破りません。
ふふふ、と声をたてて笑うを見て、きっとろくでもない契約なのだろうとラビは思った。
はー、と息を吐いて、頭をがしがしと掻く。
いつのまにか眉間に寄っていたしわを、右手の親指でさすった。
「いつ帰ってきたんさ?」
「ついさっきですよ、ついさっき」
「コムイには?」
「いちばん最初に会いました」
あれでもここの司令官ですからね、というの口調に悪意はない。
「リナリー泣いてたぞ」
「愛されてますねぇ、わたし」

のほほん、と返せば咎めるように呼ばれた自分の名前。
は一瞬驚いたような顔をしてから、目を伏せた。
そしてそのまま、僅かに笑う。
「大切なものができたんですね、ラビさん」
優しげな声で告げられたその言葉に、今度はラビが驚く番だった。
己の優秀な頭を回転させて、彼女の言葉を噛み砕く。
そして彼女の台詞がなんの含みもない、言葉そのままの意味であることに気付くと、焦燥にかられた。
大切な、もの?
「なーに言ってるんさは。オレとは、同じだろ?」
咄嗟に、ラビはそう取り繕って笑った。
それは、かつても一度彼女に言った言葉。
自分はブックマンだ。
仲間を作るためにここにいるのではない。
すべて記録するためにここにいるのだ。
なにかに心を寄せることは、許されない。
そんなラビの様子を見て、は小さく首を傾げる。
彼女は彼がブックマンであることは知っているが、それがどんなものであるか詳しくは知らない。
契約を知らない。
知っていれば、賢明な彼女はその言葉を口にはしなかっただろう。
「ラビさん。わたしは、あなたを責めたりしませんよ。あなたがここで大切なものを作っても、そうではなくても。大切なものを作ることは、決して罪じゃありません。むしろ、その方が普通です」
もともと普通じゃないのは、わたしの方なんです。
教団の人間を仲間だと思っていないことをラビに責められるのは、にとって少しだけ意外だった。
なんだかんだいいつつ、自分と似た空気を持つ彼に、安心している部分があったから。
それでも、彼が大切なものを見つけたのなら、それでいいと思う。
それが、正しいと思う。
しかしなぜか、彼は頷かなかった。
「オレと、は、同じだ。教団なんてどうでもいい。戦争なんてどうでもいい。どうでも、いいんだ」
苦しげな表情で俯いたラビを見て、は目を細める。
なぜ、彼はそこまで必死に否定するのだろうか。
は知らない。
知ろうとも、思わない。
「……そうですね。わたしたちは、同じです」
彼がそうであることを望むのなら、それはそれでいいのだ。
心の奥深くまで踏み込もうとは思わない。
他人の痛みまで背負う余裕はない。
言葉だけで安心するというのなら、いくらでもその言葉をあげよう。
口にしたところで、なにも減りはしないのだから。
「ラビさんとわたしは、同じです」
静かな声で、は言葉を重ねた。





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20080920